第四十一話・終幕

「何であなた達がここにいるんですか?」

「こっちのセリフじゃよ」


 グレモリーらは混乱していた。

 突如現れたバルバドスが大和を暗闇へ引き込んだかと思えば、いつの間にかそこにいた馬車を引く七つの大罪の館のメイド長メリル。

 情報量が多い。

 さらにメリルが馬車を引いているということは蠅の王ベルゼブブも同行しているという裏返し。

 そう言いきれるのはメリルがベルゼブブ専属メイド兼護衛官であるからだ。

 ベルゼブブ本人はそんなものいらないと常日頃言っているそうだが。

 聞きたい事がいくつかある。一番最初に知りたいのは、


「どうやってここに入ったのじゃ。障壁が張っておったろうに」


 バルバドスの『障壁』は一度発動すればあらゆる攻撃を防ぐ不壊の盾。対象を囲えば脱出不可能な檻となる。

 昔は障壁に攻撃を与え、損傷具合で優劣をつける力比べが恒例行事として存在した程だ。

 その場において、誰一人として完全に破壊する事は叶わず、小さな傷一つだけで大騒ぎ。

 バルバドスも絶対不壊絶対不可侵を声高に語っていた。

 それが校舎を囲っているというのに、メリルは馬車ごと内部に入っている。

 誰もが首を傾げる矛盾である。


「障壁……ですか?」


 当のメリルも首を傾げるのは矛盾を超えて奇妙であった。


「紫に光る障壁があっただろう」


 マルバスが問い詰めるも、メリルは心当たりがない様子。

 彼女が嘘を吐くような人物でないのはグレモリーら全員周知の事実。

 本当に障壁の存在に気づかなかったのだろう。

 それならば同乗者であるベルゼブブが障壁を何らかの方法で破ったとしか考えられない。

 しかし、生きとし生けるもの最強の剣士といえどもそんな事が可能なのか。


「先生ならやりかねないわよね」


 サミジナの独り言にグレモリーとマルバスは同調する。

 謁見が難しい蠅の王に唯一親しく接しているからこそ、彼の強さは身に染みている。

 想像の遥か上を行く力と技術が蠅の王にはあるのだ。

 グレモリーは忌々しく思う一方で、実力を認めざるをえなかった。


「なら師匠は……」

「ああ。障壁が閉じる前に入ったか、どっかを壊して侵入したのじゃろう。あののろまめ、早く大和を助けて出てきてほしいものじゃな」


 視線を感じた。

 主人を「のろま」と罵ったグレモリーをメリルの緑色の双眸が睨む。

 二人は数秒睨み合った後、面倒くさがったグレモリーが、ふん、と鼻を鳴らし余所を向いた。


 ※ ※ ※


 敵同士であり種族の違いを持つ大和とバルバドスは同じ事を思っていた。

 なぜ悪魔界の王ベルゼブブがここに?

 大和もそうだが、それ以上にベルゼブブかここにいる事が信じられなかったのがバルバドスだった。

 この固有魔法に目覚めてから数百年。

 何人たりとも通さず、侵入させず、破壊させず、絶対の盾と称していた障壁に、自分で引き入れたケースを除いて初めて他者の侵入を許した。

 それがまさか蠅の王だとは思いもよらなかった。


「バルバドス、剣を下ろせ」

「は、はい」


 腕を下ろす挙動を感じるとベルゼブブは掴んでいた手を離した。

 殺意はないが山のような巨大な威圧感が真後ろからバルバドスを包む。

 ベルゼブブが現れる前の怒りに満ち大和に恐怖を与えていたのとは正反対に萎縮してしまっている。

 人間を殺めようとした自分に対してベルゼブブがどのような判決を下すのか、恐ろしくて堪らないのだ。


「立てるか」

「あ、ああ」


 大和の手を掴み、立ち上がらせる。だがすぐにふらつき倒れそうになるのをベルゼブブが支える。


「……魔力の消耗が激しいな。あいつらに操作を教えてもらわなかったのか」

「俺の操作が下手くそなだけだ」

「そうか」


 ベルゼブブはバルバドスに向き直る。

 ひっ、と声を引き攣らせ一歩退く。

 怯えている様子のバルバドスを気にする事なくベルゼブブは口を開く。


「障壁を解け、バルバドス」

「あ、いや、それは……」

「本来なら問答無用で殺しているが今日の俺は気分がいい。お前を見逃してやる」


 バルバドスが驚いたのは大和の目にも明らかだった。

 通常であれば転生者の大和を殺すのは禁忌であり、周囲からも散々聞かされてきた。

 今しがた殺そうとしてきた者を見逃すのは大和にとっても大和を守るグレモリー達にとっても好ましくない。


「ベルゼブブ、どういう……」

「お前の言いたい気持ちはわかる。だが今の俺の言葉に偽りはない。それだけだ」


 彼は本当にバルバドスを見逃そうとしていた。

 大和はなんとなくベルゼブブの胸中を勘繰って、何か考えがあるのだろうと思ってそれ以上言葉を発さなかった。

 さて残るはバルバドスである。

 彼の判断次第で全員生還か誰かの血を見る事になるかが決まる。

 刀を握る手をぶるぶる震わせ、葛藤しているバルバドスはやがて絞り出すように言った。


「ベ、ベルゼブブ殿。あなたの提案は大変ありがたく思います」

「ああ、そうだろうな」

「ですが!」


 バルバドスが声を張り上げた。邪念を振り払うように刀を一振り。顔の横に両手持ちで構える。


「俺にはあなたより怖いものがある! それに比べれば滅多にお会いする事のないあなたに立ち向かうなど容易!」


 生きとし生けるもの最強の剣士と呼ばれるベルゼブブと戦うつもりだ。

 そこまでバルバドスを突き動かすものはなんなのか。想像がつかない。

 交渉は決裂した。

 ベルゼブブがどう動くか見ていると、首を左右に振って溜め息。バルバドスに背を向けた。


「わかった。そう決めたならそうするといい」


 一瞬呆気に取られ、即座に覚悟を決めた表情へ変わる。

 防御の姿勢もとらず、刀も抜かない棒立ちのベルゼブブの脳天を割らんとする豪剣が振り下ろされた。


「愚かな」


 ベルゼブブが小さく呟いた。

 瞬間、バルバドスの上半身がさながら水死体のように醜く大きく膨れ上がった。

 刀が空を切る。

 膨張した背中と胸に顔が押し潰され、目玉が外へ押し出される。


「ビェ、リュ、ジェブ、ビュど、の」


 だらしなく舌を出し、おおよそ人体構造から発せられる声とは思えないおぞましい声。

 膨張に堪えきれたくなった皮膚が裂け、血が吹き出る。肉が千切れる。骨が折れる。

 そして、バルバドスの肉体は限界を迎えた。

 風船が割れるのと全く同じ音を発し、バルバドスの上半身は四散した。

 血肉が飛んでくるかと身構えていたが、それは杞憂に終わった。

 ベルゼブブの背後が真っ赤に染まったのだ。

 いつの間に壁を作ったのか、そんな疑問を投げかける暇も与えてはくれず、ベルゼブブは言う。


「第一関門は突破した。だがこの固有魔法の厄介なのは術者は死ねど、魔法は二、三日解けないところにある」

「何でだ?」

「知らん。だが大した問題ではない」


 ベルゼブブは刀を抜いた。


「並大抵の実力ではこの壁を打ち破ることすら不可能だ。七十二柱総力を持ってしても微妙なところだ」


 そこで大和は気づいた。

 学校の周囲に張り巡らされた障壁はどうやって突破したのか。


「簡単な話だ」


 心を読んだのか、それとも聞きたい事が顔に出ていたのか、ベルゼブブは大和の疑問に答えるように言う。


「何でもやり方というものがある。むやみやたらに力で壊そうとするのはやり方としては五十点だ。俺はそいつらとは違って百点のやり方を知っている」

「百点の、やり方?」

「障壁という固定観念を捨て、最大限の力を最小限の範囲に全てぶつける。ただ、それだけだ」


 言い終わると同時に一陣の風。ベルゼブブの腕が目にも止まらぬ早さで動き、刀が消える。

 一連の動作はおそらく一秒もかかっていないだろう。

 いつの間にかベルゼブブの刀が鞘に納まっている事も、背後の壁がぴしぴしと音を立てている事も、外から自分を呼ぶ声が聞こえる事も、理解するのにやや時間を要した。


「ついでに言うとでかいものは壊れやすい。建物だろうと魔法だろうと関係ない」


 暗闇に包まれた空間に天日が差し込み、明るさをもたらす。

 ベルゼブブの完璧な一太刀によって破壊された障壁。広がるヒビが遥か上まで達し、張られていた障壁が崩壊した。

 術者を失い、ばらばらに砕け散った障壁の破片は霧状になって空へ昇り、途中で蒸発するように見えなくなった。


「大和!」


 近づいてきたグレモリーに抱き寄せられる。無事を安心して、というより少しでもベルゼブブから離そうとしているようだった。

 深紅の双眸が殺気を放ちながらベルゼブブを睨む。

 なんて恩知らずなと思ったが、ベルゼブブはそんなものどうでもいいという風に鼻で笑う。

 剣呑な空気漂う二人の間にマルバスが話って入り跪く。


「師匠、ありがとうございます」

「気にするな。ガキ共に守れと言った手前、俺ができなきゃ本末転倒だ」

「本当にありがとうございます」

「それよりもこの惨状……」


 ベルゼブブは周囲を見回す。

 破壊された校舎。割れた窓ガラス。積まれた瓦礫。

 ここで学んでいた悪魔民の事を思うと心が痛む。

 敵を葬るため必要な被害が出る事は覚悟していたが、いくらなんでもやり過ぎたか。

 叱りの言葉が口にされると予想した。


「障壁内の敵勢力は殺害及び撃退しました」

「そうか。よくやったな」


 意外にもベルゼブブは短い褒め言葉を言った。

 それをいけ好かないと感じたグレモリーが唾を吐いた。

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