第三十八話・七十二柱でない者

 全力で突き飛ばされたような衝撃と遅れてやってくる鋭く燃える痛み。

 頭に当たらなかったのは運がよかった。放った矢で軌道が若干変わったのだろう。

 とはいえ肺を撃ち抜かれたのは手痛い負傷である事に変わりはないし、何より呼吸がし辛い。

 胸に穴が開くと外気が入って肺がしぼんで呼吸ができなくなる云々と、以前ダンタリオンが懇切丁寧に教えてくれた。

 片方の肺が使えないのは大した問題ではない。それより今はベレトをどうにかしなくては。

 渦巻くボルテックス意志弓・アルクスで教室の一つを破壊したのは心が痛む。後で謝っておこう。

 悲惨な光景になってしまった教室で倒れるベレトは銃を握り締めたまま苦しそうに呻いている。

 かなりのダメージを与えたはずだが油断はできない。

 用心深く近づいて銃を持っている方の手首を踏みつける。

 輝く矢を番えた弓をベレトの顔に向ける。


「あなたの負けよ、ベレト。言ったでしょ。作戦があるって」

「あれは、何だ? あのデコイは? お前の固有魔法か?」

「あれはこの迅弓エンケラドゥスの固有魔法『意志』で作った分身。私の固有魔法は戦闘には全く役立たないわ」

「じゃあ、胸を撃たれて、何故、死なない? 不死身か?」


 銃の達人である彼女ならば相手のどこを撃ち抜けば致命傷になるかを熟知している。

 ただ呼吸がし辛いだけのサミジナに押さえつけられている現実を受け入れられないのも無理はない。


「故郷を追われた悪夢民の事を思えば、私は不死身にだってなれるわ。あなた達を許しはしない」

「……そうか」


 固有魔法を明かした訳ではない。合点がいく発言ではなかったはずだが、ベレトの口元には余裕の笑みが見て取れる。


「何がおかしいの? 諦めて投降した方が身のためよ」

「それだよ」

「え?」

「それがお前の甘さだ」


 ベレトから魔力の高まりを感じた。

 それからは一瞬の出来事だった。

 ベレトが『透過』を使って逃げようとするのをサミジナが矢を放って仕留めにかかる。

 矢が床に触れた途端に爆発し、教室をもう一段階破壊した。

 当たった気もするがベレトの姿を見ないと確信は持てない。

 床に空けた穴から一階に降り、ベレトを探す。が、どこにも見当たらない。

 『透過』を逃亡に使っている限り見つけるのは不可能に近い。

 無駄に体力を浪費する事は建設的ではない。ベレトの戦意はかなり削いだ。逃げる力を残していたのは想定外だったが、また向かってくる事はないだろう。

 今は生命維持に尽力するべきと判断したサミジナは壁にもたれて座り、ふぅと一息吐いた。


「皆、大丈夫かしら……」


 手負いの自分には加勢したとしても足手まといにしかならない。

 仲間の勝利を願うしかなかった。


 ※ ※ ※


 刀の様子を確かめる。

 刃こぼれ、歪みはなく陽光に透かして見ても綺麗な曲線を描く直刃すぐはを何の変わりない。


「いい加減負けを認めたらどうだ。苦しいだけだぞ」


 屋上に転がって痛みに悶える男――プルソンに声をかける。

 返答はなく、血まみれになった脇腹を押さえている。

 全体の様子が見れるから、と屋上に向かったマルバスを待っていたのはプルソンだった。

 目が合った時、プルソンが外れくじを引いたように顔を歪めた理由はなんとなく想像できた。

 最強の剣士ベルゼブブの弟子であるマルバスに剣術で勝とうなど夢物語もいい所だ。

 マルバス自身、プルソンが剣を使って戦う姿は今まで見た事がない。ほとんどの場合、固有魔法『変化』で何かしらの幻獣の姿で戦うからだ。

 勝敗が決まっているような戦いが始まった。

 明らかに腰が引け、覇気がないプルソンに対してマルバスは最初こそ慎重に立ち回っていた。

 その内、相手に奇策がないとわかると一気に攻め立てた。

 剣を弾き飛ばし、両足の腱を切断、脇腹を刺した。

 為す術ないプルソンはそのまま倒れ、今に至る。


「よ、容赦ないっすね。マルバス、さん、罪悪感とか、ないんすか?」

「ある訳ないだろ」


 プルソンの言葉を一蹴する。


「今のお前は、俺にとって敵だ。敵を斬って罪悪感が芽生えるなら、とっくに剣を捨てている」

「なるほ、ど。確かに、そう、ですね。でも一応、仲間だったじゃ、ないですか」

「だからなんだ」


 プルソンの傍に立ち、見下ろす。「ひっ」と声を漏らした。

 ただでさえ悪いと言われた目付きに敵意が加わる。

 彼に恨みはない。誰とでも仲良くなれ、周りを和ませるムードメーカーだった。何度も酒を酌み交わし、聞き上手で話し上手。

 おそらく七十二柱全員、プルソンの事は好意的に思っていただろう。

 だがそれも戦争が起きる前までの話。


「主犯格じゃないにせよ、この戦争を始めたのはお前らだ。恨むなら、自分の今いる立場を恨め」


 刀を振り上げる。

 プルソンの目尻に涙が浮かぶ、歯をがちがちと震わせる。


「い、嫌だぁぁぁぁぁ!」


 プルソンの絞り出した断末魔は、マルバスの刀が頭蓋骨をかち割る音と共に消えた。

 脳液を垂れ流しているプルソンの体は痙攣するごとに手足が変化する。

 両手が鳥の翼になったかと思えばごつごつとした岩のような両手に。両足が鱗に包まれたかと思えば虫の足に。

 うなじに羽毛が少し生えて動きが止まった。

 プルソンから一切の魔力を感知できなかった。完全に息絶えたようだ。

 死体を足で端にやる。

 敵勢力の一人を殺した。

 マルバスにとって今抱く感情はそれだけ。

 非情にならなければ殺される。組織の内輪揉めが起こった時から、その事は覚悟していた。

 手持ち無沙汰になったマルバスはこれから、誰かの加勢行くか、と考えていた。

 四人の仲間の内、グレモリーとサミジナは大丈夫だろう。アミーは十中八九サミジナと一緒。

 消去法で大和を加勢する事にした。人間という不利な点を加味すれば当然だが。

 刀を納めて、大和がいる第一校舎へ向かおうとしたその時、第一校舎の三階から何かが中庭に投げ出された。

 着地点にある木が意思を持ったように幹を捻り、太い枝でそれを打ち上げた。

 屋上へと飛ばされたそれを校門傍に根を張っていた大木が仰け反って待ち構えていた。


「大和……」


 護衛対象である大和は気を失っているようで、手足はだらんと重力に従っている。

 固有魔法『神速』で大木を斬ろうとしたが遅く、強力な頭突きが大和に直撃し、大和の姿は校舎を破壊しながら消えた。


「クソッ!」


 今からでも助けに、と足に力を入れる。

 だが背後から感じた強烈なまでの殺意で踏み留まる。

 抜刀して振り向くと、そこには黒い般若の面の正座した武者鎧。

 降って涌いたように現れた気配のなさ。

 大和のやられ様に注意を向けていたにしても、背後を取られたのは師匠であるベルゼブブ以来、初めての経験だった。

 マルバスはこの武者鎧がどれ程強いのかを察した。

 柄を両手で持ち、相手の動きを待つ。戦闘スタイルや固有魔法がわからない状態で不用意に飛び込むのは得策ではない。

 今すぐにでも大和の加勢に向かいたいが、未知の相手をのさばらせておくのは危険だった。


「かーっかっかっ!」


 武者鎧が笑う。手を叩く。怒りの般若の裏から笑う。


「中々良き判断をするな、若き獅子よ。血気盛んな奴かと思えば、いい意味で期待を裏切られる。これは楽しめそうだ」

「……お前、誰だ?」


 武者鎧の独り言を無視して問いかける。

 思えば最初から疑問に思っていた。

 図書館で銃撃に会った後、アミーが魔力感知で特定した人数。

 ――学校の周囲に魔力を感知しました! バルバドスさんの『障壁』です! さらに魔力が六つ確認できます!

 つまり障壁内の敵は七人。

 ただでさえ構成人数が少ないアガレス派がそこまで割いてくるだろうか。

 序列二位のアガレスがそんな馬鹿げた真似をするだろうか。

 外部の組織から応援を呼んだとしか考えられない。

 それにこの距離ならば魔力感知で誰かを識別可能であるが、七十二柱の誰かの魔力でない事もそう考える理由だった。


「ふむ、それがしが誰か、か」


 立ち上がり、刀を抜く。


「某に勝ったら教えよう。刀を下げた侍ならば刀で語れ」

「ああ、そうしよう」


 両者、刀を握り締め、構える。

 屋上に一時の平和が訪れる。

 あちこちで魔力の放出が感じ取れるが、マルバスは目先の敵に意識を向ける。

 仲間の勝利を信じる事しかできないのは歯痒くて仕方がない。

 どこからか一枚の葉がやって来た。風に流されるまま両者のちょうど中間地点に舞い降りた。

 それを開戦の合図に武者鎧が動き出す。


「受けてみよ! 某の剣技を!」


 刀を引き絞って突きの構え。

 間合いに入ったところで相手の突きを避け、反撃のパターンをイメージする。

 しかしまだ間合いの外だと言うのに武者鎧は刀を突き出した。すると、刀身がマルバス目掛けて伸びた。

 驚きつつも咄嗟に刀で弾く。

 今度は刀身が直角に曲がり、マルバスを斬ろうとする。

 それをもう一度、刀で弾いて難を逃れる。


「かーっかっかっ!」


 またも笑う武者鎧。伸びた刀身は元の長さに戻り、普通の刀の形になる。


「惚れ惚れする反応速度。某の初撃に初見で対応できた者はいなかったのだがな。やはり、貴殿とは楽しめそうだ。なぁ? 蠅の王の弟子よ」

「……」


 マルバスは無言を返した。

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