第二十一話・怠惰と強欲
館と聞いてどんな建物を想像するだろうか。
荘厳な趣のある屋敷。豪華絢爛な邸宅。はたまたただ広いだけの質素なもの。
なにせそこに住まうは悪魔界の英雄。最高権力者に相応しい館なのだろうと、勝手なイメージを持っていた。
しかし現実は質素どころの話ではなかった。
外壁の一部が落ち骨組みが剥き出しに。窓の役目を果たせない程、壁を這う蔦。庭の樹木は枯れ、弱々しい枝を伸ばす。錆びだらけの鉄柵と折角の装飾が台無しになっているロートアイアンの門扉。
館の大きさだけなら七つの大罪のビッグネームに遜色ない立派なものだが、その一点のみ。他に褒めるべき点はない。
「本当にここが大罪の館なのか?」
「見た目はあれだけど、確かにそうよ」
ずかずかと進んだグレモリーは門扉の錠を手をかざすだけで解いた。この女悪魔に罪の意識はないようで、マルバスとサミジナも彼女の行動を咎めることなく、さも日常茶飯事のように見守る。
「おーい。来たぞー」
「その気軽さなに?」
いくら関係が深いと言えど限度がある。
親しき仲にも礼儀ありという
「このくらいがちょうどいいんじゃよ。あちらも堅苦しいのは望んでおらぬ」
敷地内に入り、館の入り口へ近づく。
異様に大きい鉄枠の木の扉は堅く閉ざされており、ついでにボロい。壊れないかと心配になる。
「グレモリー、いるか?」
「二人はおるじゃろ。隠居人じゃからの」
「そうだな」
ガタリ。扉から物音がする。
ゴン。なにかを置いたようだ。
ゆっくりと扉が開く。油の切れた蝶番が不快な軋みを響かせる。
人一人分の隙間が出来た。
青肌に紫の爪、小さな手が扉を掴む。恐る恐るといった様子で渦を巻いた角が見え、緑の目が覗いている。
「久しぶりね、メリル」
「連絡なかったのですが」
柔和な笑みでサミジナが話しかけるが、メリルと呼ばれた女はじとーっとした目つきで迷惑被っているのを露にしている。
アポ無し、不法侵入、呼び出し。失礼極まりない行動はグレモリーが起こしたことだが、それらを見逃した大和達に連帯責任を負わされても言い返すことはできない。
「いつものことじゃろ。さぁ中へ入れろ」
「もぅ身勝手なんですから。いいですよ、どうぞお入りください」
投げやりな感じで扉を少し開ける。華奢な体で軽々と扉を動かすメリルの筋力は計り知れない。
メリルは一体何者なんだ。そんな大和の疑問は彼女の格好を見たことでで合点がいった。
フリルの付いたカチューシャ、黒のワンピースに白のエプロンを上に着ている。俗に言う、メイド服。
なるほど。メリルはこの館に仕えるメイドなのだ。
全員が館に入ったのを確認して扉を閉じる。側に置いていた横木を
「では参りましょう。こちらへ」
外装はボロでも内装は流石に―――。
そんな淡い理想はすぐに崩れた。
照明はロウソクだけ。絨毯が敷かれた通路がずっと続いて、暗闇で途切れている。
両側に扉があり、掛けられた看板には「下駄箱」、「物置」、「仮眠室」と、汚い字で書き綴られていた。
もしかするとこの館自体が魔法で作られた幻で、実際は大罪の館などありもしないのでは。七十二柱より上位の存在ならばそれぐらい簡単であり、囮のためにわざと倒壊してしまいそうな館を見せているのでは。
そう勘ぐってしまう。
「それで本日のご用件は」
「館には誰がおる? 色々と聞きたいことがあってな」
「ベルフェゴール様とマモン様がいらっしゃいます」
「オジキとマダムがいるのか。これは話が早いな」
ええそうね、とサミジナ。そうだな、とマルバス。
妄想に耽っていた大和は、大罪を司る悪魔の名前に機敏に反応した。
怠惰のベルフェゴール、強欲のマモン。
早速大罪が出てきたことに楽しみが溢れでそうになる。読み漁った神話系統の書物には必ずと言っていい程、その名前は書かれていた。
「なぁ、他の大罪達は?」
「………大和さん、でしたね」
振り返ったメリルに睨まれる。
悪魔界に転生して日が浅い頃に、ウォフ・マナフの住民から浴びせられた冷たい視線と同じものがある。
「かねてからお話は聞いています。グレモリー様方の仲間なので特別に、です」
「あ、はい。どうも」
グレモリーの威を借りないとどこへ行くにも苦労することになるのは、まだ変わらない。街を救ったり、避難作戦に従事したりしても種族の壁を越えることは当分先のようだ。
「館にもう一人いらっしゃいますが現在執務中です。他の四名は外出中。館にはいません」
事務的な回答。しかし、メイドなので当然のことである。
やがてメリルは立ち止まった。「遊戯場」と書かれた看板が下がった部屋の壁の向こうから男女の声がする。
「お二人はこちらで遊戯中です。くれぐれもご無礼のないように」
心なしか言葉の矛先は大和に向いているようだった。
メリルはノックを三回。二人の名前を呼んだ。
「どうした?」
「お客様です」
「ほう。珍しい。最近はめっきり来ないからな」
「入室してもよろしいでしょうか」
「いいぞ。ちょうど一試合終えた」
「わかりました」
扉を開けて、「どうぞ」と一言。
無遠慮に先陣を切るグレモリー。メリルに言葉を掛けて入るサミジナとマルバス。
因縁付けられては後々困ると判断した大和は会釈をした。最低限の礼儀だ。
遊戯場は中央に一卓の机。天井まで引き出しがびっしりと備えられた棚が壁代わりとなって四方を囲む。向かい合って座る二人の男女はいずれも巨体で、周りにはメリルと同じ服を着たメイドが十人程いた。
男の方がその体に釣り合う湯呑みで茶を啜る。
「待たせたな、客人よ。どんな用件で………」
禿げた頭に捻れた角が二本。白ひげを蓄えたしわくちゃな顔がグレモリーら悪魔三人を見ると、パァと表情を明るくしさらにしわを寄せた。
「おお! 我が娘達よ! よく来たな!」
「あら。グレモリーちゃん、サミジナちゃん、マルバスちゃん。いらっしゃい」
対面の赤い肌の肥満体系をし、きらびやかなアクセサリーを大量に付けた女性も顔を綻ばせる。
「娘なのか?」
「本当の娘ではない。まぁ一緒にいた時間は長いからの、家族も同然」
さしずめ育ての親と子の関係だろうか。
「お久しぶりです、ベルフェゴールさん、マモンさん」
「そんなに畏まるなサミジナ。家族だろう」
「マルバスちゃん、相変わらず男前ね。」
「ええ、お陰様で」
二人の他人行儀な話し方に大罪達は笑い声を上げた。
大和は得も言われぬ疎外感に苛まれていた。本当の家族のように接する彼らの輪に入るのは、あまりにも難易度が高い。
そんな様子をいつものニヤケ顔をしたグレモリーが大和の肩を掴んで大罪達に突き出した。
「オジキ! マダム! お主らに紹介するぞ! 件の転生者の大和じゃ」
笑いが止まる。四つの目がまじまじと大和を見つめる。
また下等種族だからと罵倒される予感がした。
悪魔界において人間を見下しているのが多数派で、グレモリー達のような分け隔てなく触れ合う悪魔が少数派なことはわかっている。
自分を殺した犯人の手掛かりが得られるかもしれない存在に忌避されては、もうどうしようもない。
が、大罪達の反応はその場の誰もが予想しなかった物だった。
「くっ………、うぅ」
「ベルフェゴール、娘達の前よ」
ベルフェゴールが泣き出したのである。それを慰めるマモン。零れる涙が床に水溜まりを広げていく。
大和も、グレモリー達も、メイド達も疑問符が浮かぶ。
「やっと、やっと身を固める決意をしたか、娘よ!」
なにか勘違いをされている、確実に。
「身を固める」という言葉には色々な意味があるが、女性に対して使うと「結婚して家庭を持つ」といった意味になるのを大和は知っていた。
グレモリーは美人だ。それは認める。だが恋仲になろうとは思わない。最悪で醜悪な性格をしているのが主な原因だ。
「グレム、なんとかしてくれ」
「わかっておるわ。オジキ、我はな」
「皆まで言うなグレモリー。種族、年齢、他からの奇異の目。それらの試練がお前達の恋仲を邪魔しているのは言わずともわかる。それでも!」
机に拳を打ち付ける。今しがたやっていたであろうチェスの駒が跳ねて落ちる。
「儂はお前達を応援しよう! なぁマモン!」
「勿論よ。娘の幸せが私達の幸せ。人間だからといって拒む理由はないわ」
「ああそうだ! 大和君よ! グレモリーを頼んだぞ! にしても這って歩いたあの子がこんなに大きくなったとは!」
「我の幼時は知らんじゃろ………」
それからグレモリーの良い所と悪い所をこれでもかと口にして、マモンと思い出話に花を咲かせ、また涙を流した。
ここでいつもなら論破合戦を開始するグレモリーだが、大罪の二人の勢いに分け入ることができないでいる。
大和にとっては種族の違いで忌避されないで良かったと、安堵の方が若干上回っている。二人の誤解は追々取り除けばいい。好印象を持たれていることには変わりない。
「これ止まらないわね」
「悪くない第一印象だな」
「貴様ら、他人事に思っておるな」
「勘弁してくれよ」
話が進まないと判断した一行は諦めて本題に移る。
一頻り感情を吐き出して落ち着いたベルフェゴールと慰め続けていたマモンに館を訪れた目的を話した。
大和を殺した犯人は誰なのか? どうやって人間界に来たのか?
ふぅむ、と顎ひげを弄りながら唸るベルフェゴールの眉間にしわが寄る。
「話は聞いていたが、難解な問題だの」
「愉快犯にしては手が込んでるわよね」
「リスクとリターンの採算が合わなさすぎる。だったら別の目的か」
腕を組んで上を向いてしまう。長い時を過ごしてきた大罪達とも言えど、今回の事件はイレギュラーであり知識の範囲を大きく越えていた。
七つの大罪まで頼ってなんの情報も得られないのではここへ来た意味がなくなる。
大和はそれだけは避けたかった。
一歩前に出る。
「ベルフェゴール、マモン。なんでも良いんだ。犯人のことについて小さなことでも良いから教えてくれ。立ち止まっているのは嫌なんだ」
頭を下げた。どうしても情報が欲しい。こんな境遇に立たせておいて姿を見せもしない犯人を許せはしない。
「私達からもお願いします」
「オジキ、マダム。頼む」
ただグレモリーだけがなにも言わないのは、単に頭を下げる行為自体が嫌いなのだろう。
「かっかっか! 頭を上げてくれ大和君。一つだけなら、ある」
ひた隠しにしていた秘密を言うような笑顔。
顔を上げた大和は二の句を待つ。
「君を殺した犯人は『
「『一成る者』?」
三人の悪魔を交互に見る。目を合わせる度、首を横に振る。耳にしたことがないといった反応だ。
多くの文献を読んできた大和もその言葉は初めて聞く。
「なんじゃい。その一成る者というのは」
「『一成る者』はこの世に存在する九つの種族の血を全て手に入れる事で絶大な力を手にした究極の存在。それになった者は………」
「者は?」
声が重なる。
『一成る者』になるとどうなるのか、全員が気になっている。
ベルフェゴールはなにを言うのか。固唾を飲んで集中する。
「どうなるかは儂は知らん」
「変な間を空けないでください」
「いやぁ、すまんな。実は『一成る者』に関する情報は少なくてな。あまり詳しくないのだ。儂が知っているのは今言った事のみ」
七つの大罪ですら詳しく知らない『一成る者』。それと大和がどういう関係があるのか、大和は瞬時に理解した。
九つの種族の内、一つが人間なのだろう。それが悪魔法の制定により入手が難しくなったため、転生という形で大和を人間界から連れ出した。
動機は間違いなさそうだ。
しかしまた次の疑問が生まれる。
『一成る者』になった後の事だ。ベルフェゴールはそれを知らない。
ならばと大和は尋ねた。
「『一成る者』の事が書かれた本とかないのか?」
「うぅむ、残念だが館にはないな。そもそも悪魔界にすらないかもしれん」
「なんでだ?」
「言論統制による
つまり『一成る者』に関する本は燃やされてしまい、もう存在しないということだ。
「でもまだ残っている可能性はあるわ」
マモンが口を開く。
「後世に伝えるため必死で本を残した悪魔もいるはず。それに本じゃなくても『一成る者』を知っている悪魔はいるわ」
「それこそ儂らの大将ならわかるんじゃないのか」
うんうんと頷くマモン。
ベルフェゴールが言う大将とは、馬車の中でマルバスが話していた生きとし生けるもの最強の剣士のことだろう。彼のことはまだ知らないが、きっと有益な情報を与えてくれるはずだ。
「役に立たない老いぼれですまないな。大将に会ってみなさい」
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