第二十話・七つの大罪

 ここはどこだ? 見た感じ牢獄のようだ。

 あまり良い気分はしない。嫌な思い出しかないからだ。

 上下を逆さまにした円錐形をした空間に鉄格子で閉じられた牢屋が何階層にも分かれて下までずっと続いている。

 特に目を見張るのは中央。浮遊する楕円形の檻に四肢を鎖で繋がれた子供が捕えられている。ボサボサに伸びた白髪が目元を多い、口は開きっぱなしで微かに動いているがなんと言っているのかは聞こえない。

 そこに一人の男が現れ、子供に問い掛ける。


「どうする? 付いてくるか?」


 一旦口の動きが止まり、また動く。なんと言っているのかは聞こえない。


「わかった」


 男はなにかを取り出す仕草をした。


 ※ ※ ※


 昨日見た夢の内容はまた奇妙なものだった。

 男の目的はなんなのか。あの子供はなんだったのか。

 中途半端な所で目が覚めたせいで心にモヤモヤが残って、とても良いとは言えない朝を迎えた。

 住民避難作戦の終了後、ウォフ・マナフの酒場で祝勝会が行われた。

 ヴァサゴを始めとする二十名程の七十二柱とその配下の悪魔兵は、アガレス派の管轄街に隣接する街へ防衛線を敷くためにすぐ出発した。

 一夜明け、大和とグレモリー、マルバス、サミジナの四人は馬車に揺られてとある場所へ。

 向かうは北。往来が多いのか、馬車の車輪と同じ幅の轍が遠くまで続いている。

 避難作戦の舞台であったフノスレン平原は嘘のように平穏で、唯一薙ぎ倒された木々が戦いの爪痕として残っていた。


「どこに行くんだ?」

「お主を殺した犯人を探しにな」

「見つかるのか!」

「わからぬ。じゃがなにか良い情報が聞けるやもしれん。今から行く所は歴戦の勇士がいる」


 あの傲慢なグレモリーが『歴戦の勇士』と呼ぶ悪魔がいる。これは期待が膨らむ。

 戦いと夢の事が重なって疲れがほとんど取れてない状態でいきなり連れ出された時は、『結晶』の衝撃波を味わわせてやりたい気持ちに駆られた。

 だが一応犯人探しに協力してくれるあたり、グレモリー自身も犯人が気になっているのかもしれない。


「私、用事があったんだけど」


 サミジナが両膝を抱えるように座って、不満げに漏らす。

 なんでも管轄悪魔には定期的に街の巡回があるらしく、今日の当番はサミジナだったようだ。

 グレモリーに強制連行されたため、急遽アミーに代わってもらったと大和に耳打ちしていた。


「どうせ巡回じゃろ。アミーとダンタリオンがおれば大丈夫じゃて」

「巡回を寝過ごしてすっぽかす奴が言うか」


 横からマルバスが突っ込む。

 やっぱりか、と口走りそうになる。グレモリーの性格を考えれば当然のこととも思えるが。


「グレム。仕事はちゃんとした方がいいぞ」

「たまにやっとるわい」

「毎回やって欲しいわ」


 三方から責めらた事で頬を膨らませて、外の景色に視線を逸らす。珍しくグレモリーが根負けした。

 仕事についてはお得意の暴論も通用しないとわかっているのか。普段きちんと仕事をこなすサミジナとマルバスにはその面だけはしおらしい。


「で、さ。その歴戦の勇士ってのは具体的にどんな悪魔なんだ?」

「七つの大罪を知っているか?」


 暴食、憤怒、色欲、傲慢、嫉妬、怠惰、強欲。この七つから成る人間を罪に導く可能性のある欲望及び感情のことを総称して七つの大罪と言う。それぞれの罪を冠した悪魔は豚や獅子などの動物の姿で描かれる事がある。

 マルバスが言うには、かつて起きた神悪魔連合対巨神軍ギガントマキアーという大戦争で悪魔軍筆頭として出向いた七人の悪魔。彼らはそれまで神が統べる神界の支配を長らく受けてきた悪魔界を解放した言わば英雄なのだと。

 現在は悪魔界の秩序を陰から守る、ソロモン七十二柱の上に立つ最高権力者らしい。


「そして彼らが悪魔界の礎、『悪魔法』を作った。もう千二百年前の事だ」

「じゃあ全員千二百歳を越えてるってことか?」

「正確な年齢は知らんが、認識は間違ってはいない」

「でも忙しさは変わらないからいるかどうかわからないけどね」


 幌から顔を出し、行く先の様子を確認しているサミジナが言った。金の髪がそよ風で小さく踊る。

 彼女らの存在は非常にありがたい。

 悪魔と聞くと、マイナスのイメージばかり浮かぶ。邪悪で狡猾で人間の魂を出しに使う。大和が読んできた本にはそんなことばかりが書かれていた。

 実際はどうだ。優しく、頼もしく、犯人探しという目的にも経緯はどうあれ協力してくれる。

 転生後の第一発見者が彼女らで良かった。つくづく思う。


「なんだかんだ言ってマルバスは、嬉しいのよね。これから会う方が」

「そうなのか?」

「………」


 無表情。碧眼がサミジナを一瞥、目を伏せて「まあな」と呟く。どこか恥ずかしそうにも見える、ぎこちない反応だ。


「七つの大罪の一人はマルバスの師匠にあたるの」

「剣術を教えてもらったってこと?」

「そうよ。それで私とグレモリーはマルバスと同期だから、そのよしみでなにかと世話になってるの」


 最高権力者に気軽に会いに行ける理由はそれだ。人間界に例えると会社の社長にアポ無しで行くようなものだ。

 しかも、あのマルバスの師匠となれば相当の実力者なはず。有力な情報が得られそうで益々期待できる。


「あまり聞くことじゃないかもしれないけど、マルバスの師匠は強い?」

「当たり前だ」


 先程とは違い素早い回答。


「七つの大罪のリーダー。悪魔界最高権力者にして最高戦力。神すらも凌ぐ実力。過去に挙げた幾つもの戦果。畏怖と羨望を込めて先人達は師匠に二つ名を付けた」

「ど、どんな?」

「生きとし生けるもの最強の剣士」


 ぞわぞわと微弱な電気が身体中を走り抜ける。心境の変化に呼応するかのように、石に乗り上げたであろう馬車が大きく揺れた。

 この世に生きる者で最も強い。大和の想像と遥かにかけ離れた二つ名。

 ということはだ。

 マルバスやサミジナはおろか、散々強者感を見せてきたグレモリー、森で戦った赤髪の女、まだ見ぬ七十二柱の悪魔達。

 それらより強い。

 向かっている場所からがこちらを見ているような感覚に襲われる。


「それだけ強いならこの内輪揉めも解決してくれるんじゃ………」

「お主、わかっておらぬな」


 端にもたれ、足を組んだグレモリーが言った。張りのある太ももに目を奪われる。それに気づいたグレモリーに肘で小突かれた。


「なんのために我らがいると思っとる。あ奴らが事変がある度にでしゃばっては仕事がなくなろう」


 仕事をしていない彼女が言うことではないと思うが。


「あくまであ奴らは最終手段。それこそ悪魔界が崩壊しかねん時とかじゃな」


 基本矢面には滅多に立たない、と付け加えた。

 悪魔界の至高の存在に胸が高鳴る。

 馬車は平原から森へ入った。ここを抜けた先に七つの大罪の住処があるのだという。

 森の入り口が木に覆われて見えなくなっていた。まだ一分も経っていないのにだ。馬車も速くはない。木に意志が宿り、入り口を隠したように思えた。

 さらに道の脇から動物がひょっこりと顔を出す。

 額に一つ余分に付いている三ツ目の獣だ。口が大きく裂け、無数の歯とこれまた目が付いた舌を見せつけて馬車に近づかない程度の速度でのそのそと追いかける。

 異形の獣に嫌悪感を覚えた時、森から「ケケケッ」と笑い声がした。

 ガサッ!

 木陰から飛び出した長い首の先端に目も耳も鼻もない頭部が大口開けて獣を食らう。上半身は口内に、残された下半身は何事もないようにトコトコ歩き、崩れる。


「グレム! あ―――」


 グレモリーの指で唇を押さえられる。静かにしていろ、とでも言わんばかりの視線を向ける。思えば、森に入ってから悪魔三人は喋っていない。

 そればかりか街を出てから一言も発さない御者も気になるところである。乗る際にしっかり見たはずの顔がわからない。頭に浮かぶはのっぺらぼうのような男だ。でも確かに顔の各パーツはあったはずだ。

 この薄気味悪さはなんなんだ。


「ねね、中見た? 人間がいたよ」


 幌の外から主の見えない声がする。一体だけでなく、気配から感じ取れるに、もっと、無数にいる。


「人間? 珍しいね」

「食っちまえよ。いいじゃんか」

「でも待って。グレモリーさんがいた」

「マジ。逆に食われちまうよ」

「逃げよ逃げよ」

「ちぇっ。せっかくのご馳走だと思ったのに」


 それを最後に気配がスーッと消えた。


「着きました」


 前方から無機質な声。馬車が止まって少しつんのめる。


「はよう行くぞ」


 大和の肩を叩いたグレモリーが親指で馬車の外を指す。足早に降り、大和、サミジナ、マルバスと続く。


「森にいたあれはなに? それに御者。あの冷静さはおかしいだろ」

「森のあれは考えるだけ無駄じゃよ。大罪らの愛玩、魑魅魍魎の類じゃ。御者は………見よ」


 顎でしゃくった先にはなにもない。だがそこは馬車が停まっていた場所だ。


「え?」


 辺りを見回すと木に止まる一羽の黒い鳥がポツンといた。

 鳥は大和へ嘲るように鳴く姿を羽で隠し、咳き込んで飛び去った。

 とにかく、腹が立った。


「鴉に化かされたな」

「狩ってきていいか?」

「よせよせ。今の目的はそれじゃない。この大罪の館に踏み入るのじゃ!」


 鴉への苛立ちを振り払い、大罪の館なる建物に目をやった。

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