第十九話・六魔将

 悪魔界二大首都の一つ、アンラ・マンユ。面積は十数ある街で一番、人口はアフラ・マズダに次いで二番となっている大都市である。

 街から程近い場所にある連峰に、加工に適した金属が豊富に含まれる大規模鉱脈が存在していることで、金属工業が盛んに行われている。製造される金属製品は多岐にわたり、ネジや歯車といった小物から勲章などに使うメダル、果ては武器まで。ドワーフの力もあり、市場規模を広げた結果、遠く離れた他の大陸まで製品を輸出している。

 これらの理由から悪魔界でも屈指の裕福さを誇る。

 街のど真ん中にそびえる城は、かつて悪政を敷いていた前国王の権力の象徴であり遺物。現在はアガレスとその他七十二柱が住居として扱っている。

 その城の三階に設けられた会議室に向かう悪魔数人。

 先頭に知的な雰囲気を醸し出す若い女性。二メートルはあろうかという身長と同じ大きさの剣を背負った鎧騎士。鎧騎士の肩に乗る短剣を持った少年。覚束ない足取りのはげ頭の老人。半裸に刺青だらけの男性。五人を追尾する宙に浮かぶ銀色の五芒星。

 彼らは仲間だ。と言われても一見しただけでは、そう断定できる者は少ない。

 しかし正真正銘、六人はアガレス派の七十二柱であり、仲間だ。それもアガレス直々に指名され「六魔将ろくましょう」という肩書きまで貰った実力者である。


「ねぇねぇ聞いた? レラジェ達の作戦大失敗だって」


片眼鏡モノクルを右目に、分厚い本を小脇に挟んだポニーテールに髪を結んだ女が口を開いた。


「左様であるか。誰一人として殺せなかったと」

「んにゃ、悪魔兵数人は殺ったらしいぜ。それでもダセェよな」


 鎧騎士が野太い声で言い、刺青男が笑う。


「ほっほ、どんな仕打ちが待っとるかな。拷問なら儂も参加しようか」

「おじいちゃん、趣味悪いよ」

「天寿を全うするだけのご老体には数少ない娯楽。小僧にはわからんよ」


 少年が顔を引き攣らせた。老人とは年齢差によるギャップのせいか、どうも気が合わない。

 五芒星は時々、円や四角等の図形を表面に出現させて動かす。特に口出せず、老若男女の話に聞き入っている。


「てかさー、なんで僕が六魔将に入らなきゃいけないの? 遊びたいんだけどー」


 少年が足をぶらぶらさせながら吐き捨てる。


「おうおう、お子ちゃまだこと。怖いのか?」

「バ、バカ! そんな訳ないだろ! 伯爵の命令だから従ってるけど、面倒くさいっていってるの!」

「だっはっは! 強がっちゃてるぅ」

「もー違うって! もっといるじゃん! ベレトさんとか例の人とかさ!」


 『例の人』と発すると、和やかな空気がピシリと張り詰めた。名を口にすることすら許されないあの存在は、六人にとっても危険な者であることに変わりない。

 鎧騎士がわざとらしく咳をする。

 しかし少年だけでなく六魔将全員、ベレトや「例の人」の方が序列、実力面において高いことは紛れもない事実。

 刺青男が唸った。代わりに鎧騎士が答える。


「考えてください。ベレト殿は隠密専門。単独行動が合っています。それに例の人が他人の命令を聞くはずはありますまい。先の作戦でも勝手に出陣したそうですぞ」

「なんと勇猛果敢なこと。羨ましい限り。儂もあと幾千年若ければな同行したものよ」

「おじいちゃん、何歳なの」

「こらこら僕~、失礼だよ~」

「お前の方が失礼だ!」


 五芒星以外がどっと笑った。

 少年は低身長なせいで子供扱いされるのが不愉快だった。見た目はどうあれ、六魔将の中では上から三番目に年上だ。


「んでさ」


 刺青男が話を変える。その視線は宙に浮かぶ五芒星に向けられている。


「さっきから喋らないけどどうかしたのか? デカラピア」

「………いえ」


 エコーがかった女性の声。五芒星に目の模様が現れる。


「なぜ私達が選ばれたのかとずっと思案していました。まず第一にこの六人の共通点をいくつかピックアップしましたがどれも私達じゃなくてもいいものです。ちなみにその共通点とは悪魔であるとか、魔法が使えるとか、同じ派閥であるとかです。あのアガレス伯爵の事ですからなんとなくで選んだとは考えにくいかと。第二にそれぞれの戦果を比較してみました。どなたも平凡な物でアスタロトが少し飛び出てるぐらいですね」


 ポニーテールの女性――アスタロトが「それ程でも~」と口角を緩ませてわざとらしく言う。刺青男が忌々しそうに顔をしかめた。


「戦果ではベレトや例の人の方が圧倒的ですのでこれも不適格だと。第三に私達同士の相性ですが、悪いとも言えないですし良いとも言えないです。管轄区も違えば性別、年齢も違うので当然かと思いますが。第四に」

「ちょいと待て」

「なんでしょう。まだ半分も達してませんよ」


 げぇ、と揃えて口にする少年と刺青男。デカラピアの言っていることが理解出来ていたのは最初だけで、その後捲し立てられる怒涛の情報量に勉学が苦手な二人は付いていけなかった。

 アスタロトと鎧騎士は静観し、老人は痩せ細った指で垂れ下がった耳たぶを弄る。


「老いぼれには耳が痛い。結論だけ言ってくれればそれでいいのだが」

「………そうですか」


 デカラピアは不服そうに呟き、黙り込んでしまった。


「デカラピア殿。貴女の分析は見事です。だが万人に伝わるよう端的に纏めるのも大事だと思いますぞ」


 鎧騎士のフォローにアスタロトが便乗する。

 デカラピアは無言で五芒星の色を黒く染めた。表情や仕草などで感情を表現することの出来ない彼女は、こうやって周囲に機嫌を示すことがある。

 平常時は銀。不機嫌もしくは暗い気持ちになった時に黒になる。

 つまり感情が表に出やすいのだ。

 それがおかしくて、またデカラピア以外が笑う。


「皆、着いたよ」


 雄々しいワニの彫られた両開きの鉄扉の前で立ち止まる。

 中から二つの魔力を感じた。アガレスと側近の悪魔がいるのだろう。


「アガレス伯爵。六魔将入ります!」

「おう」


 ノックを二回。しわがれた声がする。

 扉を開けると、縦に置かれた長テーブル。入口から最も遠い席、所謂上座に座るは堀の深い鋭い眼光のアガレス。隣には上下白のスーツの側近。

 机を隔てて対面する形で置かれた六脚の椅子。それぞれに裏返しにされた黒い紙があるのが、中央にある燭台の灯りで見えた。


「まぁ座れ」


 アガレスは思い思いの席に座った各人の顔を確認するように視線を回し、側近と目を合わせると顎で示した。

 咳払い一つ。ニコリと微笑んで側近が話す。


「皆様、ご足労いただき感謝します。本日召集致しました理由としましては、ある作戦を六魔将の皆様に一任することが決定されましたので、その作戦内容の共有がこの会議の目的です。ではまず、疑問をお持ちの方がいらっしゃるようなので質疑応答から参りましょう」


 薄く開かれた目は少年の方を向いている。

 外での愚痴が聞かれていたのは間違いなさそうだが、どうやったのかは不明だ。盗聴されているようには感じなかった。

 少年が居心地悪そうにしているのを見兼ねた鎧騎士がまたも代わりに答える。


「我輩達を六魔将に任命したのは大変嬉しく思うが、なぜこのような人選にされたので? 優秀な者ならばこの派閥には大勢おられますぞ」

「それは作戦内容を見ればわかりますので今は気にされずともよろしいかと」

「ふむ、了解いたした」

「他になにかある方は?」


 誰もなにも言わない。少年の抱いた疑問が唯一にして最も知りたかった事であるのは六人の総意。その答えを記す作戦はどんな物なのか。


「いらっしゃらないようですね。では、お手元の黒い紙をご覧ください。作戦書になります」


 一斉に紙を裏返す。黒い紙に白い文字でびっしりと書かれた作戦に、なぜこの人選なのか、その疑問が解決した。

 デカラピアの言っていた事は当たらずも遠からず。六人は管轄区、性別、年齢も違う。だが、その作戦をこなす上で六人の固有魔法の相性は抜群に良かったのだ。


「そういうことか。納得だぜ」

「ほっほ、こりゃ成功するに違いない」

「見事な人選です、アガレス伯爵」


 デカラピアが手を叩く音を出す。連られて他の六魔将も手を叩く。

 一頻り拍手が響くとアガレスが「もういい」と呟いた。鳴り止むと今度はアガレスが話し始める。


「成功するかはお前ら次第だ。万全に準備しておけ」

「期日などはありますかな」

「ない。進捗報告は逐一やれ」

「はっ」


 そういえば、と側近が思い出したように言った。


「伯爵様。例の人が来られていませんが」


 静寂が訪れる。

 これはほぼ条件反射のようなものだ。話題に出すだけでその場が凍りつく。

 共通認識として『例の人』の事を話す時には、全員が協力して無礼のないようにしている。

 反抗すれば殺される。名前を口にすれば殺される。

 どれ程の声量で話せばいいのか。そのボーダーラインは極めて曖昧だ。だからこそ細心の注意を払う。


「召集はしたのか」

「はい。ですが『気が向けば行く』とのことで」

「なにをやってるんだ」


 机上の拳に力が入っている。アガレスの机周りに亀裂が広がっているからだ。


「アガレス伯爵、机がもったいないですよ~」

「例の人なら来ると思いますぜ。どうせ、誰かの上で腰振ってるだけだろ」


 刺青男が高らかに笑う。

 バン!

 扉が弾丸かのように飛んだ。その先には刺青男。手前に座る少年と老人は運の良いことに座高が低く、また扉の回転具合も良い塩梅で身動きせずとも当たりはしなかった。

 普段なら飛んできた物を避けることは造作もない。が、笑っていた刺青男は咄嗟の判断が遅れ、扉に弾かれ下敷きになる。

 強大な魔力が部屋に入る。

 派閥の長がいるというのに無遠慮な足取りで進む赤短髪の女は上半身を胸部を簡素な布で隠しているだけの大胆な格好で壁にもたれ掛かる。腹筋は八つに割れ、腕にそこまでの太さはないものの前腕筋、上腕二頭筋、上腕三頭筋は逞しく幾つも溝を作っていた。鍛え上げられた肉体を見たアスタロトが目を輝かせる。


「遅いぞ」

「黙れ。俺にはまだ次が控えてる。早く用件を言え」

「貴様!」


 側近が腰の剣に手をやる。それをアガレスは手で制す。


「お前にはなにか作戦に参加してほしいとは頼むつもりはない。が、勝手にでしゃばった挙句一人も殺せなかったのはどういうことだ」

「俺はグレモリー以外に興味はない。あいつの行く所に俺も行く。そしてあいつを殺す。それだけだ」

「おい、アスタロト。作戦書を見せろ」


 はい、と返事をする。突然言われて慌てていたため、黒い紙を女に渡そうとして手を滑らせて落としてしまう。床に着く前に女が拾い上げた。

 女は紙に書かれた作戦に目を通し、六魔将が感嘆した作戦内容にも一切顔色を変えない。


「その作戦ならお前の殺したい奴に必ず会えるぞ」

「………いつ頃になる」

「さぁな。こいつらの頑張り次第だな」


 アガレスは親指で六魔将を指した。

 女の視線が六魔将一人一人に突き刺さる。刺青男は側近の協力もあって鉄扉からようやく抜け出していた。


「決行日になったら知らせろ」


 女は手の上で作戦書を灰にして立ち去った。


「決まりだ。牽制だの脅しだの、そんなチンケなことはもうしない。本格的に戦いを仕掛けるぞ」


 残った作戦書を燭台の炎で燃やす。

 この炎は戦火になるぞ。

 誰かがそう呟いた。

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