第十八話・無慈悲の黒剣
プルソンが変化した竜に乗って撤退するバルバドスとベリスは重々しい空気に押し潰されそうだった。
ムードメーカーであるはずのプルソンは黙ったままで背に乗せた異様な存在に恐れをなしている。行きの際はふざけて危なっかしい飛行をしていたが一転、安全第一に考えられた落ち着いた飛行をしている。
バルバドスは前方に直立する人物を見る。
赤髪の短髪に引き締まった体。光を反射しない黒い剣。そして髪と剣の色に合わせた戦闘服。
並の七十二柱とは比べ物にならない強大な魔力は彼女特有の物。固有魔法は炎系だったはずだが、常時悪寒を感じざるを得ない。悪魔兵であれば気絶してしまうだろう。
あいつが来るなんて聞いてないぞ。
作戦要綱にはなかった異常事態とも言える救援は、敵味方問わず恐怖を与えていた。
「おい。もっと速く飛べないのか役立たず」
冷徹な物言い。プルソンを二、三度蹴る。竜種の鱗の頑丈さは周知の事実だが、パキパキと薄氷のように割れてしまう。
「痛、痛いです! すす、す、すみません! 飛びます! 飛びますから蹴らないでください!」
「なら速くしろ。どいつもこいつも使えない」
どいつもこいつも、か。
バルバドスは足元の仲間を見る。
大きく抉れた脇腹、異常な方向に曲がった左手足。今にも途切れそうな呼吸。
森で敵を待ち構えていたレラジェが痛々しい姿で放り投げられた時は三人とも顔が青ざめた。
「バルバドス、お前もだ」
「お、俺もか」
「当たり前だ。お前の『障壁』がありながらサミジナに翼を撃ち抜かれるとはどういうことだ」
心臓が跳ね上がるような感覚になった。彼女は一体いつから見ていたのだろう。まさか最初からか。
「す、すまない。障壁の範囲を広げるのを怠っていた。俺のせいだ」
あの時、バルバドスの固有魔法で守っていたのはプルソンの腹の辺りだけだった。それだけで良いと思っていたが、翼を狙ってくるとは予想外だったのだ。すぐさま障壁を再展開しようとしたが、これには少々時間が必要だ。詠唱を始める前にプルソンと共に墜落してしまった。
「ベリス」
「な、なに?」
女の説教は続く。
「あの兵のばら撒き方は下手くそのすることだ」
「いや、アタシはバルバドスの指示に従っただけだし」
女がバルバドスをジロリと睨む。目を合わせないように露骨に視線を逸らすが、視覚外から感じる威圧感に鳥肌が立つ。
ベリスに指示はしたが、それはタイミングの話であってばら撒き方には特に口出ししていない。
いつもはのらりくらりと言い訳をして相手が根負けする戦法をするベリスが、責任転嫁をしているのをバルバドスは初めて見た。女に怒られたくないことは明らかだ。
ベリスの嘘は女には通用しないようで、
「最終的な判断を下すのはお前だ。人のせいにするな雑魚め」
と言われてしまう。
「だったらアタシだって言わせてもらうけど、そっちこそ先遣隊の誰かにやられて来たんじゃない訳?」
血の気が引いた。
バルバドスだけではなく、最初に叱られたのを良い事に我関せずといった様子のプルソンもだ。
アガレス派、いや七十二柱が全員知っている。
彼女に口答えすれば無事では済まない、と。
無論、例外はいる。女の真の強さを知らない者か命知らず。或いは、強者であると自負している者。
だが大多数の七十二柱はその姿を見ただけで大人しい犬と化す。
「ぽっと出のアンタにぐちぐち言われたらイラっと来るんですけど」
ベリスもその事実を知っているはず。
それでも果敢に、愚直に言葉を紡ぐ。
いくら女が強いとは言え、ろくに作戦に参加せず終わってから口を出すなど言語道断。バルバドスとプルソンが思っていたことを代弁したベリスはある種の英雄だ。
言う時は言える奴なのかと感心したのもほんの僅かな間だけ。
女がベリスにゆっくりとした歩調で近づくと、さっと顔色が変わる。
「あ、いや、その、今のは冗談で………。ほ、本気にしちゃった? ご、めんね。アタシは………」
女に冗談は通じない。
「………」
「ひっ」
ベリスの真正面に立つ女は頭一つ分大きく、見下す紫の目は筆舌し難い光を帯びている。
女が腰の剣に手を掛ける。
ベリスの恐怖心を煽るには充分過ぎる、とても小さな動作だった。
これから起こる事が幾多にも想像できる。
自分の末路を悟ったベリスが取った行動は、
「ごめんなさいごめんなさい! 本当に許してください! 生意気な口を利いてごめんなさい!」
七十二柱の威厳の欠片もない謝罪だった。
膝立ちで顔の前で両手を合わせ、涙を流しながら、時折しゃくりあげながら許しを請う。
目も当てられなかった。
「もう二度と逆らいません! あなたの言うことだけ聞きます! だからお願いします! 許してください!」
神経を逆撫でするいつもの語尾を伸ばす喋り方の片鱗もない。ただ今から降り掛かる最悪の事態を免れようと必死になっている。
助けたい気持ちはあるバルバドスとプルソンだが、ここで横槍を入れればベリスがやられた後の標的は自分達に移るとわかっている。
保身に走るしかないのだ。
「お願いします! ア………」
「俺の名前を気安く呼ぶな」
ヒュッ。
空気を切る音。
女はいつの間にか抜剣していた。挙動が全く追えなかった。
ボトリ、となにかが落ちる。遅れて襲い来る激痛でベリスは、自分の左肩から先が切り落とされたのに気付いた。宿主を失った腕から肩から血が流れ出て、元々赤かったプルソンの体をさらに赤く染める。
「ああああああああああ! 痛い! 痛い! 腕! アタシの、腕っ!」
「ベリス!」
「ベリス、本部まで耐えろ。大丈夫だ」
背中を擦り優しく語り掛けるが、反応はない。虚ろな目で切り落とされた腕を見ている。
小刻みに震える右手は左手を掴むために頼りなく伸びる。
風に飛ばされてしまってはいけない。バルバドスも取ろうとした。
「無能には片腕で事足りるだろ」
無慈悲にも女が蹴り飛ばした左手は雲の下へ消えていった。
「あ、あぁ………。アタシの、ああああ、腕、が」
女を睨みつけそうになるが咄嗟の所で止めた。
次はお前が逆らうのか、とでも言わんばかりの山のような威圧感が頭上から降り注いでいた。
このまま顔を上げたらどうなっていた事か。腕か足か、眼球を貫かれたなんて話も聞く。無闇に刺激すべきではない。
「良い判断だな。バルバドス。その判断力を実践で活かせればこうはならなかったのにな」
当然の如く見透かされる。
女に読心術はない。長年に渡り向けられた評価と実際に相対した者の行動を見ていく内に、考えている事がわかるようになった。
二人を尻目に女は最初に立っていた位置に戻る。
剣を収めようとしてほんの数センチ、ベリスの血が付いているのに気付いて舌打ちをした。
あんな弱者の血など触れるだけで穢れてしまう。そうならないために振るスピード、角度を調節して切った。なのに血が付いている理由は一つ。
思い浮かぶは赤銅色の長髪に深紅の双眸。グレモリーだ。
森での一撃が表立たない形で体に影響を及ぼしていたせいで、剣が僅かに鈍ってしまったのである。
「………死ね、あいつ」
血を拭って、収める。
また憎しみが一つ増えた。此度の抗争で必ず殺さなければ。
「どれくらいだ」
「は、はひっ!」
「どれくらいで着く」
「あ、ああ、十分ちょっとです!」
この鬱憤を晴らさないと夜も眠れなくなる。憎しみが怒りとなり、体が震えるのだ。
そうだ。いるではないか。瀕死と今しがた痛めつけた奴が。
後ろを振り返った女はあの二人を使った戯れに心踊らせ、普段誰にも見せない歯を唇の隙間から覗かせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます