第十七話・焦炎の強敵と恐怖のグレモリー
『結晶』の魔法は利便性に優れている。攻撃するだけでなく盾にすることもできる。
自由落下していく大和は結晶で足場を作った。
想像力は魔法を鍛える上で重要、とグレモリーやマルバスが言っていた。平凡な魔法でも使いようによって化ける。そうやって生き抜いてきたのだと。
レラジェの所まで結晶の階段を繋ぐ。
与えたダメージは相当な物だと思うが、もしもを想定して駆け足で向かう。
土煙が風で流されて姿を現したのは、脇腹が大きく抉られ、左手足が異常な方向に折れ曲がっているレラジェだった。その周りは衝撃波の威力でクレーターが出来ている。
「お………ご、ぼぇ」
「まだ、生きてるのか」
あの時、グレモリーがトドメを刺した。
今回は大和の番だ。七十二柱の一角を自分で殺す。
剣を頭上に掲げる。力を込めて振り下ろそうとした時、天から迫ってくる強大な魔力に恐怖を感じ、レラジェから離れた。
さっきまで立っていた所に剣を携えた人物が降り立った。
燃えるように赤い短髪。グレモリーに匹敵する長身だが、彼女とは違い肌の露出は少い。女気がない動きやすさを重視した、赤と黒を基調にした戦闘服でスレンダーなボディラインを包んでいる。
携えている剣は全体が真っ黒で細い剣身に、鍔は炎を思わせるうねりがある。
紫の瞳の三白眼が恐怖を増幅させる。
「無様なものだな。この落とし前、どうつけようか」
「ぁ………う」
「喋るな、弱者が。殺すぞ」
冷徹な言葉に怯えたレラジェが首を振る。
途轍もない威圧感に足がすくむ。
敵であることは間違いない。が、向かい合っているだけでわかる。
こいつは、強い。
「さてと。お前が元凶だな?」
剣を抜いた。一歩近づく。
「人間の身ながらこいつを追い詰めたということはそこそこの強さを備えているのだな」
また一歩近づく。
大和は気圧されて一歩退く。
「恐れているのか、俺を。戦ってもいないのに」
女性の声色ながら「俺」という一人称に疑問を持つが一瞬で消えた。恐怖が思考のほとんどを埋める。
歯がカチカチと音を立てる。今すぐにでも逃げ出したかったが、そうしないのは背を向けたら殺されると思ったからだ。
今は戦闘の意志は多少なりともあると見せかけでも牽制しておいた方が良い。通じるかどうかは別として。
「お前は、誰だ………?」
「今から死ぬ奴に名乗る必要があるか? こんな茶番は嫌いなんだ。お前を殺してさっさと帰る」
そこで赤髪の女はなにかに気付いたようにハッとする。そしてなぜか険しい顔付きになり、歯を食い縛る。睨まれただけで気を失ってしまいそうな憎悪と怒りに満ちた視線は大和の背後を見ている。
遅れて大和も気付く。一つの魔力が迫ってくる。一緒にレラジェを追いかけていたあの悪魔がたった今大和に合流しようとしているのだ。
「グレモリー………」
赤髪の女が呟いた。
迫り来る彼女は大和の上を飛び越えて、女へ襲いかかった。
「会いたかったぞ! 我が
鋭爪シアチを装備したグレモリーの上段からの鉄鎚を女は微動だにせず剣で受け止める。地面が陥没する程の威力がありながら女の表情は変わらない。
「腕は落ちておらぬじゃろうな!」
「………れ」
「あん? 聞こえぬぞ」
「黙れって言ったんだよ」
グレモリーの腕を押し返して横薙ぎ。それを反対の爪で受け、空いた方でもう一度仕掛ける。女は体勢を低くして避け、グレモリーに足払いをする。
「見えておるわ!」
飛び跳ねた。空中で体を捻り、爪を振り下ろす。女がすぐに距離を取ったため当たらなかったが、そのまま地面に突き刺し、石畳の一部を剥がして女に放り投げる。
女は手で払ってどかす。が、視界が数秒遮られた内にグレモリーは接近していた。
巨躯から繰り出される両手爪での連撃を一本の剣で捌く女が恐ろしい。もっと恐ろしいのがグレモリーだ。命の奪い合いにも関わらず、彼女は笑みを絶やさなかった。この状況を純粋に楽しんでいる。
やがて二人はお互いの武器をかち合わせて動かなくなる。
「なにがおかしいんだグレモリー。お前殺されたいのか」
「やれるものならやってみよ。お主も無事では済まぬがな」
女の瞳孔が開く。グレモリーの言葉が余程頭に来たのか、あらん限りの力でじりじりとグレモリーを後退させる。そして一気に押してグレモリーを離すと、文字通り無防備な腹に蹴りを入れる。と同時に飛び退いて間合いから逃れる。
鎧で守られている部分は胸と太ももを除いた下半身のみ。鎧の意味があるのかといつも思う。だが恐らく、今の蹴りはグレモリーにとって大したダメージではないだろう。
「はははははははははははははははは!」
狂ったような笑い声を上げているのがそう思う根拠だ。
訳がわからない。なぜ笑える。なぜいつもより一層楽しそうなのか。
疑問と恐怖が脳内を駆け巡る中、解答をグレモリーが言う。
「良い! やはりお主は良いぞ! 我と対等に戦えるのは今ではお主ぐらいじゃ! ヴァサゴとあの小娘とは戦えんからの! 久々に血が滾る! さぁ死合おうぞ!」
グレモリーの魔力が増大するのを感じた。
こいつは、戦闘狂だ。ただの戦闘狂じゃない。自分が認めた強者と殺り合うのが大好きなのだ。
疑問は晴れたが、またもう一つの疑問が浮かぶ。
グレモリーはなぜバアル派なのだろう。
性格上、特に序列に関してこだわりを持っているわけではなさそうだ。戦いが好きなら、力で支配しようとしているアガレス派にいてもおかしくはない。
ますますグレモリーのことがわからなくなっていく。
「相変わらず気持ちの悪い奴め。死合いたいのは俺もだが、また別の機会だ」
「む、我に会いに来たのではないのか?」
「バカ言え。俺がここに来たのはあくまで現状把握の一環。それだけだ」
「じゃが大和を殺そうとしとったじゃろ」
「敵一人でも殺そうと思ったのは事実。本来の目標はヴァレフォル辺りだったのだが、森で大きな魔力放出があった。で、行ってみたら」
瀕死のレラジェをチラリと見る。
「この人間がいた訳だ」
「なるほどな。それなら納得じゃ」
「お前さえ来なければさっさと帰れたのにな」
「すまぬな」
グレモリーに抱き寄せられる。豊満な胸が腕に当たる。
「こやつを守るのが我の仕事。お主を殺すのも我の仕事。こう見えて忙しいんじゃよ」
「グレムさっきまで俺のこと目に入ってなかったろ」
「興奮しておったのじゃよ。許せ」
女がグレモリーと戦うことが目的でないと言ったから冷静さを取り戻したのか、魔力の増大が収まっていた。
「それならそいつを守ってみろ。俺の一撃からな」
女が獲物を狙う獣のように体勢を低くする。剣を持つ手を目一杯伸ばし、振りかぶる。黒剣に炎が宿り、腕、体、足へ。女の全身を覆っていく。
「熱っ! なんだよこの温度!」
「奴は炎系最上級魔法を有しておる。あれを食らえば我とて無事ではない」
「ならどうすんだよ!」
「ちと失礼するぞ」
グレモリーはなにを思ったか、爪の先端で大和の腕に小さな切り傷を付ける。そこから出た少量の血を両方の爪に塗った。
「グレム?」
「我が鋭爪シアチの固有魔法は『吸収』。血を取り込み、持ち主の魔法を宿せるのじゃ。」
僅かに塗布された血は鋭爪シアチに染み込むと、素早く赤い線が走る。爪全体に幾何学模様が描かれると、形状が変わっていった。
「鋭爪シアチ型式変化『結晶』。大和よ、伏せておけ」
鋭爪シアチが青く光る。五本爪だったのが合わさり、三本爪に。加えて長さも伸び、緩やかな湾曲も真っ直ぐになる。全体的に厳つさがなくなりスラリとしたフォルムは西洋の剣を想起させる。
「行くぞ!」
「死ね」
二人同時に駆け出し、二人同時に技を合わせた。
「
「焦炎猛撃裂!」
グレモリーの言葉通り伏せた。
凄まじい衝撃波と高温に意識が飛びそうになる。
グレモリーの背後の木々は全て灰と化し、女の背後の木々は全て根っこごと薙ぎ倒される。長い歳月を掛けて形成された森林は二人の激突によって破壊された。
競り合いになる。どちらが押し勝つのか。
女の力はどれくらいか、大和は想像つかない。グレモリーが「対等に戦える」と話しているからにはグレモリーと同じくらいの強さを持っているということだ。
だとしたら負けてしまう可能性もある。
それは絶対に嫌だ。
「負けるな! グレム!」
強者二人の魔力放出による爆音は大和の声を搔き消してしまうかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。
ウザい時もある。一発殴りたい時もある。怖いと思う時もある。だがそれ以前に、グレモリーは命の恩人だ。
大和が後押ししてくれたおかげか、それともグレモリー本来の力か定かではないが、グレモリーは大きく一歩踏み出す。
「おおおおおおおお!」
グレモリーが叫ぶ。
グン、と女の方が押され、力任せに振り切られて後ろへ飛ばされる。その先には
「やった、のか?」
「否、あやつの強靭さは指折り物じゃ。どうせピンピンしとるわい」
「追うか?」
「もういい。それに見よ」
グレモリーが指差す先には大きなクレーター。レラジェが地面に衝突した際に出来たものだ。そこにいるはずの者がいなかった。
「レラジェは?」
忽然と消えていた。動けるような状態ではなかったはずだ。
「奴じゃよ。我に吹き飛ばされた時、レラジェも掴んだのじゃ」
「なら、飛ばされたのはわざとなのか?」
「違うな。むしろその最中に撤退を決めたのじゃろう。そこでしか機会がない」
遠くで竜が飛び立った。サミジナが翼を貫いた赤い竜だ。避難民の隊の進行方向とは真逆へと去っていくことから本当に撤退している。
避難作戦は終わった訳ではないが、脅威の排除にハァと安堵の息を吐いた。
「大和」
「なに?」
グレモリーに対面する形で抱き締められる。
胸あてが顔に当たって痛い。胸の谷間が目の前にある。さらに、頭を優しく撫でられる。
「感謝するぞ。お主の声、しっかり届いた」
「いや! 待て待て! 離せよ!」
「なぜじゃ? この絶世の美女に抱かれるなど幸福以外の何物でもあるまい」
確かに美女だけど、と言いそうになって止めた。調子に乗らせたらもっと面倒なことになる。
寝る時にも同じベッドで抱き締められることはあるが、それとはまた違う。戦いに一段落が付いた安心感と抱擁による脳内物質の分泌で得られる安心感と相まって、不本意ながらも大和に大きな癒しをもたらしていた。
そこに近づく足音二つ。
「グレモリー! 大和君! 大丈夫?」
「無事か?」
最悪のタイミングでサミジナとマルバスが合流した。
油の切れた機械のようにぎこちない動きで振り返る。
サミジナは頬を赤らめて目を伏せ、マルバスは呆れたように溜め息を吐き、頭を抱える。
「なにをしているんだ」
「おお! サミジナにマルバス! 見てわかろう! 熱い抱擁を交わしておるのじゃ!」
「自信満々に言うな!」
グレモリーの言い方では大和も合意の上でしているといった誤解を与えてしまう。察しの良い二人ならその心配はなさそうだが、他の悪魔が見たらどう思うか。
とにかくまずすべきことはグレモリーを引き剥がすことだ。
普通にもがいても無理なので、しゃがんで下からの脱出を試みるとスルリと抜けることができた。残念そうな顔をするグレモリーには構ってられない。
「違うんだマルバス。これはだな」
「いい。無事なことはわかった。それだけで充分だ。隊に戻るぞ」
そう言って踵を返した。
いつもより早口で話題を転換が速いのは、気まずさがあるせいだ。
余計なことに突っ込まない辺り、マルバスの優しさが垣間見えるが、今はそれがとても痛い。大和としては少しでも慰めの言葉を掛けて欲しかったが。
「薄情じゃの」
「原因はお前だよ。勘弁してくれよ」
「我々も行くか」
「その切り替え、羨ましいよ」
「そう褒めるな」
「皮肉で言ったんだけど」
そうこうしている内に避難民の列が森であった所に差し掛かっていた。
長い避難作戦が終わろうとしていた。
街はもうすぐそこだ。
隊伍に加わり、残り少ない道を進む。幸いにも、もう敵は現れる事はなく、無事に先頭がウォフ・マナフの門を潜る。
「この度の作戦! 住民の被害はない! 散った悪魔兵を弔え! 尊い犠牲があってここまで来れた! 俺達の勝ちだ!」
「おお!」
門の上に飛び乗ったヴァサゴが叫ぶ。拳を天高く突き上げた。悪魔兵も声を上げ、拳を天高く突き上げた。
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