第十五話・森に潜む
雲より高い場所、赤々とした鱗の上にいる二人の男女。
一人は茶色の長髪の男。額の中心から分けられた髪は風になびき、陽に照らされて艶めいていた。和風な着物姿で腕を組み、目を閉じている。
もう一人は胡座をかき、前髪を均等に切り揃えた金のボブヘアー。黒い瞳の目尻には悪魔の尻尾のタトゥーが入っている。大胆にも半袖半ズボンヘソ出しという姿で自身のネイルアートの状態を確認している。
眼下には五つの列。
今まさにバアル派の悪魔が民の避難をしている最中だった。
「ねーえー、バルバドスー。いつになったらさー、帰れんのー? アタシー、友達とさー、カフェ行かなきゃならないんだけどー」
「今日は空けておけと伯爵は言ってただろ。なんで予定を入れる」
「だってさー、すぐ終わると思ってたからー。このままじゃー、予約キャンセルしなきゃじゃんー」
バルバドスは語尾を逐一伸ばす彼女の喋り方にはうんざりしていた。
アガレスから直々に指名されて意気込んで望んだものの、メンバーの相性がすこぶる悪い。特に言いつけを守らないで、もう作戦終了後のことを考えているベリス。彼女の不真面目さはチームに《あつれき》軋轢を生む。
とはいえ命令したことには渋々ながらも従うためあまり文句は言えなかった。
アガレスは実力至上主義。要は結果を出せればそれでよしなのだ。
「愚痴を言わないでくださいよ。ただでさえバルバドスさん不機嫌なんですから」
竜に変化したプルソンが言う。
「不機嫌じゃない!」
「不機嫌じゃーん。ウケるー」
ケラケラ笑うベリスとプルソン。悪魔に年齢の概念を持ち出すと面倒なことになるが比較的若い世代である二人はかなり馬が合うようで、バルバドスは孤立感を否めない。
「でー、この作戦いつ終わんのー?」
「俺達の参謀からそのうち連絡がある。それまで待て」
「はぁーあ、だっる」
「バルバドスさん」
またも愚痴を漏らしていたベリスを今度は注意しようとしたところでプルソンが話に割って入る。
その顔はバアル派悪魔の隊列から少し離れた小規模の森に向けられていた。
「入ったか?」
「多分、先遣隊ですね。やっぱり警戒ゼロで通ってはくれませんね」
分裂前は何十年、何百年と付き合いのある七十二柱もいる。互いの手の内はある程度は把握できる。
あの森が今作戦において重要な場所であることは双方承知。先遣隊には主力レベルの悪魔を送るだろう。
それを見越して既に戦力は森に配置されていた。
「あれだけで平気ですかね」
「草木に囲まれた場所はあいつの庭だ。一人ぐらい削ってくれる」
森には七十二柱が一人と率いる軍団の悪魔兵がいる。それにその悪魔は森で敵を待ち伏せすることを自ら買って出た。
大丈夫だ、と言うバルバドスの後ろでベリスは興味なさそうに眉を整えていた。
バルバドスは次の行動をプルソンに指示した。
※ ※ ※
時刻は昼間なのに背の高い木々の枝葉が天蓋になって陽光を遮っているせいで、森の中は薄暗い。
以前は街道だった名残が、苔に覆われた石畳から見て取れる。今となっては悪魔民の代わりに幻獣が踏み荒らし、僅かながらへこみを作っていた。歩いている時の違和感はそれだ。
街ではこの森は凶悪な幻獣の巣になっていると専らの噂で、何度か討伐隊が送られたが無傷で帰還した彼らは全員口を揃えて言う。
――まだ早かった、と。
その意味を理解した者はいない。七十二柱も無闇に調査することなく森を立ち入り禁止区域に制定した。
と、いうのが噂に尾ひれが多く付いた結果である。
事実は昔街道だったことと幻獣――凶悪ではない――が住んでいることの二つのみ。
そんな森を進む四人の影。
先頭はグレモリー。無用心にもコートのポケットに手を入れ、堂々と歩くのは己に対しての絶対の自信故。だが警戒を怠っている訳ではなく、時折木の上、草むらに目を配る。
その後ろに大和、マルバス、サミジナと続く。三人はグレモリーとは違い、各々の武器を構え、いつどこから奇襲に遭っても対応できる準備は万端である。
ちなみにアミーはというと隊列に残っていた。
「アミーだけで大丈夫かしら」
「心配性じゃな。アミーだけじゃあるまい。あやつ自身も申し分ない力を持っておるわ」
「それはそうだけど………」
大和は左翼班が気がかりだった。
あらかた空から降ってきた敵を倒し、一息ついていたらヴァサゴがやって来た。「あの森を探索してきて欲しい!」と初対面の時となんら変わらぬ声量で言った。
例の如く、仕事を押しつけられることには慣れているグレモリーが
大和は強制連行。マルバスとサミジナも同行しようか迷っていたが、アミーの「私が絶対守ります!」と言って無い胸を張っていた。
アミーは七十二柱で一番の新顔らしく戦いの場数もそれほど多くないのだが、威厳と自信に満ちた彼女の発言を取り下げて誰か残るのは、とても失礼だと誰もが感じていた。
かくして四人は先遣隊として森へ足を踏み入れた。
森の中心部まで来たところでグレモリーが足を止めた。
なぜグレモリーが止まったのか、その訳は大和もわかっていた。
「ここだけ魔力が渦巻いてるな」
「わかるか大和。中々勘がよいではないか。感心じゃの」
「グレムは集中しろよ」
敵がどこに潜んでいるか見当もつかない場合、打開する方法は二つ。
一つは『索敵』の固有魔法を使うこと。これはこの場に使える者がいないため不可能。
もう一つは敵が発する魔力を感じ取ること。この方法は『索敵』程正確ではないが、訓練により誰でも習得できる技術である。使いこなせれば敵の位置、人数だけでなく個人を特定することもできる。
だが弱点も多い。例えば予め魔力を放出させておき、敵を撹乱させ、その間に当の本人は別の場所に移動する。またこれも訓練によるが魔力の放出を抑える技術もあり、それを使えば簡単には捕捉することはできない。
大和の魔力を感じ取る技術はまだ荒削り。それでも感知できたのは、わざと魔力を放出させているケースだろう。
「鬼が出るか蛇が出るか、はたまた魔が出るか。楽しみじゃのぅ」
「静かにしろグレモリー。そんな軽口叩いてる暇があるなら感知領域を広げろ」
マルバスが言い終わった途端、草むらからガサガサと音がした。全員の視線がそちらへ向く。
「油断しないで。敵かもしれないわ」
音は四人へどんどん近づいていき、その姿を現した。
「ウサギ?」
真っ白なウサギが四人を見つめる。疑問を抱いたように首を傾げ、ふい、とそっぽを向くと可愛らしい動きで歩き回る。
「ただのウサギではないか。我々も鈍くなったものじゃの」
「『我々も』って一緒にしないでよ」
サミジナが顔を赤く染めながら言う。
「ここにいたら危ないわ。どこか離れたところにやらないと」
「放っておけ。そんな小動物にかまけてる場合ではないぞ」
「でもやっぱりダメだわ。ほら、こっちにおいで」
サミジナは手を差し出しながらウサギを追いかける。
「あやつ小動物には目がないな」、「昔からだ」と、グレモリーとマルバスが小声で話す。
やがて自分を追う若い女性に興味を示したウサギがピタリと静止する。サミジナに正対して、距離を縮める。
嫌な予感がした。敵が潜伏しているかもしれない場で、小動物と戯れているのを傍観しているだけだろうか。
今一番危険なのは周りが見えていないサミジナだ。
名前を呼んだ時には手遅れだった。
「きゃあ!」
「サミジナ!」
中腰でウサギを招いていたサミジナが一歩踏み締めると、地面が陥没し、
それを合図にしていたのか、武装した悪魔兵が草むらから木の上から取り囲む。
「へへっ、序列四位のサミジナさんがこのザマとはね」
声のする方向には椅子の形をした枝に足組みして座る男がいた。髪を後ろで束ね、森に溶け込む緑と茶色の迷彩服を着て、逆さ吊りのサミジナを一目見て嘲笑していた。不思議なのは男を乗せた枝が意思を持っているようにゆっくりと下降していたことだ。
「レラジェ………!」
サミジナが憎たらしく言う。
「おい、サミジナをすぐに降ろしてこの森から去れ。命だけは助けてやる」
「それはできないぜマルバスさん。俺らが一番恐れてるのはアガレスさんだからね。命令以外の敵前逃亡は許されないよ」
「死にたいようだな。力の差をわかってないのか?」
「わかってないのはそっちさ。俺っちの固有魔法は『植物』。そしてここは植物が生い茂る森。つまりだ!」
レラジェはバッと手を広げた。
「ここは俺っちの
レラジェの言うことだけ聞くと、彼の固有魔法とこの場所とは相性がよさそうだ。自分が座している枝も固有魔法のおかげで間違いなさそうだ。
アウェーなことはさることながら人質的な立場のサミジナのこともある。
状況は少し劣勢か。
大和もマルバスもサミジナもそう思っていた。邪智暴虐、厚顔無恥の悪魔を除いて。
「くだらぬな。敵地じゃろうと関係ない。仲間は死なせん、お主は殺す。それだけよ」
グレモリーの、この状況を劣勢と感じさせない物言い。そして口角を上げる。鋭く尖った犬歯が見えた。彼女の余裕さが今はとても頼もしい。
「おぉ、言葉だけは勢い良いね。俺っちがあんたらの立場なら半分諦めてるよ」
「お主のちっぽけな物差しは当てにならんわ。立ちはだかるなら葬るまでよ」
グレモリーはなぜか大和の襟元を掴む。大和は数秒後の未来が
「グレム? や、やめろ」
「心機一転。お主の強さをあの
「後で覚えとけよ!」
豪快な投擲フォームから投げ放たれた大和はレラジェに向かって一直線に飛んでいく。
不敵な笑みのレラジェがすぐそこまで迫っていた。
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