第十四話・右翼班
左翼班の班長はサミジナ、中央班の班長はヴァサゴ。それぞれの班で序列が高い悪魔が班長に任命されていた。
順当にいけば右翼班班長は序列五位のマルバスがなるはずだったのだが、団結力を理由にマルバスは左翼班の副班長になった。
そのためヴァレフォルは、半ばマルバスの代役となる形で右翼班班長に任命されたことは不本意だった。
七十二柱任命の時から気に食わなかったマルバス。序列が一つ上だというだけでなにかと比較されてきた。
「クソが」
呟いて上を見る。赤い竜がシャボン玉のような物をばら蒔いていた。
あの赤い竜にもシャボン玉にも見覚えがある。
序列二十位プルソンの『変化』。序列二十八位ベリスの『使役』。
前者は幻獣、他の悪魔に姿を変えることができる固有魔法。後者は術者と簡易契約を結んだ者を手中にし、いつでも呼び出せる固有魔法だ。
術者本人もかなりの実力者だが自ら手を下さず、悪魔兵に任せているあたり舐め腐っているとしか考えられない。
――こちらの戦力を量っているのか? それとも………。
考えるのをやめる。
今は与えられた任務を遂行するのみ。
シャボン玉に向けて手をかざす。
「
一定の速度で落ちてきていたシャボン玉が一様に鈍のろくなる。地面に到着するのがいつになるかわからない。
亀の歩みだ。気が遠くなる。
ヴァレフォルの固有魔法『遅延』。端的に言えば、速度を遅くする汎用性の利かない魔法だ。マルバスの『神速』とは対に位置する。
ヴァレフォルはこの魔法に目覚めてから永く使ってきたが、戦闘向きではないと自覚していた。
敵の攻撃を避けやすくしてカウンターに繋げやすいと言えば聞こえはいいかもしれないが、それだけだ。
魔法発動前に攻撃が当たってしまえば意味はない。それならば先打ちできるマルバスの魔法の方が評価は高い。
そういうところもマルバスが気に食わない理由の一つでもある。
「ヴァレフォルちゃん」
背後に魔力を感じる。軽々しい呼び方と色っぽい声色で、面倒くさい奴が来た、と舌打ちをする。
広い鍔に先の尖った黒い帽子、切れ長の目にピンクの唇ピンクの長髪、胸の谷間を見せつけ、下手すれば陰部が見えてしまいそうなくらい丈の短い服。長手袋にブーツ。そして、宙に浮く箒ほうきに乗る彼女はまさに魔女といった風貌だ。
「ちゃん付けするなバシン! 気持ち悪い!」
「あらあら傷ついちゃうわ。私はただ、ヴァレフォルちゃんが可愛いだけなのに」
「それが嫌だと言ってるんだ! いい加減わかれ!」
「怖いわぁヴァレフォルちゃん。任命当初の初々しさが、私は好きだったのに」
「黙れ!」
ヴァレフォルとバシンは同じ街の管轄悪魔であり、勤務歴ではバシンが先輩にあたる。
当時の呼び方が現在まで変わっていないためプライドが高いヴァレフォルとしては早くやめて欲しい一心だった。
「にしても、プルソン君もベリスちゃんも遠回しな攻め方ね」
「知るか。アガレスの指示だろ」
「でも兵の無駄遣いだとは思わない? 向こうは七十二柱の人数も少ないから従えてる軍団の数も多くないはずよ」
「確かにな」
七十二柱は一人づつ軍団と呼ばれる悪魔兵の隊を率いている。一隊約三十名。それがいくつか集まって軍団を形成している。
ヴァレフォルの軍団は三十六。つまり千八十名の悪魔兵を任意で呼び出し、戦わせることができる。志願制で集まった彼らは共に戦いたい七十二柱を選ぶので忠誠心が非常に高い。
忠実な部下が出来たと思う者がいる一方で、忠誠心に目が眩んだ彼らは捨て駒として扱われることに疑問を持たなくなる。
雨霰のように降るシャボン玉の中にいるであろう悪魔兵は七十二柱の役に立てることが至上の喜びなのだ。
「それで、あの子達はどうするの? 生け捕り?」
「まさか。避難民に危害を加える存在には変わりない。全部撃て、バシン」
淡々と命令するヴァレフォルに、うふふと微笑むバシン。
彼女はかつて、仕事を教わり、懸命に背中を追っていたヴァレフォルが今や誰かを指揮するまでに成長したのが嬉しいのだ。
「なにがおかしい」
それをヴァレフォルは気づいていないようだけれど。
「なんでもないわ。片付けましょう」
バシンは胸の谷間から杖を取り出した。巨神器ではないが妖精の森にある神樹から作られた由緒正しい杖だ。素手で発動するよりも、これを介することで威力や発動速度が上昇する効果がある。
未だに低速落下を続けるシャボン玉に杖を向ける。
他の七十二柱や悪魔兵には「班長がなんとかしてくれるわ」と言い、護衛に集中させるよう指示しておいた。
「魔に宿りし力よ、強き光となり、数多の敵を穿て」
先端が紫に煌めく。徐々に大きくなり破裂したかと思うと、無数の閃光がシャボン玉目掛けて飛んでいった。
一つ一つ確実に閃光の餌食となり、通った跡にはシャボン玉は消失していた。中にいる悪魔兵まで消し去ったのだ。
バシンの射程範囲内は全て撃破したようで、閃光は次なる標的をプルソンが魔法を使って『変化』している赤い竜へ変えた。
無防備にも腹を見せて悠々と飛ぶプルソンに閃光が命中―――、
「なっ!?」
しなかった。
見えない壁に弾き返された。壁は紫色の輝きを見せ、数回点滅した後、何事もないように消えた。
ヴァレフォルは驚きの声を上げ、バシンも同様に「まぁ」と驚く。
「『障壁』か?」
「そうね。並大抵の防御魔法じゃ、私の『閃光』を防げる訳ないもの」
敵の七十二柱はプルソンとベリスだけかと思ったが、考えが浅かった。
見つかりやすいように竜を使ったのも、竜自体で攻撃しなかったのもこれでわかった。
背中に乗っているアガレス派の七十二柱を隠すためだ。
「思ったより用意周到ね。こればかりはあっちの軍師を褒めるしかないわ」
軍団を戦わせるだけでなく、術者は『障壁』に守られた安全な場所で高みの見物。胸糞悪かった。
「あれ、破壊できるか?」
「うーん、私だけの魔法じゃ厳しいわね。そもそも破壊できたなんて話聞いたことないけど」
「見ることしかできない、か」
中央班と左翼班の現状が気になるがどちらも悪魔兵ごときに遅れを取るような者はいない。
プルソンが火を吐いたりしなければこのまま犠牲者は出ずに任務を終えることができる。
と、避難民を乗せる荷馬車が急に速度を上げた。
前方から巨大な馬が近づき、すぐ傍で止まる。
「二人共無事か!」
兜を装着したままだが必要以上の大声を発して話しかけ、巨大な馬に見合う大男はただ一人。
今回の任務の最高責任者であるヴァサゴだ。
「ヴァサゴ。いいの? 持ち場を離れて」
「おおバシンか! 相変わらず阿婆擦あばずれみたいな服だな!」
「それは左翼にいるあの子よ。一緒にしないで」
バシンはおそらくグレモリーのことを言っているのだろう。見るからに不快感を示している。
「がっはっは! すまんな!」
「で? 持ち場を離れていいの?」
「構わん!今全体に早馬を走らせているところだ! 上の若僧が仕掛けてくる前に街に到着させる!」
「避難民の被害は出ているか?」
「いいや! そういった報告はない! 全軍奮闘しているようだ!」
よかったと胸を撫で下ろすバシン。対して、ヴァレフォルは警戒心を解くことなくヴァサゴに尋ねる。
「降りてきた悪魔兵はどうなってる?」
「左翼班が一番数が多かったらしいがこちらの兵の被害は軽いものだ! 俺が行った時には既に全滅していた! 中央班も同じくだ!」
まぁそうだろうな。
内心思う。
まだ油断はできない。この先に一つの山場とも言えるものがある。
進路を塞ぐように生い茂る森だ。小規模だが敵が隠れる可能性はある。
陣形を展開する前に一度だけ森を徹底的に下見をした。
怪しいものはなにもない。敵がいる様子もない。そう報告されていた。
ダンタリオンも『監視』を使ったようだが「誰もいなかったね」と、あくびをしながら答えていた。
しかし敵の準備のよさから、森にこちらを陥れる罠を仕掛けてないと考えるのが逆に不自然だ。
「わかるぞヴァレフォル! あいつらの軍師もダンタリオンに引けを取らない優秀さだ!」
「弱い悪魔はいてもバカはいないものね。きっといるわよいるわよ」
「いるな」
動きを先読みして森の索敵を終えた後に敵を配置していたとしたら? 知らずに森に入った悪魔を討つ準備をしているとしたら?
「おーい、ヴァサゴ、ヴァレフォル、バシン。聞こえる?」
ダンタリオンだ。
「聞こえているぞ!」
「ヴァサゴだけに報告しようと思ったけど二人もいるみたいだからついでに言うよ。悪い報せだ」
ついで扱いされたことについてはなにも突っ込まなかった。それで一々話を長引かせてはならない。
「森が見えなくなったんだ」
「なにもか!」
「なにもだね。
「わかった! 念のため他の奴らにも共有しておけ!」
「はーい」
気の抜けた返事だ。真面目に仕事しているのか不安になる。
「ビンゴだ!」
ヴァサゴは悪い報せの割に妙に嬉しそうだ。
「なにが嬉しい?」
「予め森に先遣隊を送り込んでおいた! グレモリー達だ! あいつらなら制圧してくれるに違いない!」
結局あいつらかよ。
誰に言うのでもなく小さく漏らす。
ヴァレフォルは序列六位だ。それなのに低順位のグレモリーを行かせるのか。グレモリーが行くということはサミジナも行く、マルバスも行く。もしかすると巨神器を覚醒した大和も行くだろう。
人間よりも役に立たないと思ってしまう。
「あいつらが抜けた場所は右翼と中央の七十二柱で補おう! 配置は追って知らせる!」
ヴァレフォルの気も知らずにヴァサゴは走り去ってしまう。
「くそ!」
「私はヴァレフォルちゃんの味方だから。ね? 今は任務を遂行しましょ?」
「わかってる」
地団駄を踏むヴァレフォルを、バシンは慰めるように声をかけた。
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