第十三話・他を殺めるということ

 翌日、早朝から避難活動は始まった。被害を受けた四つの街、ミスラ、アールマティ、ラシュヌ、スラオシャの悪魔民約十万人の大移動。

 バアル派の作戦はこうだ。

 まず十万人を半分にし、それぞれ別のルートを進ませる。護衛する七十二柱と悪魔兵は避難民の列を間に入れるようにして左翼班、中央班、右翼班の三班分かれる。上から見たら悪魔達の列が五つになっているということだ。

 尚、バアル派を全て避難任務に動員させては街の防御が手薄になるため、今回の任務には約半分にあたる三十五名が参加し、残りは街に留まり避難民の受け入れや防衛に回っている。

 大和達は左翼班におり、サミジナやマルバスとは離れた位置にいるが、なぜかグレモリーは大和と一緒にいた。事前に伝えられた作戦では七十二柱の悪魔は等間隔に配置され、一定の範囲内を見張らなければならない。グレモリーも本来は大和から数百メートル離れた位置に着くことになっていた。


「なんでここにいんだよ」

「あんなしょうもない作戦に従ってられぬわ。それよりもウォフ・マナフ管轄悪魔としての大和の護衛をした方が有意義じゃ」

「作戦を無視するのはどうかと思うけどな」

「昨日に空威張りした奴が偉そうに言うでない。怖いんじゃろ」


 やはり悪魔相手では隠し通すのは無理があったようだ。気持ちの悪い笑みで挑発してくるグレモリーはいつ見ても憎たらしい。

 生命を殺めること、自分が殺されることに怯えることは当たり前だ。いくら力を手に入れようとも使わなければ意味がない。グレモリーやマルバスは長い間、力を使ってきて敵を殺してきたのだろう。そうでなければ、殺す覚悟も殺される覚悟もあるなど軽々しく言えない。

 馬の鳴き声で我に返った。顔を上げると全身青銅色の鎧兜を装備した男が、輓曳ばんえい競争馬を彷彿とさせる大きな葦毛の馬に乗って二人の前に立ちはだかっていた。


「二人共! 仲が良いな!」


 大声でそう言って男は兜を外した。見た目は三十代、黒髪を天を衝くようにツンツンに立たせ、左頬の辺りに雷に打たれたような傷があった。


「ヴァサゴか。持ち場を離れていいのか?」

「がっはっはっ! お前が言うか! 作戦書にあった位置とかなりズレているがな!」


 ヴァサゴは七十二柱序列三位。穏和な性格で、魔道書ゲーティアにしか詳しい記載がない謎が多い悪魔である。だが文献とは違って、豪放磊落ごうほうらいらくな性格に見える。

 よっ、と言って下馬したヴァサゴはグレモリーに負けず劣らずの長身だった。鎧で実際のところはわからないが腕の太さが頭より大きい。パワー系のようだ。


「お前が大和だな!」


 ギンと開かれた眼と急な大声のせいで驚いてしまう。ヴァサゴは手を差し伸べていた。


「俺はあの裁判にはいなかったが噂には聞いている! フルングニルを覚醒させたらしいな! 種族は違えど志は同じだ! 一緒にこの抗争を止めようぜ!」

「あ、はい」


 ヴァサゴと固い握手を交わす。力が強過ぎて右手に痛みが走る。痛がる大和を見て「すまん!」と一言、力を緩めてくれた。できれば鼓膜を破られかねない声量もなんとかしてほしいのだが、彼のアイデンティティーな気がしてやめた。


「もうすぐ住民の避難を開始する! 心してかかれ!」


 兜を被り、肩の高さ程のもある馬の鞍までジャンプしただけで飛び乗った。馬を羽上げて去っていった。

 ヴァサゴが味方なのは全員頼もしく思っているだろう。相手に二の句を継がせないところがグレモリーに似ている。熱血漢というかなんと言うか、とにかく勢いが凄い悪魔だった。

 少しの時間も経たない内に、頭に声が響いた。ダンタリオンだ。


「こちらダンタリオン。今から住民達が街から出てくる。敵がいつ攻撃を仕掛けてくるかわからないが、最善の注意を払って護衛にあたってくれ。以上」


 緊迫した状況だからか、いつもの気だるげな感じは全くなく声に張りがある。


「気を引き締めるとするか。心の準備はよいか?」

「まぁ一応はできてる。住民を守ればいいんだろ」

「言うは易し行うは難しじゃ。思うことがその通りに行くとは限らん。アガレスの奴がどんな戦術で来るか楽しみじゃな」

「そう思ってるのはお前だけだぞ」


 舌なめずりをするグレモリーに冷たく言い放つ。相変わらず考えてることが全く読めない。

 しばらくして遠目に荷馬車が見えた。

 大和の位置はフノスレン平原の中間地点である。

 そこから考えるに避難民の先頭は五分の一程度は進んでいるのだろうか。

 敵がどこかにいる様子はない。

 時々平原の向こうや空を見る。少し進んだ所に小規模の森があるが身を隠せそうなのはそこだけで敵からしたら攻め放題だ。

 逆に言えばこちら側も早期発見ができるメリットがある。


「目を凝らせよ。奴らが現れるのは一瞬じゃからな」

「わかってるって」


 ここまで持ち場を放棄しているグレモリーが呟く。

 今頃彼女の持ち場では悪魔兵が慌てているだろう。

 気にかけてくれるのは嬉しいが、それに伴って周りに迷惑をかけるのは他の上に立つ存在として如何なものか。

 その事を彼女に注意しても聞かないのはわかっているけれど。

 十分ぐらい経って荷馬車が大和の前をゆっくりと通る。

 両親と子供三人、全員が青い肌をした家族が乗っている。

子供達は和気藹々わきあいあいと楽しげに話しているのは、現在の状況が把握できてないか知らされていないかのどちらかだ。

 比べて両親は子供からの問いかけにひきつった笑顔で答えて、強引に場を盛り上げようとしている。

 生まれ育った街が争いの最前線になる、と。子供に言える親はそういない。

 双方のテンションの差が見てて胸が締めつけられる。


「あの無知で無邪気な餓鬼を守るのが我らの任務じゃ」

「………」


 わかってる。言うと軽い印象を与えてしまいそうな気がしてなにも言わなかった。


「あれはなんだ!」


 悪魔兵の誰かが叫んだ。

 地平を見渡す。敵の姿はない。

 今度は空を見る。逆光で識別しにくいが赤い竜が飛んでいた。

 赤い竜はこちらの動きを偵察するように円を描きながら悠然と飛行する。


「グレム」

「まぁ落ち着け。ここで討っても下にいる我らに被害が出るだけじゃ」


 もう一度、竜を振り仰いだ。腹の辺りからシャボン玉のような物が落ちてきている。

 グレモリーの目が変わった。


「弓兵! あれを一つ残らず撃ち落とせ!」


 鬼気迫る号令に悪魔兵は一斉に弓を構えて放つ。

 いくつかは命中していくつかは外れた。仕方ない、ゆらゆらと動く手の平に乗る大きさの的を射貫くのは簡単なことではない。

 隣でチッと舌打ちが聞こえた。


「ダンタリオン! 全御者に速度を上げるよう伝えろ!」

「そう怒鳴らなくても聞こえてるよ」

「大和! 剣を抜け!」

「え? グレム?」


 あのシャボン玉にあそこまで敏感になる理由がわからなかった。

 それを知ることになったのはすぐだった。

 ちょうど大和の真上に来たシャボン玉を見ると中に人が入っていた。

 疑問を抱く暇もなく、割れたシャボン玉の中の人は大和と同じ大きさにまで巨大化し、持っていた剣を振る。


「うお!」


 飛び退いて避けた。

 相手の剣は地面を跳ね返り、深い刀痕を残す。

 第二撃、第三撃を続け様に繰り出してくるが特訓で鍛えた動体視力で見切る。

 四回目の攻撃を避けたところでがら空きの腹に前蹴りを当てる。

 ぐっ、とうなって後ずさりした。

 その隙に剣を抜いて構える。

 あの竜はいわば母艦。グレモリーが怒鳴る理由がわかる。

 周りではすでに戦闘が始まっていた。

 弓兵のおかげで多少、数は削れているがそれでも、避難民を守りながらの戦いには苦しんでいる。

 敵も味方も一人が倒れ、また一人が倒れる。まだ息がある者もいれば、一目で死んでいるとわかる者もいる。

 迷っていた。

 適当に痛めつけて戦闘不能にするか、確実に息の根をとめるか。

 相手は鼻息荒く、油断したら飛びかかってきそうだった。

 早く決断しなければこちらが殺されかねない。

 距離を推し量っているとなにかが頭にポンと乗った。

 グレモリーの手だ。


「大和。お主の思うところはわかる。じゃが、殺さなければ殺される。これからはそんな敵ばかりじゃ」


 表情は窺えないがその声色は優しいものだった。反面、殺伐とした現実を教えてくれている。

 グレモリーがどれ程の死線を掻い潜ってきたのかは想像できないが、説得力はあった。

 今更なのはわかっている。オセーを半殺しにし、ゴーレムを粉微塵にした。

 それなのに今対峙する相手と戦うのに躊躇ちゅうちょしているのかと。

 生き抜くには殺すしかない。

 そう吹っ切れた。


「あああああああああああ!」


 雄叫びを上げながらの突進。相手は大和の豹変ぶりにすくんでいる。

 すぐに構え直し、大和の顔面狙って鋭い突きを飛ばす。

 命中する寸前で顔を逸らす。頬が斬れたのは大した問題ではなかった。

 相手の懐に潜り込んで一旦停止。剣を引き絞って、大地を蹴る。

 胸を狙った真っ直ぐな突きはいとも容易く貫通した。

 地面に力なく投げ出される相手。見下ろす大和。

 胸の傷口から血が拍動に合わせて飛び、ピシャピシャと血溜まりを作る。

 少しだけ、少しだけ殺した事実を噛み締めていた。術者から生み出された存在ではない、本当の生命。

 もう戻れない。


「おらぁ!」


 横から敵が来た。が、すぐにグレモリーの鋭爪シアチが顔を切り裂いた。

 返り血が顔に、肉片が足に付く。


「心飛んだか?」

「………まだ、ある、と思う」

「無理しておるな。泣いておるぞ」

「え?」


 熱いものが伝う感覚。頬の傷に染みる。


「精神的に参ってるのじゃよ。どうする? このまま帰るか? 我は別に構わんがの。一人で充分じゃ」


 グレモリーの皮肉がいつもより苛立ちを助長させる。

 帰る? 非力な悪魔達を見捨てて?

 そんなこと自分が許さない。

 今自分に課せられた任務は避難している悪魔民を守ること。


「やれる。大丈夫だ」

「今度は虚勢でなければよいがの」


 グレモリーは敵の集団に飛び込み、容赦なく爪で裂く。長身から繰り出されるリーチの長い豪快な連撃は敵を瞬く間に肉塊に変えた。

 それに続いて大和も走り出す。

 やるべきことをやろう。

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