第十二話・次の任務
ウォフ・マナフに帰ってきた大和とグレモリーを待っていたのは住民達の歓声だった。ほんの数日前までは冷たい視線を浴びせてきた悪魔が感謝の言葉を発する。
なんという手のひら返しだろうか。彼らに危害を加えられたことはないが、あの生き辛さを感じさせる行動にはいくら感謝されようとも心を許すことはできない。例えるなら、昔いじめてきた相手が後になって「あの時はごめん。これから仲良くしような」と言われた感じに似ている。
アカ・マナフの住民からもお礼はされたが、数時間滞在した街と一週間を超えて滞在した街とでは思い入れに差がある。
そう思っていると角を生やした壮年の男が大和の前に跪き、石畳に頭を擦り付けて土下座の形をとった。
「大和様、アカ・マナフを救ってくださりありがとうございます!」
大和が反応する間もなく男は言う。
「実はアカ・マナフの方に私の娘夫婦がいまして、大和様のご活躍で救われたと言っておりました! 本当にありがとうございます!」
グレモリーから聞いたのだがウォフ・マナフとアカ・マナフは街の名前が似ているからか姉妹都市に認定されており街同士、住民同士の交流が他の街より活発なのだそうだ。この男悪魔のように隣街に親族が住んでいるなんてことも珍しくない。
歓声に加えて指笛が響き、紙吹雪が舞う。アガレス派に勝った訳でもないのこの盛り上がりだ。
この場から逃げ出したくなる。自分の精神と周囲の温度差に耐えかねていた。
「貴様ら!」
グレモリーの大声に体がビクついた。住民達の歓声が一気に消える。
怒っているがどこか呆れているような顔のグレモリーの次の言葉を待つ。
「今まで散々大和に蔑んでおいてその態度はなんじゃ! 謝罪の言葉一つも無しに褒め、崇めることで帳消しにしようとしておるのか! そんな者達のために大和は戦っておるのではない! 大和がいることの有り難みをもっと知れ! そして今ここで大和に許しを乞え! さもなくば我が全員八つ裂きにしてくれるぞ!」
「グレム!」
さすがに言い過ぎだ、と言おうとした。
何度でも言おう。こいつなら本当に口にしたことをやりかねないと。
擁護してくれているのは伝わるが非常に荒々しい。出迎えてくれた人垣がどれほどの規模かわからない。今の声量ならば広範囲にグレモリーの怒声が耳に入っているはずだ。どこからか赤ん坊の泣き声がした。
さぞ、住民も怯えていることだろう。いきなりあんなに怒鳴られたら誰だってそうなる。大和だってそうなる。
「大和様」
未だに跪いている男悪魔が大和を見つめる。
「大変申し訳ありませんでした!」
もう一度土下座をした。頭を下げるのが速かったせいで、ゴキンと嫌な音が鳴った。だが男は痛がる様子も見せなかった。
「グレモリー様の言う通りです。私達は大和様を種族が違うというだけで見下し、精神を削るような冷遇をしてしまいました。私達の言動は無かったことにはできません。ですが、これだけは聞いていただきたい。数々の無礼、本当に申し訳ありませんでした!」
「申し訳ありませんでした!」
男の謝罪に続いて、両サイドの悪魔達が一斉に頭を下げる。練習していたのかと疑いたくなる息の合わせぶりだ。
「議事堂へ行くぞ。皆が待っておる」
「お、おう」
議事堂の方へ歩いていくと、街の中心のはずなのに人が少ない。凱旋の見物に住民の大多数が流れたせいだ。
「お主に土下座しておった者がおるじゃろ」
不意にグレモリーが呟く。
「あやつはこの街の首長じゃ」
「は? じゃあお前めちゃめちゃ失礼なことしてるじゃん」
「なにを言うか。我らあっての立場じゃ」
民主主義に従って街の住民の中から多数決によって決められる首長はそこまでの権力はないらしく、七十二柱と悪魔民とでは価値観に大きな違いがあるとされて設けられた役職だ。管轄悪魔が不在の時に指揮を執ったり、住民の意見を持ってきたりすることが仕事である。
「我が偉いことには変わりないわ」
高らかに笑う。雑音がないため、外にも関わらず響いている。
議事堂の会議室に戻ってきた。大和とグレモリー以外は全員出撃前と同じ席に座っていた。帰還するまでそんなに時間は経っていないはずだが、その間の出来事は濃厚だったからか妙な懐かしさを感じる。
「やぁ、おかえり。ケガはないかい?」
「お帰りなさい! お二人共、お勤めご苦労様でした!」
参謀長のダンタリオンが一番に気だるげな声をかけた。正反対のアミーの元気一杯な労いに癒される。
「
「そうもいかないよ。
「わかっておるわ。じゃが長引かせる意義を感じん。焦れったいわい」
グレモリーは戦いに飢えている。この点は大和を殺した犯人が放った「私は退屈しているのだよ」との発言と似た意味を持っている。
ただし戦いに飢えているからといって犯人と決めつけることはできない。それだけでわかるのだったら、オセーも候補になる。
「お疲れ様。お陰で両方の街に被害はなし。死傷者もゼロよ」
よかった、と大和は胸を撫で下ろした。今回攻めて来たのはゴーレムの軍団だけだったものの、なんらかの被害が出てしまっては責任を負うのは自分だ。
被害無しの報告を聞いて心の重しが消えたような感覚になる。
「それで次の任務がついさっき来たわ」
面倒臭そうにグレモリーが溜め息をつく。サミジナがジロリと睨むが意に介してない。
「今回の侵攻で被害を受けた東の四つの街があるのは言ったわよね。その街の住民を二大首都の一つ、アフラ・マズダに避難させることになったわ」
任務の詳細をサミジナは次のように語った。
アガレス派が支配する地域に隣接する四つの街の住民約十万人をフノスレン平原を越えてウォフ・マナフまで避難誘導することが大和達に課された主な任務だ。数が多いためバアル派の悪魔の大半を動員して行う。力で覇権を握ろうとしているアガレス派がなにも行動しないとは考えにくく、兵を送る可能性が大いにある。それらから住民を護衛することも必要だ。
避難を終えた後の街はアガレス派との戦いに備え、防衛線として七十二柱と悪魔兵を常駐させるそうだ。
「私達はウォフ・マナフまで。そこから先はバアルが引き継ぐわ」
「仕事が楽でよいの。なぁ? 皆の衆」
「楽って思うのはいいけどちゃんとやってよね」
話を聞いている限りでは十万人もの悪魔達を一度に移動させるような便利な魔法はないと思える。あるならばそれを使ってさっさと避難を完了させているはずだ。
つまりどういうことか。
非力な十万人は陸路か空路を地道に進むしかないということだ。
その大移動をたった七十二名、正確にはアガレス派を除いて五十名程の悪魔が護衛するのである。
いくら悪魔の中でも上等な存在の七十二柱の面々であってもさすがに無理がある。護衛するより殺す方が簡単だ。
「守るのは無理。そう思ったな?」
グレモリーが気持ちの悪い笑みで言った。大和はなにも言葉を発していないが、心の内が筒抜けだった。読心術でも使えるのだろうか。
「思ったさ。現実的に考えて守りきれる数じゃないだろ」
「人間の考えとは浅はかなものよ。確かに守るべき者の数は多い。じゃがの、それだけで無理と決めつける理由にはならん。守るべき者は皆守る。そう課せられたのならば全うするまでよ」
グレモリーのやる気のありなしはどこで決まるのだろう。文句を言いつつも結局やるというのは、アカ・マナフ防衛戦の前の作戦会議でもわかることだ。なんだかんだで仕事熱心な奴なだけかもしれない。
「他の悪魔も協力してくれるなら心強いぞ。ま、我には及ばんがな」
自信家なのもその要因の一つと考えられる。
「大和君が心配するのもしょうがないわ。でも大丈夫だから」
「待て、サミジナ」
後ろに座っているマルバスが口を開いた。振り返るといつになく険しい顔をしている。
「任務が成功するかしないかはこの際どうでもいい。俺が聞きたいのは、大和」
「俺?」
「お前が他人の死に耐えられるかだ」
かなり無防備とも言える今回の任務。犠牲者を出さないように全員最善を尽くすと思うが、敵がどのような行動をしてくるかわからない以上はなにが起こるかわからない。
アカ・マナフで戦ったゴーレムは術者によって生み出されたただの操り人形だとはグレモリーも言っていた。それ故に倒すことへの抵抗はあまりなかった。それが意思を持ち、今この瞬間も生きている者となると話は別だ。
「俺達は殺す覚悟も殺される覚悟もある。昨日話してた奴が次の日には死んでいたなんてことも珍しくない。その覚悟がお前にはあるか? ないなら任務につれてはいけない」
正直、わからなかった。家に現れた虫を一方的に殺すのとは訳が違う。オセーを半殺しにしたのとは違う。確実に殺さなければいけない時が来る。
殺伐とした世界はこれから始まるのだ。
ここで「そんな覚悟はない」とか曖昧な答えを言うとどんどん取り残されてしまう気がする。そうなると犯人への復讐が出来なくなると思い、震える手を抑えて彼らに嘘をつく。
「ある。俺もつれていってくれ」
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