第42話:八割の段取りの一部

 リビングでみんなと話した後、恭子さんに言われて自分の部屋に戻った。


 事前に恭子さんから聞いていた通りだった。詳しい内容は教えてくれなかったけれど、「段取り8割」という言葉が営業の間ではあるらしい。


 現場につくまでに勝負の8割りは決まっている。そして、そのための根回しなどが段取りであるという意味らしい。


 今回の場合、家にどんな根回しができたのか、俺は知らないけれど、とにかく俺の聞きたいことは聞けたし、家族の表情はやわらかくなった。


 後は時間も必要だろう。拗れた時間が長いのだから、すぐには元通りにはならない。


 俺は誰もいない俺の部屋を見渡した。部屋はホコリ一つなく、母さんが掃除してくれているのが分かった。

 教科書が机の上の本立てから無くなっていること以外は、俺が暮らしていたときそのままだ。


 ……俺はちゃんと愛されていた。



 なんでもない机を見て俺は涙が込み上げてきた。一人で捻くれて、家族を拒絶して、みんなに暗い顔をさせて……我ながら子供すぎて恥ずかしくなる。



(コンコン)部屋のドアがノックされた。


 恭子さんだと思い、笑顔で部屋の入り口を見たら、琴音だった。開いたドアから顔だけ出して部屋を覗き込んでいる。俺は泣き顔を見られていないか気になった。



「お兄ちゃん……」



 琴音は半分しか血が繋がっていないとわかった今でも俺を「お兄ちゃん」と呼んでくれるらしい。

 部屋の入り口で顔だけ出したままなのは、気恥ずかしさなのか、警戒なのか、とにかく顔しか見えない。



「帰ってくるの?」



 そう聞かれて、どう答えるのが正解だろう。どう答えるのが彼女の希望を叶えることになるのか。

 今までの俺なら彼女の意図は、「邪魔者は出ていけ、帰ってくるな」の方を迷わず取っていたと思う。

 今は「お兄ちゃんがいないと寂しいから帰ってきて」の方も分かる。後者であってほしいと思うことにした。



「どうするかな」



 どっちつかずの答え。俺も少しズルくなったのかもしれない。


 琴音との会話でふと気づいた事がある。俺はこれからの話を何ひとつしていなかったのだ。


 今後も恭子さんと暮らしたい。


 こんな子供じみた願望がまかり通るのだろうか。もしかして、それをいま恭子さんが俺の両親に話してくれているってとこだろうか。


 そうだとしたら、また大事なとこを恭子さんに任せてしまっている。これではダメなんだよ。



「俺、今後のことを話してくる」


「うん……」



 俺は1階に降り、リビングのドアをノックした。



「入っていいよ」



 少し間を置いて中から父さんの声が聞こえた。リビングでは何故か父さんと母さん、恭子さんがフローリングの床に座って話をしていた。どういう状況?これ。


 俺の顔を見るとみんなが立ち上がってテーブルについた。俺もなんとなくテーブルの椅子を引きそこにかけた。



「これからの事なんだけど……」



 俺が早速切り出した。



「それなんだけど、今、お父様とお母様とお話していたの」



 恭子さんの言葉でやっぱりと思った。



「やっぱり時間も必要だと思うの。暫くお家に帰ったらどうかな?私もお盆に実家に帰らなかったから、ここらで1週間くらい帰ろうと思うし」



 さすが恭子さん。俺がさっき考えていた事も考慮された案。琴音も寂しそうだった。両親にも心配をかけた。暫く一緒にご飯を食べて、一緒に過ごすのも悪くない。



「分かった」


「将尚…」



 母親の言葉が漏れた。俺はどんな顔をしていたのだろうか。複雑な気持ちが心の中にあった。



「じゃあ、私はお暇しようかな」



 恭子さんが立ち上がった。



「そこまで送っていくよ」


「ありがと。ホントそこまででいいから」



 そう言うと出る準備を始めた。家族にもちょっと出てくると言って駅まで送るつもりで家を出た。家族も玄関まで来て恭子さんに深々とお辞儀をしていた。



 外の日射しの角度は夕方のそれだった。少し静かで、遠くは少し騒がしい。夏の熱さもピークを過ぎたと考えていいのだろうか。俺は空を見上げた。

 近くには、小さい虫が集まって飛んでいる蚊柱かばしらも見える。蚊柱というけれど、あれは本当に蚊の集まりなのだろうか。


 恭子さんは1歩先を歩いている。



「あたっ、虫がっ!」



 恭子さんは、いつも楽しい人だ。彼女はシリアスは似合わない。いつもニコニコしているイメージ。俺が失敗しても「しょうがないなぁ」って言って許してくれる感じ。


 恭子さんは、目に虫が入ったのか目を真っ赤にしてゴシゴシこすっている。



「恭子さん!そんな、ゴシゴシしたらっ……」



 恥ずかしいのか顔を隠すようにして離れていった。



「恥ずかしいからここでいいや。ご家族のところに行ってあげて!」


「大丈夫なの?それ?」



 右手をあげて大丈夫、と示した。まだ、明るいし一人でも大丈夫かと俺も考えた。そして、恭子さんが少し振り返って挨拶した。



「カツくん、じゃあね」


「うん、また」



 こうして、俺は1週間は家に戻る事になった。後に、俺はこの時の事を後悔することになる。

 ただ、この時の俺はそんな事は知る由もなかった。



 ■



 家に帰ると、まだ暑いだろうに、庭に置かれた長さ3mほどの木製ベンチに父さんが座って釣り道具のメンテナンスをしていた。


 俺も横に座った。普段はそんなところに座ったりしない。そういえば、高校に入ってからは父さんとは、殆ど話もしてなかった。



加賀見恭子かがみきょうこさんだっけ?」


「うん」


「ものすっ…ごい美人だな!すっごいの連れてきたから、父さんびっくりしたぞ」


「はは……」



 父さんとこんな、なんでもない話をしたのはいつ以来か。父さんは釣り道具のメンテの手は休めずに続けた。



「話もしっかりしてたし、しっかりした人なんだろうな」



 普段を知っているので、それが全てではないと俺は知っている。ノーコメントだ。



「あと、胸がその……」



 ……父さんも男だった。



「恭子さんのこと、好きなのか?」


「うん」


「美人だしな」


「うん」


「あんなすごい人は絶対に逃がすなよ?」


「うん」



 なんか、いいシーンみたいな感じ。きっと俺はこの場面を何年後になっても思い出すのだろう。心にジーンと響いている。



「母さんに言うなよ?」


「?」


「うちの兄貴が亡くなったとき、悲しかったけど、俺は母さんの心配の方が強くてな。チャンスでもあったから、もう他に取られないように必死だったんだ」



 そうなのか。



「元々、兄貴に取られたからな。まあ、あんまりかっこよくないから、大っぴらかには言ってない」



 その昔、俺の知らない実父と父さんは、母さんをめぐって取り合いをしていたのだろうか。


 チャンスを手にして、母さんを守るのに全力……まるで今の俺の心境。父さんも俺くらいの時は、俺と同じように悩んだり、苦労したりしたのだろうか。


 そんなことこれっぽっちも考えたことがなかった。それでここまでになったのだから、誇っていいはずだ。俺は父さんを尊敬しているくらいだし。



「恭子さんな、お前が席を外している時、『私が住む場所を提供しなければもっと早く息子さんをお宅に返せたと思います』って言って床に手をついて謝ってくれたんだぞ?」


「え?恭子さんが!?」


「なかなかできないぞ?そんなこと……」



俺が2階の自分の部屋に戻っていた時の話だろうか。



「花音ちゃんはどうなんだ?」


「ん?」



 なんか、変な流れになった?なぜ、ここで花音が出てくる?



「花音?花音とはもう別れた。ずっと前に振られたよ」


「そうか。そうなのか?最近……お盆明けくらいから、ちょくちょくうちに来て、母さんにお前の近況を伝えていってたぞ?」



 何してるんだ、あいつ。



「将尚が学年1位になった話とか、母さんが前のめりで聞いてたな」



 あの美少女め。家に帰ったのに、近況とかあんまり聞かれないと思ったんだ。成績の話とか、家が知ってるのはおかしいと思ったし……



「毎回、センスのいいお菓子を持って来てくれるから、琴音は、花音ちゃん、花音ちゃんって懐いてるぞ?」



 餌付けかな?



「西洋人形みたいに整った顔だし、俺もあんな可愛い子に『お父様』って呼ばれる喜びに目覚め始めてたんだけど……そっか、恭子さんの方か。まあ、恭子さんは恭子さんで美人だしなぁ」



 なに選んでるんだよ。父さん。恭子さんと花音を比べないで欲しい。



「母さんも、あんな可愛い子に『お母様』って呼ばれることに目を潤ませて喜んでいたし……うちの娘になったらいいって言ってたぞ」



 本気で強い。あのチート美少女強い。

 それにしても、こんなところにまで……花音のやつ、苦手とか、向いてないとか言ってたけど、俺のために動いてくれていたんだな。


「段取り8割」の段取りの一部になっていた事は間違いない。



「花音ちゃんみたいな子が、『一緒に買い物に行ってください』と言われたりする未来を思い描いてたんだけど、そうか、花音ちゃんじゃないのか……」



 もう、父さんが花音と付き合えばいい!どんだけ好きなんだよ。



「母さんも、カレーの作り方を教えたりして、一緒に作って楽しそうだったぞ?」



 花音、ひとんちでなにしてやがる。いつかカレーを振る舞いたいとか言い出すのでは!?



「琴音は、花音ちゃんから服を借りるって言ってたのになぁ」



 あいつ……ついに外堀から埋めにかかってきやがった。

 最近あんまり恭子さんのとこに顔を出さないと思って、諦めてきたのかと思ったら、方向を変えてより攻め込んできていた。恐るべし、美少女。



「恭子さんは美人だし、悩むなぁ」



 父さん、なにを悩んでいるのか、俺に教えてくれないか。



「まあ、自分の息子があんな美人たちに好かれているってのは嬉しいもんだな。」



 なんとか、いい話に戻ってきたか?俺が何年も後に、何度も思い出すシーンなんだから。



「なんとか、両方とどうにかする方法はないのか?」



 あんた、親として大変なこと言ってるぞ!もう、このシーンを思い出しても俺はちっとも感動しない!


 ちょっと家を空けている間に、色々変わっていた。ちょっと面白い感じになってるし。


 俺は翌日の夏休み最後の日を自宅で迎えることになった。

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