第37話:模試の手ごたえ

 恭子さんとの約束を守るために俺は模試を受けることにしていた。俺は大学に進学するのだ。そのためには勉強しないといけない。少しでも未来のことを考える俺は自分自身のことがそれほど嫌いではない。


 一度に色々考えてしまったので、それらの悩みは複雑に絡み合い、俺を追い詰めていっていた。一旦家から離れることで、問題の数が減り、消化できる部分は消化できているのかもしれない。


 誰の言葉だったか、困難は分割すればいい。分割しても困難な場合は、解決できる程度の問題まで分割し続ける、みたいなのがあった。俺は分割できたのだろうか。


 今回の模試で花音の志望校にC判定を出せれば、2学期中間の花音との勝負を何とかしてくれるというのだ。「花音との仲問題」はペンディング保留になっているが、これを俺自身の手で解決へと進めることができる訳だ。とても重要だ。


 俺にとってはメリットばかり。挑戦しない理由がない。ただし、C判定だせない時は、花音とデートすることが条件になっている。

 クラスではクールビューティーとして人気の花音とのデートが「ダメな時の条件」に設定されているのは、クラスの男子が聞いたら贅沢過ぎると非難されることだろう。まあ、俺にはそんなことを言うような相手はいない。要らぬ心配だろう。


 ただ、俺には恭子さんという最愛のカノジョがいる。俺は恭子さんとの関係を良い状態に保ちつつ、俺が抱えた元々の問題を解決する必要があるのだ。


 目下直面していて解決すべきは、俺の抱えた問題のうち「家族仲問題」だ。

 俺は両親との関係が良くない状態だ。信頼関係が崩れてしまっていると言っていい。これは物理的に解決不可能だとさえ俺は思っている。

 俺の親が実の両親ではなかったのだから。これは、さすがの花音でも解決できない。いくら花音でも時間を巻き戻したりは出来ないのだから。


 その花音は、ちょくちょく恭子さんの家に来て勉強を見てくれる。それはそれでありがたいことだが、元カノと俺に対して場所を提供してくれている恭子さんの心の広さにも感謝している。


 花音に紹介してもらった問題集を使って、教科限定で勉強して模試に臨む。


 模試まで時間があまりなかったので、恭子さんと花音が代わる代わる先生になってくれて俺の分からないところを教えてくれていた。

 俺は、覚えた問題を繰り返し解いて理解を深める方法で勉強を進めていった。



 ■■■ 模試当日



 8月10日、俺は模試を初めて受けた。今まで進学にあまり興味がなかったというか、考えていなかったので、模試は学校の授業の一環として行われるものしか受けたことがなかった。

 結果など覚えていないし、結果の紙も残っていない。


 普通に予備校に行って1日テストを受けて、帰ってくるだけ。花音も同じ会場だったらしい。

「予備校」に行ったのも初めてだったし、「学校」とついているところに私服で行っていいのもなんだか新鮮だった。


 昼は、恭子さんが作ってくれた弁当を持って行った。昼休みは教室が解放されていて、そこで食べていいようになっていたので、机を挟んで向かい合って花音と一緒に食べた。

 予備校では周囲が全員知らない人だったので心細かったから、唯一の味方の様に感じた。


 夕方、すべてのテストが終わり、予備校の建物を出た。出口では、予備校の案内のチラシと同時に模範解答が配られていた。俺はその一部をもらってカバンに入れた。



「お疲れ様。帰る前にちょっといい?」って顔をして花音が目の前に立った。ついに言葉を発しなくても俺に意思を伝えてきた。花音の意思伝達力が上がったのか、俺の把握力が上がったのか……俺も「いいけど?」というつもりの視線を返してみた。


 俺と花音とはそれぞれ降りる駅が違うので、予備校の最寄り駅でお茶を飲むことにした。移動中何もしゃべらない。その様子は、花音と付き合っていた頃のアレを思い出させる。

 何か喋った方がいいのだろうか。俺に気の利いたことが言えればいいのだが。花音は嫌な気がしていないだろうか。


 そんなことを考えながら、駅に向かっていると、ととっ、と花音が少しだけ速足で一歩前に出てこちらを見た。急にスピードを上げたのでつい見たら、花音はニコリと笑っていた。

 そして、その後何事もなかったかのようにまた俺の横を歩き始めた。あの頃とは何かが違っている。それだけは分かった。



「今回は3教科だけやったのだけれど、問題は全部取っておいた方がいいわ」



 駅内にある安いカフェで花音が言った。この後、コーヒーの入った紙コップを口に当て小さく一口コーヒーを飲んだ。


 終わった模試の問題なんて全く意識してなかった。帰ったら捨てようと思っていたくらいだ。



「言ってみれば、受験本番の予想問題だから模範解答を見て、解けるようになっていた方がいいわね」



 なるほど。それは受験生にとって普通のことなのだろうか。俺は「花音賢い」と思ってしまったのだが。そう言えば、模範解答ももらったので、併せて取っておこうか。



「今回の結果はいつごろでるんだ?」


「手元に届くまで1か月くらいかかるわね」



 遅いな。9月中頃結果が出るとして、中間テストは9月後半か10月頭だったはず。どちらにしても中間のための勉強はしないといけないらしい。



「お盆休みは家に帰るの?」



 花音が視線はテーブルの上のまま訊ねた。もしかしたら、俺が何と答えるとしても、既に答えを知っているのではないかと思ってしまった。



「いや、今んとこ予定はない」


「恭子はなにか言ってない?」


「んー、今んとこなにも」


「そう…」



 花音が店の外に視線を外した。別に何かが外にある訳じゃない。安いカフェはガラス張りで座ったときの目線の高さだけ目隠しのシールが張ってある。ガラスの向こうは駅内を歩く人の脚だけが見える状態。

 花音は、外が見たいのではなく、恐らく恭子さんになにか言いたいことがあったのだろう。残念ながらその内容までは俺には思い当たらない。



「ところで、模試の手応えはどうだったの?」



 まあいいわ、と言わんばかりに、花音の視線が戻ってきた。今度はちゃんと俺に話題が振られたようだ。



「そうそう!今回やった教科は手応えを感じた!特に数学!大問4問のうち2問は見たことがあった」


「そう……じゃあ、大学に行くなら、残りの教科の分もやってみたら?夏休みはもう少しあるから、勉強みてあげられるけど」


「ホントか!」



 花音に教えてもらえるなら鬼に金棒だ。恭子さんも丁寧に教えてくれるけど、恭子さんが高校生だったのはもう10年前。

 問題によっては調べてから答えてくれるので、申し訳ないと思うときもある。ちなみに、花音は常に即答。

 今カノの家に元カノを呼んで一緒に勉強ってのはとても気まずいけれど、どの塾に行くよりためになってるのは事実だ。



「お願いしていいか」


「ええ」



 コーヒーの紙カップに視線を移した花音が続けて言った。



「夏休みの終わりには、その分お礼を期待しようかしら」



 そりゃ、色々大変だろうしお礼くらいするさ。むしろ無償だと申し訳ない。



「なにがいい?少しならまだ手持ちもあるし」


「そうね、他愛の無い物だけど、期間限定でどうしてもほしいものがあるの」



 期間限定か。それは価値がありそうだ。それが何か聞いて買ってくればいいんだな。徹夜で並んだりするのだろうか。お礼のためならそれくらいはやろう。



「比較的寿命が短いものだから、一緒に買いに行って、すぐに受取りたいの」


「なるほど。分かった。因みにいくらぐらいのもの?」


「欲しいものは2つあって、2つ合わせて1000円くらいよ」



 全然安いな。金額よりも期間限定ってとこに価値があるものということか。



「8月21日の夕方から夜にかけて買いに行くから、時間を空けておいて」


「分かった」



 ホントに夏休み終わりギリギリで販売されるんだな、その期間限定商品。8月21日は予定表に入れておかないとな。すぐさまスマホのスケジュール帳に記入していく。

 花音が勉強を見てくれるなら、成績は伸びやすいに違いない。休み中頑張るか。


 駅に着いて電車に乗った。同じ方向だから数駅は一緒。ホームに着くと花音に促されて奥の方に進んだ。彼女のことだ、もしかしら、空いている位置などあるのかもしれない。


 電車がホームに着いたら、意外と混んでいた。花音の読みもたまには外れるみたいだ。電車に乗り込むと、花音は出入り口の窓際、俺はその真向かいで立つことになった。夕方のラッシュが始まった頃で俺は混雑する電車内から背中への圧力を感じていた。

 この圧力をそのまま花音に伝えたら、目の前の花音は圧死してしまうだろう。俺はドアに両肘を立てて後ろからの混雑による圧力から花音を守っていた。


 図らずも壁ドン状態で俺の目の前に花音がいる。そして、完全に動けない。それどころか、少し力を抜いたら花音が圧死する。少し上目遣いの花音の視線は俺にお礼を伝えていた。大丈夫だ。言わなくても伝わってるから。


 俺と花音の身体が密着している。おもむろに花音が俺の背中に手を回す。それだとカップルが抱き合っているような状態になってしまうじゃないか。

 俺はドアに両肘をついたまま頭もドアに付ける状態まで押されていた。花音は少しうつむいているので表情は見えない。ただ、その両手は俺の腰のあたりに回されている。

 どういう状況!?


 数駅この状態が続き、花音の家の最寄り駅に着いた。ホームに降りた花音は少しはにかんだような表情だった。多分、「ありがと」と伝えていたと思う。降りた位置はすぐ階段の前だったので花音の姿はすぐに見えなくなった。


 こういう場所って毎日乗る人は都合のいい場所をよく知っていて混みやすいんだよな。花音はわざわざ混む場所を選んだってことは……それは考え過ぎだろう。



 ■



 家に帰ると、いつもの様に恭子さんがクビに抱き着いてきた。



「なに?色んな人のにおいと花音ちゃんのにおい。どこで何してきたの!?」



 なんだかいけないことをしてきた人を見るような目で見られてしまったので、満員電車のことを伝えた。恭子さんはとりあえず納得してくれたみたいだった。


 ただ、夜はすごく盛り上がった。

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