第19話:社畜のノウハウでは埋まらない部分
髪も綺麗で頭頂には天使の輪と呼ばれる艶の輪が浮かんでいる。肌も白くて
彼女のいい噂を上げ始めたらキリがない。逆に悪い噂は一つも聞いたことがない。
そんなクールビューティーは、俺の元カノだ。
元々、彼女の方から告白してきた。俺たちの付き合いは一緒に下校することくらいだった。手も一度つないだくらい。それ以上は指一本触れていない。もちろん、キスもしていないのだ。
交際が始まって約半年が過ぎた頃、突然別れを告げられた。人を信用できなくなっていた俺にとってダメージは大きかった。しばらくは立ち直れず、人との会話もままならない状態になった。
日ごろからあまり話さないことと、表情があまり表に出ないことからなんとなく誰にも何ともされずに来て、時間経過という薬だけが俺の傷をいやしていた。ただし、振られた理由も分からずに傷跡はまだ
事態が動いたのは、俺が恭子さんと付き合い始めたことだ。
これに花音がすごく反応して最近よく話しかけてくる。彼女は頭が良すぎてどんな意図があっての言動なのか分からないことが多かったけれど、恭子さんが解説してくれているので最近は少しだけ理解できていると思う。
その花音と今一緒に勉強している。それも今カノの恭子さんのマンションの部屋で。コタツのコタツ布団なしという割とチープなテーブルがフローリングの上に置いただけの机。ご飯を食べるには十分だけど、勉強机としては物足りない。
そこで俺が勉強して、90度傾いた隣に花音が座って勉強している。服装はお嬢様コーデで。肩がバックり出ているので、気にならないと言ったら嘘になる。全然勉強スタイルではない。ただ、今カノの前で他の女の子、しかも、元カノが気になって勉強が手につかないはとても言えない。
なにこの苦行。俺の行動の何がこれを俺に強いるのか。恨みがましく花音の方に視線を送った。そしたら、信じられないくらいの笑顔を無言で返されてしまった。どうした、どうした、クールビューティー。無表情がお前のアイデンティティじゃなかったのか!?
花音さん最近益々怖くていらっしゃる。ただ、俺の心のジクジクは、花音に対する部分だけは少し良くなっている気はする。花音との関係は、俺の「三大悩み」のうちの一つだから、緩和するだけでだいぶ心が楽になる。
「飲み物ここに置いておくね」
恭子さんがテーブルの上にマグカップを二つ置いてくれた。一つはカフェオレ、俺のだ。もう一つはコーヒーで一緒にクリームと砂糖が添えられていた。こちらが花音のものだろう。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
俺と花音はお礼を言って、飲み物に手をつけた。
俺は、教科書類は全て家から持ち出していた。副読本などはいくつか諦めた。俺用のノートはあるし、勉強はできる。それを使ってとにかく何度も何度も書いて覚えた。
それに対して、花音の勉強法は全然参考にならない。一応、ルーズリーフと教科書、筆記用具を渡しておいたのだけど、ほとんど使っていない。ルーズリーフを1枚だけ手元において、時々メモに使っているだけだ。
「ボーっとしているだけだろう」と茶々を入れたら、暗記物は教科書を丸暗記したので、特に問題ないけれど、たまに字を間違うことがあるので、間違える可能性がある物だけ書く体験をして確認をしているのだと言いう。そもそも俺には何を言っているのか意味がわからない。
俺はこの人とテストで勝負して点数で勝とうとしているんだよね!?天才過ぎてまるで勝てる気がしない。
退屈になったのか、1時間ほどしたところで花音が話しかけてきた。
「ねぇ、今回の『秘策』は何なの?」
「秘策?あぁ、メインは過去問だよ。恭子さんが準備してくれた」
「ふーん」
あんまり驚かないところを見ると、やはり知っていたのだろう。花音の度肝を抜いてやりたくて次々言ってみることにした。
「スケジューリングを恭子さんがやってくれた。全体の工程を組んでくれて、後は、マイルストーの設定で達成感を、工程管理表のバーチャトで計画の全体像を把握、バナナ曲線で進捗具合を把握アンド管理。恭子さんの家庭教師付きで、聞きたい所を全部理解し、更に花音ノートを手に入れていて、予想問題も最新になった!」
どうだ、全方位抜け無しだろう、と自信満々に言ってやった。
「それだけだと、将尚の場合テスト前に体調を…あぁ、それでキスマークなの!?」
花音が何かに気づいたらしく恭子さんをギロリと睨んだ。恭子さんは吹けない口笛を吹く仕草で明後日の方向を向いていた。
なんか俺には分からないけど、俺が言った情報だけでは完璧ではなかったらしい。その抜けを恭子さんは既に対処済みで、それが花音には出来ない(それか思いつかなかった)方法だったらしく、面白くなかったようだ。
「まあ、いいわ」
あ、花音が折れた。プライドが高いから絶対何か文句を言うと思ったのに。
「恭子、あなた、本気で将尚の問題を解消させるつもりなのね。家庭の問題にも顔を突っ込むつもりなの?」
「そうね。そっちは夏休み明けくらいまでかかると思うけど……」
「あぁ、そういうこと。確かに、私は苦手分野だし、あなたなら何とか出来るのかもね。じゃあ、もし、将尚が私に勝ったら、クラスの問題の方はテストの後引き継いであげるわ。キーパーソンがいるの」
「ホント?ありがと、花音ちゃん♪」
「まだ、引き受けたとは言ってないわよ?」
花音が不機嫌に答えた。
「3つ目の問題はどうするの?」
別に問題が3つあると話にしていないのに、花音には分かっているらしい。普通に「3つ目」って言いやがった。
俺が抱える問題は3つで『クラスの当たりが強い問題』『家族仲問題』『花音との仲問題』の3つだ。この二人の会話は、ちゃんと内容が伝わっているのか俺には分からないスピードで進んでいた。
「それはねぇ……
コーヒーカップを持っていた花音が、カップをテーブルの上に置いた。そして、少し下の方を見て、静かに目を瞑った。
「ふー、どうせ私は一度失敗してるわ。一旦預けるわ」
ここで顔を上げて、恭子さんを睨んで続けた。
「でも、2度目は失敗しないわよ?」
「うわー、失敗を許さないとか鬼軍曹ね」
「ふっ、間違えたとしても失敗にはさせないつもりのくせに」
「へへ、バレてたか」
恭子さんがテレた。どこ?テレるポイント!どこ!?
「ホント忌々しいわ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「全く、どこでこんなのに見込まれて来たのかしら」
今度は花音が俺を恨みがましい目で見てきた。今、会話って何の話?俺何かしたの?
「大事なものは大切に金庫に入れて鍵をかけておかないとね♪」
「はー、私の苦手分野だわ」
「カツくん!」
急に恭子さんに呼ばれた。二人の会話は全部聞こえているのに、半分くらいしか分かっていない俺。いや、本当はもっと全然分かっていないのかも。
「花音ちゃんがお帰りよ。駅まで送ってあげて」
「えー」
外はまだ十分明るかった。果たして送る必要があるのか。そう思っていると、花音も帰り支度を始めていた。恭子さんとの会話は終了したらしい。どこのタイミングで花音が帰るって言った?
俺は花音と並んで駅に向かった。
駅に向かう途中で花音とは色々と話をした。学校内ではあの屋上前の踊り場以外では花音とほとんど話さないので、少し嬉しかった。そう、嬉しかったのだ。
俺は、知らない間に花音を傷つけていたのではないかと思っていた。自分自身のことも責めていた。花音を満足させられなかった自分に失望もしていた。でも、それは花音のパフォーマンスであることも初めて知った。そこまでしないといけない状況を作ったのは恐らく俺だろう。
今度は、申し訳ない気持ちが膨らんできた。
「将尚」
「なに?」
「まだ……聞いていないのだけど」
「えっと、何かな?」
花音との会話に置いて「何を」を聞くことは、会話の内容を全然分かっていないことの証明でもある。つまり、彼女のレベルに到達していないと告白しているようなもの。付き合っている時はそれができなかった。振られて、別れて、恭子さんがいる今なら俺は聞ける。花音に聞くことができる。
「服。私服は初めてだったと思うのだけど」
「確かに。その……可愛いと思った。もっと中性的な服を選ぶと思ってたから余計に」
「……」
返事が返ってこなかったから、俺の答えは間違っていたのだと思い、花音の方を見た。……花音が顔を真っ赤にしていた。クールビューティーとか言われて、教室ではほとんど表情を変えない彼女が、顔を真っ赤にしてテレていた。
駅までもう少し距離があるところで、花音が俺の前に回り込んできて、首に抱き着いてきた。
「ちょ!お、おい!花音!」
「大丈夫。恭子にはOKもらってる。30秒だけ」
本当かよ!?いつだよ。全部の会話は俺の前で行われていたのに、どこでいつOKになったんだよ!?
俺の方が背が高いので、花音は爪先立ちで俺の首に手を回して抱き着いている。花音の顔は俺の顔のすぐ横。ただ、表情は見えない。
俺は手の位置をどこにしていいのか、持て余していた。相手が恭子さんなら、迷わず抱きしめ返しているだろう。ただ、相手は元カノであり、俺には恭子さんがいる。
「辛い思いをさせたわね。私も辛かったわ」
花音が俺に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で耳元で言った。俺は聞き逃さなかった。それは、間違いなく謝罪と弱音。半年付き合った元カノジョが、付き合っている時には一切見せなかった部分。俺は無意識に花音を抱きしめようと手を持ち上げた次の瞬間だった。
花音が俺の懐から離れ、くるりと1回転してみせた。彼女のワンピースのスカートがふわりと少しだけ浮き上がった。それは本当に綺麗でその光景を俺はスローモーションでも見ているみたいに止まった状態で見つめた。
「期末テスト本気で来ないと私が勝つわよ?しっかり勉強しなさい」
そう言うと、花音は駅の方に進み始めた。
「ここでいいわ。恭子によろしく」
花音はこちらを振り返らず右手をちょっとだけ上げて挨拶したら駅の方に行ってしまった。最後の一言は少し声が泣いているように震えていた感じがしたのだけれど、俺の気のせいだったのか。それを確かめる術は俺にはなかった。
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