第2話:酔っ払いお姉さんはエロエロ

「あはは、朝なのにいつもと逆方向に歩いてる。罪悪感がすごい!」



 お姉さんが困ったような顔で言った。

 いつもは駅に向かって歩いているけれど、今日に限っては朝だというのに駅から家に向かって歩いているという事だろう。いつもと違う景色だろうなとは思うけれど、俺にとっては見知らぬ道なので、なんの思い入れもない。


 それどころか、普段の通学路から考えればいつも降りる駅を通り越して何駅かすぎてから降りた。そこに何かがあったわけじゃない。ずっと行ってもよかったけれど、なんとなく降りただけ。途中までは学校にちゃんと行くつもりだったのかもしれない。


 俺のテンションの低さに反比例するかのようにお姉さんのテンションは高かった。



「タケヒサくんってさ……タケヒサくんだよね?名前」


将尚かつひさです」


「カツヒサくんだったか。ごめんごめん。カツくんね、カツくん……よし覚えた!」



 何故かガッツポーズのお姉さん。



「で、私の名前は?」



 いたずらを仕掛けた子供みたいにキラキラした笑顔で訊いてきた。

 きっと自分の名前を言ってみろということだろう。



「……」


「やっぱりねぇ。私は恭子きょうこ加賀見恭子かがみきょうこ。キョウコさんって呼んでね」



 なにが「やっぱり」なのか。自分も俺の名前を憶えていなかったことから、「普通1回聞いただけじゃ覚えられないもの」みたいなことを暗に言っているのか。



 ***



 15分程歩いたらマンションに着いた。新しくも古くもない建物。ワンルーム用なのか、細長く縦に長い建物。



「さー着いたわよ!」



 何故か、少し誇らしげなお姉さん、改めキョウコさん。エントランスの自動ドアを通って、エレベーターで6階に進んだ。



「ここの607号室なんだけど……ちょーーーっとだけ玄関前で待ってもらえるかな?」


「いいですよ」



 よく考えたら、俺は友達の家に行ったことがなかった。子供の時には行ったことがあるけれど、中学、高校になってからの記憶はなかった。「普通」は友達の家にどのくらいの割合で行ったことがあるのかも考えたことがなかった。

 ただ、友達は多い方ではないと思っているので、「普通」よりは頻度が低いだろう。


 マンションの6階の廊下で遠くを眺めた。6階って割と遠くまで見渡せるものだ。うちは2階建ての一戸建てなので、見慣れない景色が広がっている。廊下の上り壁の手すりに手をついて下を見てると、結構な高さだった。1階分で3メートルとして、6階だから18メートル。


 キョウコさんが衝動的に飛び降りたとしても死亡率は低そうだ。確か確実に死ぬためには、植え込みが無くて下がコンクリートになっている状態で20メートル以上必要だったか。


 ちなみに、高さをh=18メートル、初速をt0=0m/s、重力加速度をg=9.80665m/s2としたら、落下までの時間tはt=√2h/gだから、約1.92秒か……学校の物理の授業はこういう時に使うために学んでいるのだろうか。


 ついでに、その時の速さv=√2ghは約67.6km/h結構速いな。そこら辺を走っている車よりも速い。


 高いところから飛び降りたらすぐに気を失うからいいと聞いたこともあるけれど、約2秒で気を失う自信はないし、時速70キロ近くの速さで落ちていく怖さは地獄そうだ。飛び降り自殺の抑止力として物理が役にたった瞬間だろうか。念のため後でキョウコさんにも速いのは大丈夫か聞いてみてみようか。



(ガチャン)「おまたせー!」



 キョウコさんが息を切らしてドアを開けた。約10分の間に中で何が行われていたのだろうか。

 さっきまで窮屈そうなスーツだったけれど、今はラフなパーカーとショートパンツ姿になっていた。胸が大きい分上半身が大きくなった印象だ。



「お邪魔します」


「どうぞどうぞ!散らかってるけど!」



 結局散らかってるのか?この10分は何に費やされた時間だったのだろうか。


 部屋に入ってイメージとちょっと違った。女性の一人暮らしだからもっとぬいぐるみとかがあって、部屋の基調はピンクとかだと思っていた。

 キョウコさんの部屋は、白を基調としていて、清潔感のある部屋だった。散らかっていると言っていたけど、ゴミもなく、ホコリなども無くてきれいな部屋だった。女性の部屋だからかいい匂いがしたけれど、口は出さなかった。



「部屋綺麗ですよ」


「あん!あんまりキョロキョロしないで!恥ずかしいからっ」



 まあ、そういうのならば、と床を見るけれど、俺はどこに座ったらいいのか。

 部屋の中にはシングルベッドが1つ、こたつの布団なしが1台、カラーボックスが2つくらいしかなかった。すごくシンプル。



「あ、座布団出すから座って座って」


「あ、はい」



 薄いピンク色の座布団が出てきたので、それに座ることにした。

 考えてみたらすごい状況だ。名前以外全く知らない年上の女の人の家に上がり込んでいる。そんな男子高校生が全国に何人いるのか。これは異世界に転移するくらいレアな体験では!?



「学校には連絡した?行方不明になったら大変だよ?」


「あ、友達にLINEしておきます」


「それでいいんだ……今の時代。てか、友達いたんだ」



 いいかどうかは別として、伝われば事件にはならないだろう。



「お姉さんもね、会社に電話しました。風邪ひいたから2~3日休むかもね」



 風邪を引いたにしては、元気に力説しているので仮病だと伝わっていなければいいのだけれど。

 ドン、と俺のテーブルの前にペットボトル500mlのお茶が置かれた。お姉さんの前にはチューハイの500mlが置かれていた。



「さー、どーしてそんな目をしているの?お姉さんが聞いてあげよう!」



 てっきり俺が話を聞かされる側だと思っていたけれど、俺のことを話せという。ただ、俺に話すようなことは何もない。



「……」


「……」



 ここでお互い黙り込んでしまった。まあ、俺から話すことは何もないし。逆にキョウコさんの話を聞いてあげるには俺はまだ高校生だ。大人の世界は分からない。


 頑張ればそれらしいことを言うことは可能だろうが、それが有益とは思えない。知ったかぶりして恥をかくくらいならば、何も言わない方が得策と言うものだ。



「とりあえず、飲もう!」



 お姉さんが元気よく宣言し、チューハイのプルトップをあけたプシュ、と言う音が部屋に響いた。



 ***



 俺はお酒を飲んでいる人を間近で見る経験がなかったのだけれど、一つ分かったことがある。お酒は人を変える。


 今朝は特急に飛び込もうとしていたキョウコさんが、今は楽しそうに笑っている。なに?酒とはドラッグか何かなの?



「もうね、お姉さん会社辞めちゃう!休み明けにガツンと言ってやりますよ!」



 一応、俺も飲んではいるけど、ペットボトルのお茶だ。いくら飲んでも陽気にはならない。しかも、飲み過ぎたらトイレに行きたくなる。初めてきた女性の家でトイレを借りるというのに少し抵抗がある。そんなことを考えている間に、キョウコさんは2本目のドラッグもとい、チューハイを開けた。



「カツくんさぁ、どうやったら楽しく生きられるか知ってる!?」



 そんな人生のコツみたいなものがあるのだろうか。年上から学べるのならば、概念だけでも聞いておきたい。ここは教えを乞うておこう。



「いえ、教えてください」


「そんなのあったらお姉さんが知りたいわよ!」



 俺は頭の中で盛大にズッコケたイメージが思い浮かんだ。ついでに、バケツかタライが上から落ちてきたイメージも追加された。上った梯子を足元から引かれた感じ。


 自分からフッておいて、答えを知らないから聞くって、Q&Aではなく、Q&Qだよ。実に斬新だ。マンガやアニメならば、質問を質問で返すと問答の時には怒られるやつだ。


 小さなこたつのこたつ布団なしのテーブルに両肘をついてすっかり酔っ払いスタイルの恭子さん。座布団に女の子座りで脚をペタンとつけて座っていた。この座り方は俺にはできない。男女で骨格が違うのだろうか。


 気になるのは座り方よりも中身だ。ショートパンツはひらひらとしたゆったりデザインだったので、女の子座りだと足の付け根の辺りに白いものがチラチラ見える。


 もしかしたら下着だろうか。それとも大人の女性には見えてもいいような何かがあるのだろうか。とにかく、気になる部分だ。しかも、膝が少し開いているので、脚の付け根もかなりのところまで見えてしまっている。めちゃくちゃ気になる。



「カツくん、暑くなってきたんだけど……」


「窓でも開けますか?」


「んーん、虫が入ってくるからいい。それよりも、お姉さんパーカー脱いでいい?」



 6月にパーカーなんて着ていたらそりゃあ、暑いだろう。しかも、お酒を飲んで暑くなるのは酒を飲んだことがない俺でも容易に分かった。ただ、質問の意図は分からない。何故わざわざ俺の許可を取る?単なる会話的なものだろうか。



「いいですよ?」


「襲わない?お姉さんおっぱい大きいからエロい気持ちになるかもよ?」



 俺は額の辺りに手を当てた。頭痛くなってきた。この人はちょっとどうかしている。何故わざわざ言うのか!?牽制目的だろうか?



「チャック開けていいよ?」



 キョウコさんはパーカーの前を引っ張って、ファスナーのスライダー部分が掴みやすいように俺の近くに寄ってきた。前言撤回だ。この人何も考えてない。俺に襲われたいのか、襲われたくないのかさっぱり分からない。



「あの……刺激が強いので自分で脱いでください」


「そっかぁ、カツくんは脱がす派じゃなくて、脱いでもらいたい派かぁ」



 キョウコさんが自分の席に戻ってジーっ、とパーカーの前のファスナーを開けていく。パーカーは弾けるようにして、中から大きな胸が飛び出てきた。下にタンクトップは着ているみたいだけど、多分ノーブラだ。その……うっすらとポッチが見える。


 パーカーを脱ぐと、タンクトップとヒラヒラのショートパンツのみ。襲ってくださいと言わんばかりの服装だ。ちょっとこれは刺激が強いのではないだろうか。グラビアなどならば全然平気だけど、リアルと言うのはすごい迫力だ。



「気になるー?」



 意地悪そうな笑顔でキョウコさんが俺に聞いた。年下だと思って、絶対俺のことを揶揄っている。



「触ってみる?やわらかいよ~」



 キョウコさんは胸を自分の手で寄せて上げて見せた。胸の谷間が益々強調されて、すごくエロい。スタイルもすごく良い。パーカーを着ていた時は、胸の関係で少し上半身が大きく見えたけど(あえて太ったとは言わない)、タンクトップになると身体のラインが綺麗に出て、とても綺麗だ。そして、エロい。


 酒を飲んでいるからか、頬もほんのり赤いし、耳まで赤い。なんか上気したみたいで本当にエロい。表情もエロい。ボキャブラリーが壊れてしまっているのは理解しているけど、それしか感想がない。

(今だけで何回「エロい」と思ったのか……それしか考えられなくなっている)



「あの、キョウコさん、あんまり挑発しないでください」



 俺はすぐに白旗を上げた。俺も男だ。何をしてしまうのか自信がなくなってきた。



「大丈夫大丈夫、お姉さんね、これでも身持ちが固い方で……」



 そう言いながら、キョウコさんは膝歩きで俺の方に近づいてきた。これはヤバいと思って、キョウコさんの背中に手を回し、グイっと引き寄せ、顔を息がかかるくらいの近さまで近づけた。

 キョウコさんは目を見開いて明らかに驚いた表情をした。俺は少し力を抜いて言った。



「俺も男なんで、美人のお姉さんが寄って薄着だったら何するか分かりません」



 そう言うと、急にお姉さんは真っ赤になって下を向いて言った。



「ちょっと、調子に乗りすぎました。すいません」



 さっきのパーカーを手繰り寄せて、上から羽織ってしまった。うぬぬぬぬ、残念!もっと見ていたかった!



「ごめんね、カツくんも男の子だもんね。あのね、揶揄ったわけじゃないの。ごめんね。お詫びに……する?」



 キョウコさんがチラリとベッドに視線を送った。

 それこそお詫びで許されても何も嬉しくない。全く萌えない。



「そういうのは、キョウコさんが俺のことを好きになって、そういうことをしてもいいと思った時にお願いします」


「……」



 大人はどうなのか分からないけれど、告白して付き合って、その先にそういうものはあるものじゃないだろうか。難問は解く過程は好きじゃない。


 でも、その過程があったからこそ解けた時に嬉しいもんだ。嫌だった考えている時間も好きだった時間に思えてくるから不思議だ。いきなり答えを教えてもらっても、この喜びには到達できない。


 それと一緒だ。いきなり身体を許してもらっても、それまでの過程がないと答えを教えてもらった難問と同じなのだ。



「あー、それね。それはね……もう、なってるの」



 キョウコさんは視線があちこちにジャブジャブ泳ぎながら言った。どういう意味だろうと考えていると、違う言葉で言い換えてくれた。



「もうね、好きになっちゃったの。命を助けてもらったし、かっこいいし、まじめだし……あとは、その目だけなの」



 これは、告白……と捉えていいのだろうか。キョウコさんが今度は猫のように四つ足で歩いて近づいてきた。そして、俺の頭に手を回したかと思ったら、自分の胸に俺の頭を押し付けた。

 一瞬何が起きたのか分からなかったけれど、お姉さんの柔肉が俺の目の前にある。すごく柔らかい。



「どうしてそんな悲しい目をしているの?なんか、全てに絶望している目、誰も信じていない目。そんな感じがする」



 そう言われてドキリとした。確かに過去に色々あった。信じていい人を尋ねられたら答えることは難しい。だけど、今日会ったばかりのキョウコさんに何故それが分かるのか。


 ああ、そうか。今朝のキョウコさんは俺と同じ死んだ目をしていたのか。俺が毎朝鏡で見る自分の目。それと同じ死んだ目。ついさっきまで、「萌えー」だった気持ちとナニは「えー」になってしまった。

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