またね

菅田山鳩

第1話 またね

自分の人生にとっての主人公は自分である。

これは、誰の人生にだって当てはまる。

当然、僕の人生を除いて、という意味だが。


僕の人生にとっての主人公は、

間違いなく彼女だ。

「なに?そんなにじろじろ見て。」

「今日はなんか楽しそうだなって。」

「なにそれ。まぁでも、ありがとね。忙しいのにいつも来てもらって。」

「いや、ごめんね。いつも夕方になっちゃって。」

「いいよ。来てくれるだけで、本当に嬉しい。」

病室で微笑む彼女は、少し痩せたように見えた。

「あ、そうだ。そこの庭の桜、そろそろ満開になりそうだよ。」

「ほんと?ここからだとよく見えないんだよねー。」

「今度の土曜日、見に行かない?その日は休み取れるからさ。天気も良いみたいだし。」

「そうだね。楽しみにしてる。ありがとね。」

「いいって。これくらいのことしか出来ないけどさ。」

「ううん。十分だよ。十分すぎる。あなたと一緒になれてよかった。本当にありがとう。」

「なんだよそれ。それじゃまるで…、ごめん。なんでもない。」

「ちょっと、こっちに来て。」

「どうしたの?」

「いいから、近くで顔を見せて。」

「なんだよ。急に。」

寝ている彼女の方へ顔を近づける。

「髭、生えてる。」

「え?ほんと?今朝剃ったんだけどなー。」

「だめだよ。身だしなみはしっかりしないと。あと、野菜もしっかり食べてる?」

「え?うん。食べてるよ。」

「うそ。食べてない。」

「いや、ごめん。食べるようにする。」

「ピーマンもだよ?」

「うん。食べるよ。」

「あとは、ゴホッゴホッ。」

「大丈夫?」

「うん。大丈夫。あとは、シャツはしっかりアイロンかけるんだよ。」

「うん。苦手だけど、頑張ってみるよ。」

「あとは、」

「まだ、なんかあるの?」

「あとは、私が死んだら、もっと良い人見つけて、再婚しても良いからね。」

「縁起でもないこと言うなよ。それに、こんなおじさん、誰も相手にしないよ。」

現実と向き合うことが出来ず、笑ってごまかす。

「大事な話。ねぇ、しっかり聞いて。」

「うん。ごめん。」

「あなたの人生はあなたのものだから。私のために、それを犠牲にするのだけはやめて。」

「うん。わかった。」

込み上げてくる感情が溢れだしそうになったがこらえた。

一番つらいはずの彼女が、笑っていたから。

「まぁでも、私より良い人を見つけるのは無理かもね。」

「自分で言うか?」

「冗談冗談。それに、あなたのことが心配で、まだまだ死ぬ気はないから。」

「すごいうれしいけど、なんか複雑。」

「まぁ、当分は入院になると思うから、自分のことは自分でやってよ。」

「わかってるよ。」

「体には気を付けてよ。」

「うん。わかってる。」

「どんなに遅くても、お風呂は入ってよ。」

「うんうん。大丈夫だよ。」

「ソファで寝ちゃダメだからね。」

「わかってるって。面会の時間もそろそろだから、帰らなきゃ。」

「うん。ありがとね。」

「じゃあ、土曜日に。またね。」

「またね。」

これが、彼女との最後の会話になった。

翌日の昼、病院からの連絡で駆けつけた時には、彼女の笑顔はもうなかった。

あのとき、彼女は『またね』がもうないことをわかっていたのかもしれない。


彼女は一度も弱音を吐かなかった。

寝れないほどに体は痛かったはずなのに。

僕が見舞いに行くと、いつも笑顔で迎えてくれた。

それが彼女にとって、重荷になっているんじゃないだろうか。

僕が行くことで、彼女に無理をさせることになっているんじゃないだろうか。

そんな僕の思いを知ってか知らずか、彼女はいつも

「ありがとね。」

そう言って、僕の不安を暖かく包み込んだ。

そして、僕はいつも

「ごめんね。」

そう言って、現実から目を背けた。

本当は、

『ありがとう。』

って言いたかったのに。

言ってしまったら、本当にいなくなってしまいそうで怖かった。

それさえ言わなければ、いつまでも彼女がいてくれる。

そんな淡い期待を抱いてしまっていた。



僕は彼女の墓参りに来ていた。

もう5年になるね。

心配しなくて良いよ。

身だしなみには気を付けるようにしてる。

野菜もしっかり食べてる。

もちろん、ピーマンも。

シャツにはアイロンをかけるし、風呂も毎日入ってる。

よく考えたら、ごく普通のことだけど、君がいなければそれすらまともに出来ていなかった自信がある。

なんの自信だよ、君はそう言って怒るだろうね。

ただ、ごめん。

再婚するっていうのだけは叶えられそうにない。

あのときも言ったように、こんなおじさんを相手にする人なんていないっていうのはもちろんある。

でも、やっぱり、

君とじゃないと僕はダメだね。

君は怒るだろうし、悲しんでいるだろう。

けど、それだけは譲れなかった。

君は、

『僕の人生は僕のものだから、

私のために犠牲にしないで欲しい。』

そう言ったけど、それは少し違うと思うんだ。

たしかに、僕の人生は僕のものなのかもしれない。

でもね、それは君がいてこそ思えることなんだ。

君は僕の人生だよ。



彼女の七回忌。

自然と足は病院へと向かっていた。

いままで、見れなかった桜。

いや、見ようとしなかった。彼女を思い出して辛くなるのがわかっていたから。

でも、自分のなかで、区切りをつけようと思った。

彼女のことを忘れるわけではない。

ただ、いつまでもくよくよしている自分を見て、彼女は笑ってはくれない。

そう思った。

庭の桜は見事なまでに満開だった。

あのとき、見れなかった桜。

あのとき、彼女と見るはずだった桜。

いろいろな出来事が頭のなかでよみがえり、

いろいろな感情がわいてきた。

一番に感じたのは、悲しみではなく、

感謝だった。

「ありがとね。」

小さくそうつぶやいた。

「やっと来てくれた。」

ふいに聞こえた声に驚き、振り返る。

そこには、見覚えのある笑顔があった。

「え?どうして?」

そこに立っていたのは彼女だった。

あの頃と同じ、暖かい笑顔で微笑む彼女だった。

「桜。覚えててくれたんだね。」

「君なのか?」

「なに?そんなにじろじろ見て。」

「だって、君は、」

「そんな悲しい顔しないでよ。せっかく桜、見れたんだよ。」

「そうだよな。7年も待たせてしまってごめんな。」

「いいのよ。あなたがルーズなのは知ってるから。」

「あのさ、君に話したいことがたくさんあるんだ。」

「うん。いっぱい聞かせて、時間はたくさんあるんだし。」

僕はいろいろな話をした。

最近のニュースや趣味の話。

自分で作った料理の話。

近所にできた、彼女が好きそうな雑貨屋の話。

ピーマンを食べられるようになった話。

時間を忘れて、本当にいろいろな話をした。

彼女はそれを

「うん、うん。」

って頷きながら、嬉しそうに笑顔で聞いていた。

「あ、それとさ、」

「そんなに焦らなくても大丈夫だよ。今日はこれくらいにしよう。」

「いや、でも、」

「でも?」

またいなくなってしまうんじゃないか。

それがとてつもなく怖かった。

「大丈夫。ずっと一緒だから。」

僕の不安を暖かく包み込んだ。

彼女には僕の気持ちなんてお見通しだったのだろう。

「ありがとう。」

「ううん。こちらこそありがとう。」

「そうじゃなくて、その、あのとき、ありがとうって言えなくて、言ってしまったら君が、」

「うん。わかってるよ。あなたは優しい人だから。」

「ごめん。なにも、してあげられなくて。」

「そんなことないよ。私は本当に幸せだった。あなたと一緒になれて。だから、そんなに泣かないでよ。」

「君だって。」

「ほんと、泣かせないでよね。桜の前で泣き顔は似合わないでしょ。」

「そうだね。」

「じゃあ、続きはその目の腫れが引いたら聞かせて。」

「あ、ちょっと待って。」

「なに?」

「またね。」

彼女は一瞬、驚いたような顔になり、

すぐに微笑んだ。

「うん。またね。」

主人公は、今日も微笑む。

そう、僕の人生の主人公は彼女だ。


あれは、男が最後の瞬間に見た夢だったのかもしれない。

それでも、

今度の『またね』は必ず叶う。

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