第2話 国家錬金術師

 エルゼニア大陸の中央に位置する国『フォートブルグ王国』。

 貿易が盛んな港を有し、数あるの中でも高い経済力を誇る。その国の王都で働く、一人の公務員がいた。


「――まったく、ダニエル君! 予定していた研究の成果報告はいつ出るんだい? 君たちのチームには少なくない研究費がつぎ込まれているんだよ。それなのになんの成果も出せないなんて……」

「は、はい、申し訳ありません」


 深々と頭を下げたのは、白衣を着た黒髪の男。歳は四十手前で、少し疲れた顔をしているだ。

 国家錬金術師として国立の研究所で働くダニエル・アンバートは、いつものようにに叱責を受けていた。


「やれやれ……人間の中では優秀だと聞いていたから期待していたのに、私の見込み違いでしょうか?」


 革張りの椅子に深く腰かけ、足を組みながらネチネチと小言を言うのは、国立錬金研究所の所長アウラ・バトラー。

 蒼白の顔に、青い髪。額には二本の角。ひょろりとした体格で、仕立ての良いウエストコートに、銀の刺繍で彩られた上着を着ている。


「ダニエル君、国もただ飯を食わせるために君を雇っている訳じゃないんだよ!」

「は、はい! 大変、申し訳ありません」


 毎朝、陰湿で執拗な説教をするアウラ。そんな上司にペコペコと頭を下げるダニエルの姿は、もはや恒例行事となっていた。

 その様子を見る研究員たちも、やれやれと言った表情でなにも言わず、黙々と仕事をこなしている。

 しばらくして解放されたダニエルはフゥーと息を吐き、自分のデスクへと戻った。


「今日は一段と長かったですね。大丈夫ですか? ダニエルさん」


 話しかけてきたのは、隣のデスクに座る同僚の研究員ドナートだ。


「ええ、大丈夫ですよ。お気づかいありがとうございます。所長もだいぶご立腹でしたが、予算は減らされずに済みそうです」


 ニコニコと答えるダニエルに、ドナートは溜息をつく。


「ダニエルさん! 所長が言ってることなんて、ただの難癖ですよ! 自分ではなんにもしないくせに文句ばかり。それで我々が成果を上げれば自分の手柄にするんですから、やってられませんよ!!」


 憤るドナートに、ダニエルは「まあまあ」と言って落ち着かせる。


「こうやって研究職として働かせてもらってるだけでもありがたい限りですよ。私には向いてる仕事だと思ってますしね」


 そう言って微笑むダニエルだったが、再び所長のアウラに呼ばれると「はい!」とすぐに立ち上がり、所長室へと向かった。


「またか……大変だな。ダニエルさん」呆れるようにドナートが呟く。

「バトラー所長も、よくあんなに文句が出てきますよね」


 かたわらからドナートに声をかけてきたのは、新人研究員のデフリーだ。三つ編みおさげで、そばかすのある肌が特徴的な女の子。

 優秀な学生が集まる国立錬金魔法学校を卒業した才女で、ダニエルの直接の後輩にあたる。


「ダニエル先輩、うちの学校では伝説的な学生だったんですよ。すごい優秀で歴代最高の成績を修めてるのに……あまりにも扱いが酷すぎませんか?」


 プリプリと怒るデフリーに、ドナートは苦笑した。


「仕方ないさ。俺たちは人間だ。魔族や混血種ハーフだったら出世の道もあるだろうけど、人間じゃぁどれだけ優秀でも万年ひら研究員だよ。むしろ目をつけられるだけさ、あんなふうにね」


 ドナートはペン先で所長室を差す。そこにはひたすら頭を下げ続ける、ダニエルの姿があった。


 ◇◇◇


「お疲れ様でーす」

「はい、お疲れ様」


 退勤していく職員を見送り、ダニエルは小さく伸びをした。研究室には十人ほど職員がいたが、今残っているのはダニエルとドナートの二人だけだ。

 奥にある所長室には誰もいない。所長のバトラーは誰よりも早く帰ってしまう。


「ダニエルさん、今日も残業ですか?」

「いえ、今日はちょっと用があってね。もう帰ろうと思ってるんですよ」

「それがいいですよ。毎日残業だと体、壊しちゃいますからね。俺も帰ります」


 この日は二人そろって帰ることにし、研究室の扉を施錠してから帰路に着いた。

 ドナートと別れたダニエルは、その足で王都の中央銀行に向かう。今日はずっと待っていた給料日だ。

 自分の口座に振り込まれたお金をさっそく引き出し、懐を温める。

 ダニエルはどれほど辛い目にあっても、安定して収入が得られるこの仕事を手放す気は無かった。

 その足で街の繁華街へとおもむく。

 家に帰るには少し遠回りになってしまうが、ダニエルの足取りは軽く、まったく気にする様子はない。

 彼が向かったのは人通りの多い表通りを抜けた先。四階建ての商業ビルだ。

 一階の入口に子供たちがたむろし、おしゃべりをしながら何かの袋を破って中身を取り出している。

 ダニエルはそれを横目にしつつ、建物の中に入って行く。

 お目当ての店はそのビルの二階にあった。棚にはいくつもの小さな箱が並べられ、壁には沢山のカードが『見本』として貼られている。


「やあ、マシュー」

「ああ、ダニエルか。入ってるぜ!」


 カウンターの向こうにいた小太りな店員が、ダニエルの顔を見るなりニンマリと口の端を吊り上げ、なにかを取りにいく。

 店の奥から持ってきたのは、モンスターの絵柄が描かれた二つの箱だ。

 カウンターの上に置くと、蓋をパカリと開く。中には四角い袋がギッシリ詰め込まれていた。


「新発売の『アリアズール山脈のモンスター』だ。けっこう気性の荒いモンスターがそろってるみたいだぜ!」

「それは楽しみだ。発売するのを待ってたからね。取りあえず二箱買っていくよ」

「あいよ! 毎度あり」


 ダニエルは代金である20クルスをマシューに渡し、袋に入れてもらった商品を受け取る。

 近くにいた子供たちは、「すげー……大人買いだ」と驚いていた。

 それを気づかないふりをして、ダニエルは心の中で優越感に浸る。ここは大人気の召喚カードゲーム『キー・オブ・ソロモン』を専門に取り扱う店。

 20クルスは給料の二割を超える金額だが、ダニエルにとって問題ではなかった。

 子供から大人までハマる人気のカードゲームに、ダニエルは死ぬほど夢中になっていたからだ。

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