第70話 オーシュルージュ

 軟禁されているには違いないのだろうが、宮殿の中は比較的自由に移動を許された。

 ずっとアシェリアのことを考えていた。もはや自殺も出来なかった。ヒカルを失えば、彼女は絶対にオーシュルージェスを許さない。力がないことを、人間であることを、無力であることをこんなにも呪ったことはなかった。

 ヒカルは書庫を見つけ、アシェリアの神話を読んだ。彼女は辱められ、痛めつけられ、手足など何本も失っていた。アシェリアの運命の過酷さに涙が溢れる。

 すでにアシェリアが地球に行って一日は経過している。もう二度とワーム・ホールが開かなければいいのにとさえ思った。

 燃え盛る炎のような激情が流れ込んできたのは、その時だった。アシェリアが、イシュタルに戻ってきたのだ。


 アシェリアはすぐに王都に現れることはなかった。

 ヒカルはアシェリアの慈愛を感じていた。怪我人の治療をしているのだろう。焦燥と後悔も感じる。

 治癒は力の消耗が激しいはずだ。オーシュルージェスたちがメラハンナの集落を襲ったのは、挑発のほかに、アシェリアの力を削ぐ目的もあったのだろう。分かっていても、治癒をやめる彼女ではない。

 翌日、ヒカルはオーシュルージェスに呼ばれた。

「悪しき神を倒しに行く。そなたも来い」

 彼に促されて、宮殿の中庭に出る。

 両側に多数の兵士が整列している。その中心に、先日の神と谷、五人の子どもたちがいた。ほかに大きな天蓋付きの荷車が5台。中には武器、核弾頭も入っているだろう。

 オーシュルージェスに従う神は、属国の王だという。エーゲ海で艦隊に合流した神も同じだ。力を使う際の輝きの強さからして、何れもアシェリアよりは弱い神だろう。

 問題は子どもたちだ。小学生になるかならないかくらいに見える。計算が合わないが、薬物や神の力で強制的に成長させられているのだろう。

 彼女らは、皆同じ顔をしていた。琥珀色の瞳に、黒い髪。荷車を空中に浮かせるとき、その全身は真っ白に光った。相貌も幼いながら、目を奪われるような麗質を備えている。彼女らが、アシェリアのクローンであることは疑いようがなかった。


 アシェリア・ヌ・メネルは蹂躙され尽くしていた。アシェリア像は倒され、パン窯は破壊され、道端には住民の死体が転がっていた。

 死体の数は思ったより少ない。多くの人は森に逃げ込んだのだろうとヒカルは思った。

 ポート・アシェリアを出発した日本人一行は、捕らえられ、神殿前の広場に拘束されていた。

 谷の姿に、日本人たちにざわめきが起きる。

「黙れ」と谷は一言だけ発した。

 それでも谷を睨みつけるものは多かった。谷は兵士に命じて三人を射殺した。日本人たちはすっかり気力を失い、皆、力なく下を向いた。

 オーシュルージェスはヒカルを神殿の屋根の上に連れて行った。四階建てのビルの屋上くらいの高さがある。

「餌はよく見えるようにしなければな」

 オーシュルージェスは満足げに言った。

 

 ここに放置してくれることは、ヒカルにとってはむしろ都合が良かった。アシェリアに誰より先に接触できる。水爆があるんだ、逃げろ。多分彼女は逃げないだろう。なんと言えば良いか、ヒカルは、ずっと考える。

 切妻の屋根は足元が不安定で、棟に登る。見晴らしはよく、状況が更に良く理解できた。

 城門は開け放たれ、いくつかの櫓は燃えているが、意外にも入城している兵士の数は多くない。オーシュルージュの大艦隊からの上陸はまだ続いていて、兵士の殆どは港の周りにいた。かつて先輩とワイン樽を運んだ街道を、びっしりと行軍する兵士が埋めている。

 アシェリア・ヌ・メネルは鎧袖一触という感じに敗北したのだ。

 ヒカルはアシェリアが近づいているのを感じていた。すぐ近くの村にいる。治癒はほとんど終わったのだろう。激しい怒りが、彼女を支配していた。どうか冷静にと願う。

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