第三話 遠眼鏡の向こう 音のない世界

 謁見の間に、見覚えのある子供と、使用人の女がいた。

「お前たちの腹違いの弟、第四王子だ」


 父の言葉などなくても、その子供がだれかくらい、私達にはわかった。遠眼鏡越しに見守っていたのだ。父に、私達に、良く似ていることも知っていた。


 遠眼鏡で見て想像していたより、大きいような小さいような子供に、私はなんと言ってよいか、分からなかった。


「はっ、いまさら弟か」

長兄は口では嘲りながら、弟から目をそらさなかった。次兄が、下らないと言わんばかりの欠伸をしてみせたので、私はそれにならった。


「よろしくおねがいします」

懐かしい、「たぁ」の面影が残る甲高い声に、私は緩みそうになる口元を必死に抑え、弟を睨んだ。なんとしても、弟を、王妃派が巣食う王宮から遠ざけなければならない。必死に考えた。


「王宮にお前の居場所なぞない、出て行け」

離宮で暮らせ、離宮から出るな。王宮に来るなと言いたかった。王宮にのさばり、つけあがっている王妃派の使用人達は、あの古い離宮に、足を運ばないはずだった。


「行け」

長兄は、弟の手を引いて立つ使用人の女に、顎をしゃくった。使用人の女は、また深々と頭を下げた。


「おいで」

私は使用人の女の声を、初めて聞いた。小さな優しい声だった。

「はい」

弟は、小さく返事をすると、使用人の女と連れ立って出ていった。


 私は、乳母の声を覚えていない。私が覚えているのは、突然消えてしまった温もりと、直後の叫び声だけだ。あの叫び声の主は、優しい声で、私に語りかけてくれていたのだろうか。


「あれを、王宮に招き入れないでください」

長兄が、父に訴えていた。

「兄上のおっしゃるとおりです」

次兄も声を荒らげていた。

「私からも、お願い申し上げます」

私も兄達に続いた。


 王妃は、満足気に微笑んでいた。私達が、弟を毛嫌いしている様子が気に入ったのだろう。


 小さな弟は、柔らかくて、重たかった。大きくなった今、きっと、もっと重たくなっただろう。あの日、茂みに隠れていた私達を見つけたことを覚えているだろうか。


「今さら第四王子など。何のご冗談ですか」

離宮で育っていたのに、なぜ今さら政争に引きずり込んだのだ。また殺させるつもりなのか。長兄の非難に、父は眉間の皺を深くした。

「王家は存続せねばならん」


 長兄は何も言わなかった。次兄も口をつぐんだままだった。私も声を出さない事を選んだ。口を開けば、言葉が飛び出してしまいそうだった。


 王家の存続を危うくしているのは、王妃の凶行だ。王妃を狂わせたのは父上ではないのか。


 兄達も同じ思いであったこと確認できたのは、かなり後のことだ。


 父の思いを察するには、さほど時間を必要としなかった。

 

 弟は、離宮の庭で棒切れを片手に、誰かと遊ぶようになった。同じように棒切れを片手に、弟の遊びに付き合っている男はどこかで見たことがあった。


 思い出したのは次兄だった。父の不興を買って追放された老騎士だった。


 父が罷免した秘書官に良く似た男が、棒切れで、地面に何かを書いて、弟に見せてやっているのも見た。


 最初に思いついたのは、次兄だったはずだ。父のやり方を真似ようと、私達を誘った。三人がかりで、どうにかこうにか理由をでっちあげ、年老いた気性が穏やかな馬と、馬に負けず劣らず老いた馬丁を離宮に追い出した。


 馬丁に理由を説明できなかったが、頑固で実直な馬丁の気質に賭けた。老いた馬丁が手綱をひいて歩かせている馬の背に、弟が乗っているのを見た日、私達は言葉に出来ないほどの、達成感を味わった。


 棒切れでは練習にならないと、稽古用の剣を持ち込むことを思いついたのは私だ。あの茂みに潜り込んで、庭から見えるように残しておいた。


 遠眼鏡を片手に、いつ見つけるかと、楽しみに待った。稽古用の剣を見つけて、喜んで飛び跳ねる弟を、最初に見つけたのは長兄だった。悔しがる私に、次兄が一緒に悔しがってくれた。


 遠眼鏡が見せてくれる音のない世界の、幸せそうな笑顔を見ながら、私達はもう一度、子供時代を生きた。


 偽りの美辞麗句を、偽りの笑顔で包んで贈り合う王宮で過ごした子供時代に、胸の内に澱のように溜まっていたものが、音のない世界の光景に、昇華されていった。

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