もう次の春は来ない
ひなた華月
アネモネの花言葉
3月某日。
まだ寒さの残る校舎の中庭で、わたしは毎日の日課となっている花壇の手入れをおこなっていた。
だけど、秋ごろに植えたアネモネの球根からは、まだ芽が出てきていない。
それでも水をやりながら「大きくなあれ、大きくなあれ」と、子供ように話しかけながら、元気に成長してくれることを祈る。
「あれ?
すると、そんな私に、1人の男子生徒が声を掛けてきた。
びくっ! と、自分の肩が揺れる。
それでも、何とか平常心を保とうとしたわたしは、如雨露から流れる水まきを一旦止めて、彼のほうへ視線を向ける。
「……びっくりした。まさか、今日も苗木さんがいるなんて思わなかった」
しかし、彼もわたしと一緒で、本当に驚いたといわんばかりに目を丸くしていることに気付く。
「……先輩」
そして、わたしは普段と同じように『先輩』のことを呼んだ。
すると、先輩は照れ臭そうにしながら、指で自分の頬を掻く。
そんな先輩の手には、卒業証書を入れた筒状のケースが握られていた。
そのことに気付いて、咄嗟にわたしは先輩に告げる。
「……卒業、おめでとうございます」
「へへっ、ありがとう」
振り絞るようなか細い声だったにも関わらず、先輩の耳には届いてくれたようで、にっこりと笑みを浮かべてくれた。
「でも、本当にあっという間だったよ。部活の練習中は、一生このキツイ時間が続くのか、って思ったりもしたんだけど……」
あはは、と乾いた声で笑う先輩の顔は、こっそりと先輩の部活の様子を覗いたときに見た凛々しい姿とは程遠いものだった。
「って、またこんな話を苗木さんにしちゃったね。ごめんごめん」
だけど、わたしはこうして、どこか子供っぽさの残る先輩と接しているほうが落ち着く。
先輩は、わたしのように地味な生徒とは違って、サッカー部のキャプテンを務めていた。
だけど、先輩だって、ずっと華やかな学園生活を送ってきたわけじゃない。
先輩は、わたしの隣まで近づいてくると、膝を曲げて花壇に視線を向ける。
「でも、苗木さんが話相手になってくれたから、僕も最後までサッカーができたんだと思う」
そう言った先輩の横顔を見て、わたしは先輩と初めて出会ったときのことを思い出す。
わたしと先輩が出会ったのは、去年の春のことだ。
いつものように、花のお世話をする為にやって来たところに、花壇の前でじっと佇んでいる先輩と目が合ってしまったのだ。
ただ、そのときの先輩は、松葉杖を脇に挟んでいて、右足にギプスが巻かれていた。
しかし、そんなことは関係なく、今よりも対人関係に慣れていなかったわたしは、人と目が合っただけで恐怖のあまりその場から逃げ出そうとしてしまったのだが、先輩は優しく微笑んで、わたしに言ったのだ。
――これ、君が育てている花なの?
そう言って、先輩が見つめる花壇には、赤いアネモネの花が咲き誇っていた。
多分、そのときもわたしは、俯いたまま聞こえるか聞こえないかの声で、「はい」とだけ言った気がする。
だけど、そんなわたしに先輩は、たった一言、こう告げた。
――凄く、綺麗だね。
そう言ってほほ笑んでくれた先輩との思い出が、今ではもう、遠い昔のことのように感じてしまう。
「いえ……わたしなんか……先輩の力になんて何も……」
「そんなことないよ。苗木さんが育てた花を見てると、なんか自然と元気が出てきて……だから、リハビリも頑張れて、最後の大会に出ることができたんだよ」
結局、地方大会の決勝で負けちゃったんだけどね、と笑って誤魔化す先輩。
「ただ、最後に苗木さんが育てた花が見れなくて、残念だったよ」
先輩から発せられた『最後』と、いう言葉に胸がギュッと締め付けられる。
今日だって先輩と会うつもりなんてなかったのに……。
だけど、本当はわたしも、期待してしまっていたのかもしれない。
もし、先輩に会うことが出来たら――。
「あの、先輩!」
わたしは、勇気を出して、先輩のことを呼ぶ。
「ん? なに? 苗木さん?」
先輩は、ゆっくりと立ち上がって、わたしと視線を合わせる。
「あの、先輩……! わたし……!」
「あっ、
しかし、わたしが言葉を発するより先に、後ろから女の人の声が届く。
すると、先輩の視線はわたしから外れてしまう。
「もう、
「えっ、そうなの? ごめん、すぐ戻るつもりだったから……」
「全く……いつも勝手にいなくなるんだから……」
そう言った彼女は、先輩と同じように卒業証書を手に持っていて、少し茶色の混ざった長い髪が風で揺れていた。
「あれ、あなた……誰?」
そして、不思議そうにわたしのことを凝視してくるので、思わず顔を逸らしてしまう。
「あっ、この子は苗木さんだよ。ほら、話してなかったっけ? 僕が怪我をしていたときに、話し相手になってくれてた子」
「ああ、この子が……」
先輩が、わたしのことを紹介してくれると、彼女も納得したような様子で、わたしに告げる。
「初めまして。私、
そう言うと、松木さんは私の顔を覗きこむように、ぎゅっと顔を近づける。
そのせいで、わたしは自然と後ずさるように距離を取ってしまったのだけど、松木さんは「う~ん」と唸り声をあげ続ける。
「ねえ麦、何やってるの?」
「え~、だってさ。周くんにこんなカワイイ後輩がいたんだって思ってさ」
可愛い、なんてことを言われたのは初めてだったので、頭の中が沸騰したように熱くなっていく。
だけど、そんなわたしの心を、一瞬で凍り付かせる発言が、彼女の口から飛び出す。
「まさか、隠れて私以外の女の子と浮気でもしてるんじゃないかな~って」
「…………えっ?」
「麦、苗木さんが困ってるから、やめてあげて」
まったく、と、ため息をついた先輩が、困ったような笑みを浮かべながら、私に言った。
「まぁ、周くんが浮気をするような人じゃないってことは分かってるけどさ」
……その言葉だけで、松木さんと先輩の関係性を想像することは容易なことだった。
「もう、勘弁してよ……ごめんね、苗木さん」
そう言って、わたしに謝る先輩の顔が、段々と歪んでいくのがわかった。
駄目だ、駄目だ。
今ここで、わたしが泣いてしまうわけにはいかない。
「それじゃあ、苗木さん。また、今年も綺麗なアネモネの花、咲かせてね」
最後に先輩はそう告げて、松木さんと一緒にわたしの元から去っていった。
そして、2人の背中が見えなくなったところで、わたしは蹲り、必死で声を抑えながら、涙を流した。
最後くらい、ちゃんと先輩に伝えたかった。
あなたのことが、大好きでした、と。
だけど、もうわたしと先輩が会うこともなければ、育てたアネモネの花を綺麗だと言ってくれる人も、もういない。
でも、こんな終わり方も、わたしにはぴったりだったのかもしれない。
だって、わたしの大好きなアネモネの花言葉は『はかない恋』なのだから。
END
もう次の春は来ない ひなた華月 @hinakadu
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