KAC20227 傭兵

第1話

 眼前に迫る刀身をアルファは自身の剣を当てそのまま競り合いとする。長い間使いこまれたブロードソードは相手の全力の振りかぶりにも負けることはなかったが持ち手の腕を麻痺させるほどの振動を伝えていた。


 引きもせず、押しもせず。緊張と疲れから出た荒い息がアルファにかかる。それは相手も同じことだった。


 くそったれ!


 アルファは一瞬だけ剣の力を抜いた。鼻先に触れるかと思うほど近くまで刃が来ているが引いた分だけ勢いをつけて相手を押し返す。


 一歩分だけ下がった相手。剣を持っていた手は上に上がりがら空きになった胴へ剣を振るう。


 ガキンッという金属音。チェインプレートを断つことは叶わず、それでもその内部へは十二分なダメージを与えていた。


 膝をつき、倒れる。それを上から眺めながら、アルファは一息ついた。


 ……まだ、なのか。


 かれこれ四時間以上戦い続けている。無事なのはブロードソードくらいで身に着けている鎧は投石や剣戟の痕がくまなく残り、全身のどこにも力が残っていない。立っているのだってやっとであった。


 アルファはただの傭兵であった。雇われて配置され、命令は進めか止まれか戻れだけ。誰がなんの目的で始めた戦争かもわからないし知る必要もなかった。


 一旦引こうにも横隊であるため引いたところが穴になり相手に打ち破られてしまう。そうなったら生きて戻っても非難は免れない。


 傭兵である以上悪評、悪印象は避けたかった。だからといってもう戦える状況ではない。


 その時、空を銅鑼の音が三度響く。


 それが撤退の合図であった。



 テントには大勢の人間が並んでいた。


 皆浮かべている表情は暗い。身に着けているものは泥や血、汗で汚れ、中には一人で立てないものもいた。


 ずいぶんと待った後、アルファがテントへと入る。


「ほらよ」


 アルファの目の前に銅貨の入った袋がおかれる。


 ……相変わらずすくないな。


 最低賃金である。大将首を取ったのなら報奨金が入るのだが今回は同じ傭兵を払っていただけなのでしょうがなかった。


 次がつかえているためさっさとうけ受け取って退出しようとしたとき、


「あー、お前。次入る新人が来ているから面倒見ておけ」


 場所を聞くと、銀貨一枚とともに紙が渡される。


 手当だった。そうでもしないとちゃんと面倒を見ないものも多い。


 アルファは一度自分のテントに寄った。荷物を置くのではなく、テントを折り畳みそのまま移動を始める。


 テントを取られることはないが中の物がいつもちゃんとしてる保障なんてどこにもない。


 指定された場所まではそれほど遠くなかった。空いているところにテントを立て直し、目的の場所に向かう。


 擦り切れたテントだ。


 目的地を見てアルファが思う。金がない奴が誰かの使っていたものを安く買ったかまたは歴戦の傭兵であるかどちらか。できれば後者であることを願っていた。


 幕を開けると人が後ろ向きでいた。女だ。最初誰かの情婦が待っているのかと思ったがしっかりと鎧を身につけているところを見ると目的の人物であるようだ。


「物取りか?」


 女が地面に置かれていた剣に手を伸ばす。


「違う。新人の面倒を見るように言われて来ただけだ」


 数瞬、お互い見つめあったまま動かない。その後女性の方が緊張を解いて、


「ミカだ、よろしく」


「あぁ」


 伸ばされた手をアルファは取った。


 ……細い腕だな。


 彼女の手を見てアルファはそう思った。


 それから少しの会話の後、アルファは自分のテントへと戻った。


 思わぬ臨時収入のことを考えながらそそくさと寝袋にくるまると、ものの数秒で眠りに落ちていた。



 鎧に身を包んだ傭兵たちがずらりと並びその時を待っていた。


 後詰めが二日続き、翌日には前線送りとなっていた。テント以外の荷物を全て抱え陣へと向かう。


 装備の手入れも十分、疲労もない体でアルファとミカは立っていた。


 ドンッという銅鑼の音が響く。戦争の開始の合図だ。


 とはいえいきなり駆け出すことはない。まずは互いの弓兵による斉射と盾兵による前進だ。


 空を覆うほどの弓が放たれそれを盾兵が防ぎつつ距離を詰める。途中甘い奴が何人か脱落していくもほとんどが接敵する。


 金属音が重なる。膂力の強いほうが押し倒し、穴を広げていく。


 その穴から出てくるのが歩兵、つまりアルファ達の出番だった。


 銅鑼の音が二回。上の人間が十分に穴ができたと判断した証拠だ。アルファはミカを連れて駆け出す。


「いくぞ!」


 アルファにミカを見ている余裕はないから足音だけでついてきていることを確認する。


 かすかに空いた人垣の穴を飛び越える。そこに待っていたのは敵の歩兵だ。


 すぐに二人に囲まれる。ほとんど同時に振り下ろされた剣を片方は剣でいなし、もう片方は手の甲につけているちいさなラウンドシールドで受けた。


 突出しすぎたか。


 一度下がろうとしたアルファの横を過ぎる影があった。それはアルファが剣でいなしたほうの前に立つと相手に剣先を向けて距離を詰められないように間合いを開けさせた。


 ブロードソードより細身のロングソード、そして急所だけ鉄プレートで覆っている軽鎧のミカだ。主流のブロードソードが鉄鎧の上から衝撃でダメージを与えるのに対し、軽く素早い動きで相手の関節などを断つのに向いているがそれには比べ物にならない程の技量が必要である。


 ミカは相手がしびれを切らして突撃してくるのに合わせて交差するように脇の隙間を切りながら抜けていく。


 見事なもんだ。


 その様子にアルファは一人で任せてよいだろうと判断してもう一人の方へ相対する。


 アルファの戦い方はシンプルに力押しであった。相手の防御の上から押し、押して、崩れたところを叩き潰す。よほど当たり所が悪くなければ死ぬことはないがしばらく復帰はできない。


 相手が剣を振りかぶる。上段からの振り下ろしを再度シールドで受け、左に払いのける。


 剣に引っ張られた相手の顔めがけて殴り、よろめいたところで膝に剣を当てすくうように転がす。


 倒れたらもう後は上から顔を蹴り飛ばせばしばらく起きてくることはないだろう。


 ……多いな。


 相手の盾兵の後ろ、つまり敵陣の中である。いくらか味方が抜けてきているとはいえまだまだ敵のほうが多い。


 横隊を形成しなければ多数に囲まれて嬲り殺しにされてしまう状況であった。


 下がることを意識したときミカの方を見た。まだ最初の相手と戦闘中だが、ミカが無傷なのに比べ相手は何か所も負傷している。ただ決定打となる攻撃をミカは与えられず長引いてしまっているようだ。


 アルファはミカを脇から抱え後ろに横に投げた。相手は上がらなくなった腕で剣を構えようとするが、アルファが剣の平で相手の首を叩くだけで昏倒してしまった


「なに、すんだ!」


「やりすぎ、時間のかけすぎ。自分の武器を考えろ。数当てしたら他に任せて援護に回れ」


 突っかかってくるミカの顔を左手で抑えながらアルファが言う。ここで話に付き合っている時間が彼にはなかった。


 敵が集まってきていた。じりじりと距離を詰めてくるがその分味方も増えてくる。ミカを後ろに回し重装のものだけで横隊を作り壁になる。


「空いた穴を埋めろ、いいな」


 有無の確認はない。うなずかせるしかなかった。



 長い、長い戦いであった。


 味方が何十と倒れ敵を何十と倒し、それでもアルファはまだ立っていた。


 いまだ後退の合図はない。ただそれだけを待っていた。


 視界の端に映るミカはまだよく動いている。装備の重さが違うから幾分か余裕がありそうだがそれでも珠の汗をいくつか浮かべていた。


 剣を受ける。手には力が入らない。踏ん張りもきかない。このまま相手に体重を預けてしまえたらと脳裏に浮かぶがそれもできない。


 何度目かわからない最後の力をふり絞って相手を押し倒す。とどめを刺す気力もなかった。


「大丈夫?」


 ミカが近寄ってくる。倒れた相手の首に刃を突き立てとどめをさしていた。


 答えるのも億劫だった。


 アルファは剣を地面に突き刺し息を整える。幸いなことに近くに襲ってくるような敵はいない。


 小休止だ。座りたい気持ちをぐっと抑えアルファは大きく息をはいた。


「正直、限界だ」


「だね、私もいいのもらっちゃってる」


 彼女が自分の胸を指さす。命綱の鉄プレートが少し歪んでいた。


「まだ、かかるかな――」


 ミカが話し終わる前に三度、銅鑼の音が響いた。


 後退合図。


「――終わった見たいだね」


「あぁ」


 力が抜ける。思わずその場に座り込んでいた。


 ……どうにか、生き残ったな。



「今日で終わりだよ」


 テントの中で銅貨の入った袋を受け取りながら、その言葉を聞いた。


「終わったのか?」


「あぁ、中央が突破してな。相手は敗走、こっちは勝利。これでしばらく町に戻れるぜ」


 そういうと彼にさっさと出ていきな、と叩きだされた。


 しばらくするとミカも出てくる。


「……終わりだって?」


「らしいな」


 ミカは不満そうな表情であった。傭兵として戦場に立ったのが一度だけだ、それではここまで来るのにかかった金額と割に合わない。


 それでもだだをこねても仕方がない話なので、テントに戻るほかなかった。


 一晩寝て、そうしたら町に戻らなければならない。


 次はどうするかな。


 懐の銅貨はかなりの額になっている。しばらくは生活に困らないし、それに――


「なぁ」


 ミカが話しかけて来る。


「これからどうするんだい。あんたも一人なんだろう? よかったら、一緒にやっていかないかい。あんただったら――」


「――まだ、考えているところだが、傭兵をやめようかと思っている」


 アルファの答えに、少しミカが黙ったあと、


「よかったじゃないか!」


 その表情は笑顔であった。


 じゃあ、とテントの前でミカと別れた。


 鎧を外し軽く荷物をまとめて、すぐに眠りについた。


 最期の夜は静かに更けていった。

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