時間について

 久しぶりに酒を飲み、寝た。ワインは好物であったが、酒を飲まなくなって久しぶりだったので、そんなに美味しく感じなくなった。

 ふと先日、友人に「絶対ってあると思うか?」と聞いたら「時間」と答えていたので、時間について語ろうと思う夜半。

 時間は存在するか? これは極めて難しい問題である。なるほど、時計がある。確かに一分一分刻む。時間があるように思える。

 だが、時間と空間は人間が認識する際に用いられる、形式の一種に過ぎないと、ドイツの哲学者イマヌエル・カントは答えた。そう、時間とは人間特有のものであって、他の動物に時間が存在していないのかもしれないのだ。

 なるほど、現在という時間は存在する。しかし、過去、未来は実存(実際に存在)していないのかもしれないのだ。これはちょっと考えるととても難しい問題を孕んでいる。

 蝋燭でデカルトは考えた。溶けていない蝋燭と、溶け始めた蝋燭。どちらも同じ蝋燭であるが、変貌している。要するに同じ蝋燭でありうるのか? という事である。

 同じ蝋燭であったら、時間が存在しているように思える。蝋燭が溶けること、これを運動に還元してみると、運動、これも難しい概念だ。

 古代ギリシャでは運動は存在するか否か、という問題があった。運動を時間と空間の中で考えるのが、物理学だ。しかし、例えば、百メートル先の亀に追いつくためにアキレスという人が走って追いつこうとする。しかし、彼が百メートル走ると、亀は少し進んでいる。これを無限に繰り返すと、アキレスは亀に追いつけない。

 ここで問題となるのは、運動を時間と空間の中に還元することによって起こる、パラドックスである。そこでアンリ・ベルクソンという哲学者が、純粋持続という概念を提出した。要するに運動は言葉通り、純粋に持続しているのである。純粋に持続しているから、空間に還元することなく、アキレスは亀に追いつくことが出来る。要するにアキレスは「止まることがない」という事実が存在することになる。

 しかし、ここでまた問題が起こる。純粋持続はなるほど理解できた。だが、今度はまた時間が存在しないことになる。

 少し難しいことを話してしまった。考えてほしいのは、普段我々が意識している時間が実存しているかどうか怪しいという事である。時間については、古来より考えられてきた問題だ。我々人間が生きることが出来るのは、現在であって、過去、未来を生きることが出来ないというところにある。

 あの天才アインシュタインは時間は存在しない、と言ったみたいだ。あまり詳しく知らないが。これを読んでいただいた読者に、時間というものについて、よくよく考えてほしい。時間は、存在するか? 哲学とは変哲な学問だと常々思うが、我々の常識を破壊する作業だと思ってほしい。

 早く起きてしまった。詩を書きつつ、ルネッサンスの時代のロンサールをフランス語で少し読もうと思う次第である。

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徒然日記 原氷 @ryouyin

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