美へ憧れること
私は無性に美に焦がれている。
美しい詩を描きたいと常日ごろ思っている。その詩が砕金のようであればよいのにと思う。美を描くというのはところで、自分が美になることではない。少し抽象的かもしれない。自分の中にある美を克明に描き出すのではなく、自然や人間の中にある美を見つめる、そして、それを描き出す。だから、自分が美になるわけではない。
私の感情の濃度、質は他の人と違う。万人があらゆる感情の質を持つ。これが美しいと思う人がいれば、あれが美しいと思う人もいる。それは真理だと思う。
願わくば、自分が美へと顕現して、万人を黙らせてみたい。そんなことも思う。私は創造者の道を行く。創造者の道は厳粛として、厳しい。
噫、空が綺麗だ、月が綺麗だ、そこから、詩が生まれる。詩とは美への憧憬なのである。ポール・ヴァレリーは知の祭典だと言ったが、私は詩の倫理は美しいこと、これだと思う。
誰もが美しいものを求める、そんな気がする。美しいものというのは、見ているだけで快だ。例えば、上等なコニャックを飲みながら、優しい時間を過ごすようなものだ。
現代人は忙しい。豊かなはずなのに、忙しい。そこで、美しさというものを忘れがちになっていると思う。世界は仮の宿かもしれない。西行が歌うように。あの世に本物の生があるのかもしれない。しかし、この世界に身を投じながら、様々な芸術に触れることなく、生を終えるのはもったいない気がする。フランスみたいな国のように、町が芸術であればいいと思う。私の綺麗な観念が具現化されて、皆の前に出せるように、詩を描く。
人間は快楽を欲する。美しいものというのは、娑婆の薄っぺらい肌を拒絶した結果、生まれる、神の本質でさえ思える。神は美を愛するに違いない。そして神は哲学するのだろう。
ただ忘れないでほしいのはどのような境遇にあろうとも、美しさというのは粛々と存在しているということだ。美を忘れた人間はいないと思う。
月を眺めよ。そこには神話の始まりがある。夜の静寂にショパンのピアノを流すのもいい。五感で美に焦がれる人は幸いかな。
夕方寝たにも関わらず眠い。パウルツェランの詩集でも読みながらまどろもうと思う今宵である。知らないだけで、沢山の美が横溢する世の中を忙しい現代人に知ってほしい。そして美に恋焦がれてほしい。今宵は朦朧としている。少し支離滅裂な文章かもしれないが、容赦してほしい。
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