幸福について
夜半、目がしょぼしょぼする。趣味のチェスに没頭し、適当に英語を勉強し、小説から離れていた。それから哲学、仏教を読むが、幸福とは何ぞと思案していた日中である。
もし極楽というものがあっても、私は極楽で自分が真に幸福かどうか哲学すると思う。どれだけ満たされた世界にいようと、私はどこか不満足なのである。
そこで幸福とは何か、考えてみる。
宗教の教えを色々漁ってみるが、幸福が見えてこない。悟るのが、至上の命令か? また神の国に入るのが、幸福か? きっと私はどこにいても、幸福とは何か考えるのだろう。
ところで、太陽、山、川、海、綺麗な詩群、そして月、天体、見つめてみれば美しいことに、はっと気が付く。そうだ幸福は、些細なことなのだ。
いつも成功している人が、成功しても、何も思わないだろう。成功していることに慣れているのだから。けれど、苦難を乗り越えて、栄光を勝ち取った人は、かの人の幸福の何倍にも膨れ上がるだろう。
なんでもいい、仏壇で、仏様がにっこり笑っているように見えただけで幸せになれる、良く寝れた、それでも幸せだ。
私の場合チェスの洋書を買ったのだが、おまけに本を一冊プレゼントしてもらった。私はこの時、幸せを感じた。嬉しかった。素直に、本当に。
幸福とは些細なことなのかもしれない。どんな人間の頭上にも星々は輝いている。けれど、それを見上げる人と、自分はダメな人間だ、つまらない人間だ、と言って、下を向く人間、こういった差がどれだけ甚大か、思う。
ふと、幸福とは、叡智から得るものではないと、考える。幸福とは身近にあり、ほんのちょっとしたことから、偶然の産物であり、すぐ側にあるものである。
日常が愛おしい人は、一億円稼いで、不満足な人間より、よっぽど幸福だと思う。だから、ちょっとしたことに、幸福を感じてほしい。一行の美しい文章を見つけただけでも、彼にとって僥倖である。
道元の思想書を読み、今親鸞を読んでいる。仏教の奥深さに触れ、少し仏の道を知りたいと思う今日この頃である。
些細なことに、幸せを見つける心を持つ人は、すでに満たされている、そんなことをふと思う今宵。
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