弱者という存在について

 今宵は眉のような月がかかる。

 日中寝て過ごし、また今も眠い。思い出したのをふと書こうと思う。

 弱者ビジネス、例えばテレビ番組で収録される、障害の方々がこんなに頑張っていますよ、といった類のテレビが報道される。また、国会議員になり、ホームレスに食事を運ぶ。倫理的に繊細な人間は、ここに違和感を覚える。

 彼らは弱者を利用して、自分の利益にしようと企んではいないか? そんな疑問が湧いて出てくる。

 確かにテレビなどで報道されることによって、社会的に弱い地位にある人達の認知に繋がるが、果たして、彼らの弱さを利用して、金を儲ける仕組みをどう思うか。私の友人はこれに対し、吐き気がする、と述べていた。

 私もまた社会的に弱い地位にいる。テレビで待遇される弱者と、現実にとんでもないことを喋る人間の差を見ると、えげつないように思える。施設にいる人たちは社会のお荷物だ、そんなことを言い、そんな人たちはいらないと話す人までいる。

 私は生理的嫌悪を感じる。上辺で、弱者を労わりながら、裏で、あるいは一対一になった時に、とんでもないことを言う人たち。人間は常々怖いと思う。

 福祉国家なのだから、弱者が堂々と生きていいに決まっている。ろくに働けず、働きたいが、無理だ、という人も沢山いる。環境のせいで、虐待のせいで、自殺まで追い込まれる人たちもいる。自殺してから、自殺は止められた、しかし、社会は自殺してから、そんなことを言う始末だ。

 いやはや、大変難しい問題に対して、首を突っ込んでしまった。地獄を見た人たちは、極楽を見る権利がないのだろうか? 教育を受けることが出来なかった人たちの働き口が水商売だったり、悪の道でいいのだろうか? 日本は住みやすい国、ナンバースリーに入るらしいが、精神病棟の数だったり、若者の自殺率が世界一だったり、よくよく考えるとおぞましい。弱者ビジネス、彼らは認知される機会こそあれ、強者の金儲けに利用されている。

 何とも難しいところである。私は家庭環境に恵まれ、人にも恵まれたが、沢山の人間が命綱なしに、世間を渡っている、そんな感慨を抱く。果たして真の救済はあるのだろうか?

 行政も時折どうかしていると、思われる。最近ウイルスが流行り、それでもなお、人間の命より経済を優先させる。まるで国の存在は、人間の命より重いかのようだ。

 きっと強者から見れば、国の存亡の方が優先されるのだろう。弱者一人が亡くなったところで、国は動じない。まるで、堅固な要塞のようだ。その要塞の前で、弱者はあくせく働いたり、必死に生きているのに、行政は彼らの命に本気で関わろうとしない。

 私があれこれ言ったところで国は変わらない。私もまた偽善者かもしれない。本気で国を変えたければ、行政のトップまでたどり着いて、今の国の在り方にノーと言わねばなるまい。しかし、私にはそんな力がない。そしてそういった私の思想思案を広げるため、私は文芸活動をしている。これも私なりの、国に対しての反抗かも分からない。

 一方的なコミュニケーションもまた存在する。コンビニに行けば募金活動をしている。遠い国の人たちが困り果てている。同情心があおられる。しかし、ジジェクが言うように、私たちはそういったものに、無視をする力も必要なのだ。

 何たる矛盾、自分の書いた文章に矛盾を覚える。今、ウイルスによって世界の在りようが本気で考え直される時が来ている。私は極力自粛しながら、本を読み、時折仕事をして、世界の在りようを、世界の片隅で考えている。

 今夜はこの辺にしよう。薬で頭が働かない。私は苛酷な現実を逃避するために、いつも文芸に逃げている。また、文芸は絵空事に過ぎないかもしれないが、そこにもまた、人間の心の苦悩や葛藤が描き出されているのだから、私は読むのだ。

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