第8話 戦の後
Ⅳ
柔らかく冷たい風が吹き抜ける。森の影が風に揺れ、夕陽と血で赤く染まった湖に小波(さざなみ)を立てる。
湖に落とされた者は、溺れきる前に自力で這い上がったか、もしくは仲間に助けて貰っていた。
たった数時間で終わった戦の後には、地に伏す兵士と草臥(くたび)れた武器、やり場のない喪失感と疲労感が残った。
「アル…」
ボロボロになったエトランゼも、湖の縁に倒れている。疲れ切った青い目は水面を見ている。彼の傍にもう一人、水面を覗き込んでいる者がいる。細い足首には金色の鈴。
彼がそちらの方を見ると、向こうもこちらを見た。
青と赤の目が合った。
「…そんな所に寝そべって何してるの?」
「…そっちこそ。なにを覗き込んでんのさ」
「水面を見ていたのはお互い様でしょ」
シュクがふいと目を逸らした。
(…かわいくないなぁ)
陽が沈んでいく。東の方から空の色が暗くなる。
不意にシュクが口を開いて
「ぼくは信じてるよ」
と言った。その言葉は静かな風の吹き抜ける中、エトランゼの耳に留まった。一度逸らされた目が、またこちらを向く。
「ぼくはアルが生きてるって、信じてる。
あんたは? ちゃんとアルの事、信じてる?」
まるで彼を試しているかのようだった。
戦も、彼女も、運命も…。目の前に居る少年にさえこんな事を問われる。
信じたからこそこうなったんだ。
「信じてなかったら……こんな事にはならなかった。あのまま止めていれば…アルが沈む事もなかった!」
唯一の肉親を失った。
「……何勝手に殺してんのさ」
シュクの声に怒りがこもる。
「一度アルを信じたんだったら、信じ続けてよ! アルも言ってた。“そう簡単には死なない”って…“俺を信じろよ”って! 信じ続けてよ! アルは生きてるって!」
怒りの中に涙が混じった。
白い髪、細い体、全てが夕陽に染められて、このまま夕陽と一緒に消えてしまいそうな儚さを感じる。こいつは本当にアルと共に戦っていた少年なんだろうか。ついついそんな事を考えてしまう。エトランゼは、細い腕で涙を拭う少年を見上げた。
そう、後悔なんて何の役にも立たない。
「……信じるよ。信じるから……だから、泣き止んで」
暗くなった空に、星が瞬き始めた。
* * *
戦が終わった頃、ラジストは自宅の居間で暖炉にあたっていた。すぐ傍のソファーにはアルが寝かされている。
(僕に出来るだけの事はした。……後はアル君次第…)
暖かい光。薪が爆ぜて火花が生まれては消える。
疲労と静寂が彼を眠りへと誘い込む。
* * *
……暗い……寒い……ここ、どこだ……?
俺、やっぱり死んだのか……
……助かる訳ないよな。ただでさえ泳げないのに、あんな大怪我まで負って冷たい湖に落とされたんだ…… …… ……湖?
アルは闇の中に居た。
湖に落とされたはずなのに、そこは足首までしか水が無かった。
その代わり、水面に終りは見えない。
足首から下が見えなくて、足を動かすと水音がした。だが、まだ感覚が戻っていないのか、冷たさは感じない。
暗い水面に光るものを見つけた。
足を動かすと波紋に消される。
アルは暗い空を仰いで、一つだけ、星が空を照らしているのを見つけた。
星は鋭く光ると、流れて消えた。
現れては消え、現れては消え、どんどん数が増えていく――そのうち満天の星空が出来た。
水面にも星が映って、まるで星空の中に居るようだった。
星……
ぼんやり周りを眺めていると、星が一ヵ所に集まった。
小さく、まるく、明るく――。
月………遠い…
俺は行けない……
もう…戻れない……
遠い遠い星の月。掬い上げても指の間から零れ落ちて、いくら手を伸ばしても届かない。
触れられないもの。
泣きたくなったその時、
「アル――」
誰かが呼ぶ声がした。
だが、周りには誰もいない。
「アル――」
月とはまた別の光が目の前を横切った。
あっちにもこっちにも……黄緑色の光がふわふわ飛んでいて、光の一つ一つから声が聞こえてくる。
「アル――」
「アル君――」
シュク……ラジスト……
…まだ可能性はあるのか……?
月は遠く離れて、光も静かに消えて、また闇が訪れた。
だけど今度は寒くない――。
* * *
パチッ
何かが爆ぜて、ゴトリと落ちた。
暖かさを感じて目を開けると、見覚えのある部屋だった。
自分の手を見て、周りを見回して、傍に微かに動くものを見つけた。火の弱まった暖炉の前で、ラジストが座ったまま眠っていた。
(ラジ…お前が助けてくれたのか。……夢オチ、とかじゃないよな?)
いつも通りに起き上がろうとして、全身に酷い痛みを感じ、思わず動きを止める。
(いっ…痛い……)
体中に刃が入ってきた感触が甦る。今更恐怖を感じたのか、肩を抱いて青くなる。
…大丈夫。生きている。夢オチなんかじゃない。
今度は出来るだけ痛みが小さく済むように、ゆっくりと起き上がった。
小さなテーブルには、りんごとナツメが籠に入って置かれていたが、アルはどちらにも手をつけず、眠っているラジストを起こしてしまわないように、静かに部屋を出た。
(生きているのならまだ何とかなる)
外はすっかり暗かった。
「“星、月、今夜空を飛ぶ。野原の蛍が夜を呼ぶ”」
誰も居ないはずの店に明りが点いている。それに加えて聞き覚えのある声と歌…。
「誰…?」
「お。やっとお目覚めか。久し振りだなアルフェリア」
「……あ!」
そこに居たのはガージ。
視界に彼を確認したアルは走り寄り…
「ガージ! あんた今までどこに隠れてたんだっ! 勝手に姿消していきなり戻って来てっ!!」
掴みかかった。今にも殴りかかりそうな勢いだ。
ガージは静かに、宥(なだ)めるように返す。
「アル、師匠に向かって何て口利いてんだ。あんまり騒ぐと傷に障るぞ」
「何が“師匠”だっ! ふざけんなっ! 俺の苦労も知らないで…よくそんな事が言えるな。突然放り出されて……全てを押し付けられて……どうしようもない気持ちをぶつける相手も居ない。子供にはとても耐えられない……苦痛。
ラジストに会っていなかったらどうなっていたか――!」
ガージにつかみかかっていた手から力が抜けていく。彼の服から手が離れても、青紫の目は彼を睨んだままだった。
ガージがアルの頭に手を添える。手が髪に触れたとき、何故かカサリと乾いた音がした。
彼は不思議な程とても穏やかな顔をしていた。
「そうか…。良かったじゃないか。大切に思えるものが見つかって」
「あいつが大切だなんて、俺、一言も言ってない」
「ああ。そうだな。だが“俺の苦労も知らないで”っていうのは俺も言いたかった事だな。放って置くと勝手に傷が開いてくる子供を拾って、どの医者に見せても“無理だ”とか“直せない”って返事ばっかで…。
お前が自由に動けるようになってからは、いつもボロボロになって帰ってくるし、護身法を教えれば“守るだけでなく、もっと強くなりたい”なんて言い出すし………いきなり姿を消した事については謝る。スマン……」
「……」
アルは黙ったまま、頭の上に乗せられているガージの手を除けた。彼の手には紙が握られていた。
「?」
「もし城へ行くのなら、それをダキアに届けてくれ」
「自分で行けよ」
「お前の方が早いだろう?」
アルは腑に落ちない表情でカウンターの奥に立てかけてある自分の剣を取り、扉に手を掛けた。それを見たガージは、アルが大人しく言う事を聞いてはくれないと思っていたのか、拍子抜けたようだった。
「何だ…不満な顔しといて結局行くのか」
「行って欲しいのか欲しくないのかどっちだよ……。
…まあどちらにしろ、俺はあそこに用事がある。戦が終わっても、まだ片が付いていない。それに、どんな医者でも治せなかった厄介物を消してもらう約束なんだ。戦の終わり方が向こうの気に入らない結果でも押し通す。今を逃せば、次がいつになるか分からない。……何だその顔は」
「無事に戻って来てくれよ?」
「あ、ひっで! こいつ自分で“師匠”とか言っといて結局俺を信じてねーの!
“師匠”なら黙って“弟子”を信じてろよ」
「あ…」
一本取られたと言うように彼は笑った。
「しっかり自分の足で帰ってきてやるよ。だから、帰ってきたら…さっき歌ってた歌、ちゃんとしたの教えてくれ」
「了解」
彼の返事を聞いて、アルもニッと笑うと店から出て行った。
* * *
すっかり暗くなった空の下、エトランゼは後ろについて来る少年に訊いた。
「…どこまでついて来るつもり?」
「…別に。行ける所まで」
帰ってくるのは相変わらず無愛想な声。
「オレ、このまま城まで行くけど?」
「じゃあぼくも行く。良いよね?」
「……」
口には出していないが、まるで、尖らせた言葉を突きつけて「おまえに拒否権など無い」とでも言っているようだった。
無愛想な上に頑固だ。これ以上はもう何を言っても聞いてはくれないだろう。
「関係無い奴は巻き込みたくないって言ってんのに……」
「大丈夫。城で何かあっても、あんたが口外するなって言うなら他の誰にも喋らないよ」
「そう言う問題じゃない」と彼は心の中で呟いた。
* * *
静寂の中、ラジストが目を覚ました。
暖炉の火はもう消えて、部屋の空気も冷えてきている。
明りを点けようと立ち上がって、漸(ようや)く部屋の異変に気付いた。
アルが寝ていたソファーはもぬけのカラだった。慌てて部屋を出て、店の明りが点いているのを見つける。
「アル君!」
「ラジスト…お前眠ってたな?」
慌ただしい彼の声に答えたのは、昼と同じように寛(くつろ)いで本を読んでいるガージだった。
「い…いつから居たんですか?」
「戦が終わってからこっちに来た。鍵が開いてたからそのまま入った。昼に読みかけだった本を読み終えて、歌を歌いながら次に何を読もうかと探していたらアルが来た」
ガージが、店に来てから今までの事を簡単に説明した。
「で、今はどこに?」
「教えない」
「は?」
「教えてくれなかった仕返しだ」
大人げない事を言ってガージは笑ったが、ラジストの頭の中は既にガージの言葉を受け付けていなかった。
「……反応無しか」
「戯言ならお一人でどうぞ」
「詰まらん奴だな」
ガージはラジストをからかうのをやめて、意識を手元の本に戻す。
ラジストは把握している状況からアルの居場所を予測した。
「(剣が無い。戦は終わった。りんごやナツメには手をつけていない。呪い―― ………)城ですね!」
言うが早いかラジストは杖を持って店から飛び出して行った。
「あ、店に居るなら店番お願いします!」
伝える事はちゃっかり伝えておいてから……。
* * *
城の中は静かだった。
「……おかしい」
エトランゼが呟いた。
二十四時間体制のはずだった見張りが居ない。侵入者を足留めさせる為の仕掛けも解除されている。
簡単に奥へ進めてしまうのが逆に怖い。
「じゃあここに居れば?」
素っ気無い言葉を放り投げて、シュクが前へ出る。
進む足に迷いは無く、玉座の間の扉を開けようとした。その手をエトランゼが止める。
「そんな簡単に開けようとして大丈夫な訳!? もし罠だったりしたらどうするのさ」
「どう…って……どうにかなる」
シュクの言葉にエトランゼが口をぱくぱくさせる。溜め息を吐き、肩を落としてようやく
「その自信は一体どこから…」
とだけ呟いた。
重い扉を少しだけ開けてみた。
「国王軍を必ず勝たせて戻ってくる…筈だったな?
ところがどうだ? 現実は。両軍壊滅状態。奇跡的に死者は出なかったものの、酷い有様だ。これをどう弁解する。
のう? 元王女・アルフェリアよ」
独り言だろうか。姿は見えないが、重い空気に乗ってダキア王の声が扉の向こうから漏れてくる。
「わしの目の前で――わしの手を払い、隊長格の者共に大口を叩き、目も当てられぬ無礼を散々働いた挙句、この仕打ちか」
エトランゼがシュクに小声で言う。
「アル…ってさ、たまに大胆な事するよね…。何て言うかさ…」
「勇気があるわけじゃない。考えが足りないだけだよ。アルもぼくらも…ね」
「…哲学少年」
エトランゼがぽそりと零した言葉に、シュクが素早く反応した。
「何?」
「いや…別に」
「別に弁解なんてしない」
エトランゼのセリフが、玉座の間に居る別の声と重なった。
「ん。あれ…今の声、もしかしてアル!?」
「えっ!? アル!??」
シュクは立ち上がり、思いっきり扉を押した。
止めようとしたエトランゼの手は敢え無く空気を掴み、扉は大きく開け放たれた。
広い部屋の奥、悠々と玉座に座っているのはダキア。手前に立っているのは……
「アル!」
「え…」
振り向くアルにシュクが飛びついて悲鳴が上がる。
「~~~っ!! シュクっ離れろ! 痛いって!!」
「あ。ごめん」
シュクが離れると、涙目になったアルは肩で息をした。
シュクが出て行ってしまっては、もう隠れる意味も無くなったと思い、エトランゼもアルに歩み寄る。
「おかえり」
「…ただいま」
彼の言葉に、アルは微笑んで返した。
「確かに…酷い結果だ。“必勝”とか言っておきながら勝てなかった。…でも、負けてもいないだろ?」
紫の目は真っ直ぐダキアを見る。青い目も、赤い目も。
「それに、軽重はともかく、怪我だけで済んだのは奇跡でも何でもない。必然だ」
「死者を出さないように計画したからね」
それを聞いたダキアの顔がみるみる驚愕、そして憤怒の形相に変化していく。
「貴様らっ」
アルがわざと彼の怒りを買うように嘲笑い、後ろの二人を見た。
「人ってさ、自分勝手な生き物…だよな?」
「だね」
「うん」
所詮多勢に無勢――少し位話がずれても、相手を言い包(くる)められればこちらの勝ちと言う暗黙の了解のようなものがアル達三人の間にあった。
「あんたも随分勝手な事して来ただろうけど、オレ達も結構自分勝手な奴等だったんだよね」
エトランゼが笑う。
「でもあんたとはまた別の勝手さだよ。ぼく達には互いを信じる心があるから」
続けてシュクも…。アルが大きく一歩前へ出る。
「そういう事だ。さあ、呪いを解いて貰おうか。変な事したら即ブッた斬るからな」
ダキア王を目の前に、アルは鞘に収まっている剣の柄を握って話を切り出した。
二人の交渉はすぐに終わった。
ダキアとアルが部屋から出て行ってから暫くして、エトランゼが玉座に近付いた。
背凭れ、肘掛け……色んな所を触りながら調べていく。
「……何してるの?」
「うん? かなりあやふやになってきてるけど、小さい頃の記憶があるんだ。城が攻め落とされるよりも前の記憶がね。
その中でも、この玉座の印象が特に強く残っていた。だから、玉座に関わる何かがあったのかもしれない……そう思ってさ」
喋る間にも手は動き、やがて玉座の下にある、不自然な、小さな突起に触った。
カチ……ボフンッ
腰掛部分が動いた。ゆっくりと開けてみる。
柔らかい腰掛の下に隠されていたのは小さな箱だった。
小さいながらも施されている彫刻は素晴らしく、彫り込まれている青い鳥たちは、見つけて貰えた事を喜ぶかのように羽ばたいている。
エトランゼは玉座の腰掛部分を元に戻し、箱を開けた。
中身を見て、彼は言葉を失った。
「っ……」
「?」
シュクは箱の中身を見せてもらった。
庭で拾ったらしい石ころ、鈍い輝きの星と月を模した飾り、黒い玉の中に白いハートがあるように見える何かの種、ガラス玉……。
それらはどれも、小さな子供の集めるような他愛も無い物ばかりだった。
シュクには、何故それらを見ただけでエトランゼが言葉を失ったのか、皆目見当がつかなかった。
エトランゼの頭の中では、幼い頃の思い出が溢れ出していた。しかし、隣で不思議そうに見ているシュクには何も言わず、小箱の蓋を静かに閉じた。
ジリリリリリリリ……
警報が鳴り響く。
「何!??」
走ってくる足音が聞こえる。足音の主はどんどん近付いて来て、シュクとエトランゼが居る玉座の間に飛び込んで来た。
「シュク! エト! 逃げるぞ!!」
「んな!?」
訳も分からないまま二人はアルに続き、廊下を走り抜ける。
廊下を抜け、門をくぐり、街に出た所で見慣れた顔と会った…が、
「あ、あれ!? アル君!??」
構っている時間も惜しいのでそのまま走り抜ける。
「はぁ…はぁ…はぁ………ここまで来れば大丈夫…だな」
アル達三人は街の中心から少し外れた小さな通りで走るのを止めた。
呼吸を落ち着かせてからエトランゼは訊いた。
「アル、一体何して来たの? オレ達までこんなに走らなきゃいけないような事って…」
「……」
「呪いはちゃんと解いてもらえた?」
「……」
何故かアルは気まずそうに黙り込んだままだった。
「…アル?」
「何か言ってよ」
「――」
「何?」
がっくりと肩を落として力を抜く。そして
「ごめん」
謝った。
その余りの唐突さに、二人は思わずたじろいてしまった。
「なっ……どうしたの!? あ、アル、まず落ち着こう。
王と部屋を出てから何があったのか、順番に話してよ?」
「ああ…」
アルの話を要約するとこんな感じだった。
玉座の間を出たアルは、ダキアの案内で地下室へ向かった。
案内された地下室にはたくさんの棚が据え付けられ、様々な薬品の入った瓶が並べられていた。
さて、これから呪いを解こうという時に事件は起こった。
アルにかけた呪いを解くための材料を揃える途中、とある瓶にダキアの袖が引っ掛かった。その瓶はそのまま床に落ち、中身がダキアの足にかかってしまった。
彼の足が見る見るうちに縮まって、頭には角が生え、尻には尾が生えて――彼は動物になってしまった。
アルは目の前で起きた不可解な出来事に驚き、逃げて来たという事だった。その際、まだ解除されていなかった仕掛けに引っ掛かり、警報を鳴らしてしまったらしい。
「王様に…角と…しっぽ?」
「動物になったって……この国の王は居なくなったって事!?」
「うん……」
エトランゼとシュクが「どうすんの!?」と言う顔でアルを見るが、一番最初にショックを受けた当の本人は「起こってしまった事は仕方が無い」と、半ば諦め気味で開き直り始めている。短く溜め息を吐くと一息に言った。
「ま、どうにかなるだろ。しばらく様子を見てみよう。
……二人共、俺の話した事、他の奴らに言うなよ」
「ん?」
「共犯になれって事?」
シュクの言葉に、アルがふと笑って見せた。
「ははっ。アルもやるね!」
「“人は自分勝手な生き物”…だろ?」
「…う~ん」
「何だシュク。ここでは納得出来ないってか」
「うん」
真剣な顔をして答えるシュクに、今度は二人して笑った。
日付けが変わり、明日が今日になる頃、エトランゼが立ち上がった。
「さってと。帰ってロントさんにでも叱られよっかな。
じゃあ二人共。またどこかで」
「ああ」
「…生きてたら」
エトランゼはシュクを見た。
「シュク、君はどうするの?」
「ぼく?」
「アルと一緒に居るの?」
「……」
少し考えて、アルをちらりと見る。アルを見て、エトを見て、また考える。そしてアルに訊いた。
「ついて行っても良い?」
「ん?」
「あいつについて行っても良い?」
どうやらエトランゼの方に決めたようだ。アルがそっと手を伸ばし、シュクに触れる。
「いいよ。お前がそうしたいって思うなら、思った通りにやれば良い。俺はただのりんご泥棒で、お前を縛り付ける権利なんて持ってない。お前の好きなように生きろ」
彼女の腕の中で、シュクは静かに頷いた。
エトランゼが尋ねる。
「本当にオレの所に来るの?」
「うん。この街で大きな騒ぎ起こしちゃったし、脱獄した殺人鬼が街の中をうろついてるなんて騒ぎ、起こしたくないし。どちらにしろ、もうこの街には居られない。決めた。行ける所まで行く。あ、でも……」
ちらりとアルを見る。
「何?」
恥ずかしいのか少し目を逸らして言った。
「あ、あのさ……たまに会いに来ても…いいかな…?」
アルは彼の頭を撫で繰り回して笑った。
「いつでも来い」
二人を見送った後、アルもラジストの店に戻ろうとした。
道の向こうから誰かが歩いて来る。
杖をついて、ゆっくり、月夜の散歩を楽しんでいるかのように歩いて来る。
「やぁ。また会ったね」
数年前とは全く違う情景の中、数年前と同じ口調でそう言う彼に、アルが呆れたように
「“また”って…ワザとだろ」
と言った。
二人は並び、しばらくの間、何の会話も無く歩いていた。
少し俯くように歩いていたアルが口を開く。
「ラジスト……」
言いかけてその先を口にするかどうか躊躇った。本人にそのつもりは無いのだろうが、向けられている視線がちくちくと痛い。アルはさっさと言ってしまえば良かったと少し後悔していた。とにかく、
(黙ってたら何も進まないだろ! 腹括れよ俺!)
と思ったかどうかは知らないが、アルは一息に言った。
「やっぱり俺っ――」
「そうですか」
アルの言葉を予測していたのか、彼女のセリフを遮ってラジストが言った。
「それは仕方ないね。はぁ…やっぱり振られちゃったか。…あれ? 何その顔」
「え……いや、ごめん」
「?」
「前に、城に忍び込むって言った時はしつこく「ついて行く」なんて言ってたのに……今回は妙にあっさりしてるんだな…って思って」
「“ごめん”て…そっちか」
ラジストががっくりと肩を落とした。また顔を上げて微笑う。
「僕だって成長してますから」
「何だそれ」
アルもつられて笑った。
二人がラジストの店に着いた時、店の明りは消えていた。
「あらら。ガージさん、もう帰ったんだ。まだ居たら(到底終わりの来ない)店の片付け手伝って貰おうと思っていたのですが…。アル君? え…ガージの居場所を教えろったって…あっ」
アルはあても無く走り出した。
「どうして君はそうやっていつも一人で突っ走って行くんだー!?」
ラジストの叫びも虚しく、アルはまた彼の目の前から姿を消した。
* * *
王都保安部隊宿舎――クルド・ソフィアの部屋
「ソフィア…どう思う? 今回の話」
クルドが壁に掛けられている服を外しながら、ベッドに寝転んでいるソフィアに訊いた。
「何かクルドの声不満気~」
「だって、私達の活躍、今回あまりにも少ないんじゃない!?」
「クルド…そんな事で怒ってるの? クルドらしくないよぉ」
「そんな事」と言われて思わず出掛かった言葉を、彼女は無理矢理飲み込んだ。勢いを落として静かに言う。
「……あいつ…何であんな事……」
服を握り締めても、目を瞑っても、頭の中の記憶は消えない。
「あいつ? 誰に何されたの?」
「りんご泥棒に――」
言いかけて俯いた。長い髪がさらりと肩から流れた。
あの時、あいつは「誰かに告白された事があるか」と訊いた。
どうしてあのタイミングであんな質問が出たのか――心理作戦なのかどうかはさっぱり分からないが、きっと向こうも色々とあったんだろう。
あの声から察するに、きっとあの時、あいつは赤面していた。だが……
言いかけて俯いた一拍後。
「どうせ告白された事なんて無いわよっ!!」
勢いを取り戻したクルドが怒りの形相で、握り締めていた服をベッドに投げ付けた。
さすがのソフィアも驚いて少したじろいてしまった。
* * *
アルがガージを見つけたのは、丁度エルニドの家の前だった。
「ガージ!」
街中を駆け回ってきたアルは、やっと見つけたガージに飛び付――かずに走って来た勢いのまま、跳び蹴りを喰らわせた。
「捕まえたぁ!」
「ゲホッ……捕まったぁ~…」
勢いはあったものの、アルなりに力加減は調節していたつもりだった。が、やはり、かなりのダメージを与えてしまったようだ。
「…力加減間違えたか?」
「それ以前に……取る行動間違えてるって…」
「何でもいいや。言った通り、自分の足で戻って来たぞ」
「ああ…」
逃げられないように服の裾をしっかり掴んで、着地したガージの上から降りる。
「聞きたい事があるんだ。山ほど……どれから聞けばいいのか分からない位。教えてくれるよな」
体を起こしたガージがアルの問い掛けに頷く。
「歌はもういいのか?」
「それも聞きたい」
ガージは真面目な顔で言うアルを見て、喉の奥で笑った。
「――と、まあこんな所だな」
昔話を一通り話したガージが「おしまい」とでも言うように手を広げる。
「だからエルニドも、今保安部隊に居るアトラスも、俺と同期だ」
アルが「へえ」と相槌を打つ。
「じゃああのメモに書かれていたのは……」
「そう。ちょっとしたいたずら心の結晶だ」
その結晶の所為で明日から街中が大騒ぎになるなんて事は、まだ三人だけしか知らない。元を質(ただ)せば元凶はダキアになるのだが、まさかこんな事になろうとは。
(……同情なんてしても仕方ないのは分かってんだけどさ)
小さな空には星が瞬いている。夢で見た事を思い出して俯いた。
「どうした?」
「いや……言ったらきっとバカにされるから言わない」
ガージは「ふーん?」と言って首を傾げた。店で歌っていた歌を口ずさんで、またアルに話し掛ける。
「アル、俺と一緒に東の副都に行かないか? 街に居づらいって言うなら丁度いいだろ」
「何しに行くんだ?」
「目的なんて何でも良いさ。敢えて言うなら気晴らしか」
王都に居てもどうにもならない。分かってる。きっと明日には、王が消えた事で街中が大混乱。分かってる。新たに容疑がかけられる事も、クルド達にまた追い回される事も、ラジストの所には気まずくて帰れない事も、皆分かってる。ガージの申し出を断わる理由も無い。決まりだ。
「行く」
ラジスト達には悪いが、何も言わずに去らせて貰おう。
二人は朝が来る前に街から姿を消した。
今度こそ本当にラジストに会う事はなかった。
日が昇り、「王が消えた」と言う騒ぎは街中に広まった。
賑やかさが消えない街。りんご泥棒が走る事のなくなった道の端で今日も、以前と変わらず謎掛けをして遊んでいる子供達が居る。
女の子が言った。
「ね、この謎かけ分かる?」
「どんなの?」
男の子は興味津々に聞いた。
「“王様にツノとシッポが生えてしまいました。さて、王様はどんな動物になったでしょう?”」
終
赤い湖とりんご 燐裕嗣 @linyuushi
★で称える
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