第7話 祭りの後
Ⅰ
りんご泥棒・アルが姿を消してから数日後、ついに双方が動き始めた。
祭の明るい雰囲気は一変し、戦の物々しい雰囲気になった。これは予想していたよりも規模が大きそうだ。正規の兵士で充分な戦力があると思っていたが、慎重なのか相手を徹底的に潰すつもりなのか、街のあちらこちらで兵の徴収が行なわれている。
今、ラジストは二階の窓から街を眺めている。
この数日間、杖をつきつつ、まだぎこちない足でほぼ街中を歩いて回った。アルを探していたのだ。
(…結局見つからなかったな)
心なしか冷たい風が吹き、テーブルの上に開かれた本のページをめくる。本に挟まれていた紙が吹かれて、カサリと落ちた。
徴集はラジストにもかかっていた。
だが、彼は戦に行く気なんて無く、街の男達が戦場に駆り出されるのを静かに見送っていた。
(僕にも徴集がかかったという事は、ナウル達にも――)
不意に一階の店内に人が入って来る気配がした。
彼が慌てて一階へ下りて行くと、そこにはカズサがいた。
「ラジスト! 来て!」
「え?」
「こっち、こっち~! おかあさんがよんでる!」
「エルニドさんが?」
一体今度は何を思いついたのか。ラジストはカズサについていくことにした。
* * *
「シン、ロントさん知らない?」
「んー。資料室かな。何か急ぎ?」
「ううん。ちょっと頼みたい事があってね」
シンと別れたオレは資料室へ向かった。
扉を開けると、むせるほどの古い本の匂いと埃。
(資料室…のはずなんだけど。整理されてないよな、ここ)
そんな事を思いながら奥へ進んで行く。
本棚の後ろを覗いて、ようやく見つけた。
「ロントさん、今回の…ダキアの件、オレに任せてくれませんか?」
その言葉を聞いて、彼女はうすら目を開けた。
「よっこらせ」と起き上がると、分厚い本と膝を抱えて座った。白髪のちらつく髪には寝癖がついている。
「…何? エト、貴方…人を斬るの嫌がってたじゃないの。いつもいつもトドメ刺すの躊躇って。何があったかは知らないけど、帰ってきたらまず結果を私に報告!
今回も忘れたの?」
「あ…。すみません。今回、城では斬れませんでした。…というより斬りませんでした。オレよりも勢いのある奴がいたんで、そっちに任せておこうかなと思っていたら、そいつ捕まっちゃったんで…」
「聞き苦しい言い訳にしか聞こえないわ。もう王の方は…今は放っといてもいいけど、探し人の方はどうなってるの? まさか、こっちも見つけてこれなかったなんて言わないわよねぇ?」
きゅーっと細くなるロントの目。
「探し人は見つけてきました」
オレははっきりとそう言った。
「仲間に出来たの?」
「いえ」
すっぱりと否定すると、彼女は頭を抱え込んでしまった。
「そういう所が素直なのは変わらないのね。でも驚いたでしょう。探し人が実は自分の妹だったなんて」
「まあ、驚いたといえば驚いたかな。俺達、王族の血筋なのに全然…というよりも正反対の生活してるんだなぁと改めて思わされたし、むしろ城のようなものが苦手? オレは……人の命を奪うような任務が無ければ、今の生活で十分いけると思っています」
「……そう」
立ち上がって部屋から出て行こうとした彼女は、ふと足を止めて振り返った。
「今回の罰は資料室の整理。床に置かれている物を片付けてくれればそれで良いから。よろしくね」
「……はーい」
* * *
城の片隅にある小さな牢舎。
一時はアルも放り込まれた場所に、彼は幽閉されていた。
髪は白く、俯くと顔が隠れる程伸びているし、体は細く痩せていた。キラリとしたルビー色の眼を光らせ、牢の奥でひっそりと息づいている。
ふと、視線が動いた。
――誰か来る。
その足音は迷う事なく彼の牢に近付いて来る。そして止まった。
「……俺がこんな事言うのも変だろうけど、元気だったか?」
聞き覚えのある声に、彼は顔を上げた。
「あ…」
彼の赤い眼に映ったのは、銀鼠色の髪と古い二本の刀痕、腰にはその細めの身体に似合わない大業物を携えて――。
そっと鉄格子に触れて静かに言った。
「…出たいか?」
ポケットから鍵を取り出す。
「俺に力を貸してくれるなら出してやれるけど…」
「……れるの?」
「何?」
「ぼくを…許してくれるの」
彼の声は微かに震えていた。
* * *
今、二人は隊長の部屋に向かって歩いている。
クルドは相変わらず浮かない顔をしていた。
「……クルド~? 何か最近暗いよぉ~? ほら笑って笑って!」
「……」
浮かないどころか沈んでいた。
そのうち隊長の部屋に着いて扉をノックする。
「早速だが、二人で街に行って来てくれ」
アトラスはズバリ切り出した。
「徴集かけても城まで来ない奴とかいるみたいでさ、そいつらを連れて来てくれれば良い。住所と名前、書き出しといたから行って来て」
クルドに紙を渡して、ひらひらと手を振る。
「……何でいつも私達なんですか? 十二番隊は他にもいますよね。私達しか街に出てないっていうのはどうかと思うんですが……」
「そーゆーのはコレを書いてる奴に言うんだな。オレに言われてもどうしようもない」
「はい?」
「いや…忘れてくれ」
アトラスは怪訝な目をするクルドから目を逸らした。
「ソフィア、エトと例の――りんご泥棒の方も頼むな」
「はーい。探してきます」
ここ王都では、とあるりんご泥棒の関わった事件がしばらく続発していた。
一つ目は城への侵入。
一時は追い詰める所まで行ったが、結局は保安部隊の方が大痛手を負い、逃げられた。
二つ目は殺人鬼。
無差別殺人犯を捕まえる為、「殺人鬼を捕まえるまでは、りんご泥棒を見つけても捕まえない」という取引を交わした。殺人鬼を捕まえ、同時に動けなくなったりんご泥棒も捕まえた所までは良かったが、どうやら城に戻る保安部隊の中に奴の仲間が紛れ込んでいたらしく、逃げられた。
三つ目は二度目の城への不法侵入、そして王への謀反。
しかも謀反人は二人――さらにその後ろで忍び込む手立てを整えた者がそれぞれ居る事も分かってきている。
さて、今回も街へ出されたクルドとソフィアは街の地図を頼りに入り組んだ道を歩いていた。
「もー、どこよ…。ここら辺に古本屋なんてあった!?」
地図を持っていながらも迷子になったらしい。いつの間にかクルドの隣から姿を消していたソフィアがパタパタと戻ってくる。
「クルドクルド~!」
「何? またかわいい物置いてる店でも見つけた? 今仕事中なの分かってる?」
「分かってるよ! ちゃんと仕事に関する話だもん。仕事仕事って、そんなんじゃつまんない人になっちゃいますよ。クルド副隊長~」
ソフィアが頬をぷくーッと膨らませた。怒っているようでもどこか可愛いのがソフィアらしい。ただ、今の言い方は引っ掛かる。
「何ならこの地位、変わってあげても良いけど?」
「遠慮しておきまーす」
何で彼女はこんなにもお気楽なのだろうか。クルドはため息を吐いた。
「で、話ってのは?」
「本だらけの家、見つけたの! 看板は……字が読めなくなった小さいのがあった…と思う。きっと今探してる店だよ!」
「私達が探してるのは店じゃなくて人なんだけど」
「いーの」
ソフィアがクルドの手を引いて「こっちこっち」と走り出す。
『 CLOSE 』
――扉には小さな板が掛かっていて、店は閉まっていた。
「探しているのは人なんだけど…」
店主は居ないようだ。扉の横にある曇った窓からは、多量の書物が所狭しと積み上げられている店内の様子が、ぼんやりと見える。
「……ソフィア、ここは後回しにするよ」
「じゃあ次は――」
二人の姿が店から遠退いて行く。
二人が曲がった角から、今度は一人の男が出てきた。
店の扉の前に立つ。
「…留守か」
ぽそりと呟いて、扉に手をかけた。
“一度背を向けたら 二度と戻れない場所”
街の中心から南西の方角――エルニドの家。
一組の男女が向かい合って話をしている。
ラジストとエルニドだ。
「僕は行かないつもりだったんですがね。貴女の話を聴いて…決心しましたよ」
立ち上がったラジストの声には、諦めと怒りが含まれていた。
* * *
Ⅱ
時は遡り、数年前の事。ラジストが王都に流れてきてすぐの話。
彼は一人の子供と出会った。
ある程度の本拠地となる場所を決め、食料の買出しを兼ねて街の見物をした帰り道。
「待てー!」
りんごを抱えた一人の子供が、彼の脇をすり抜けて行った。
後方からそのりんごを売っていた店主であろう、初老の男が追い駆けて来ている。
段々追いついてくる。
(…あ。捕まった)
子供がじたばたと足掻いているのが遠目からでもはっきりと分かった。男が子供からりんごを取り上げた。
「あ! おれのりんご!!」
ゴッ
「いって~!」
ゲンコツを受けた頭を押さえ、子供はその場にしゃがみ込んだ。必死に痛みを堪えている。
「りんごが欲しいなら今度は親と来な」
男はそう言って立ち去った。
ラジストは、頭を押さえたまま座り込んでいる子供に近付いた。
勢いよく振り向いた子供は、潤んだ藤色の目で彼を睨みつけた。細い身体は傷だらけ、着ている服は薄汚れている。
「ああ。警戒しないで。…君、お腹空いてるの?」
「……うん」
ラジストの言葉に、子供が警戒を解いて立ち上がった。
「ほら、これ あげるよ」
そう言って、彼は買ってきたばかりのパンを差し出した。
子供は彼の行動にたじろいて、ふいと顔を逸らし、
「…そんなのいらない。おれが欲しいのはりんごだ」
と言った。
「わがまま言うね」
「わがままなんかじゃない。おれもおれなりに切羽詰ってんだ。 路上に居るほとんどの子どもに親が居ないって事位…あいつも分かっているはずなのに……」
語尾が弱くなる。体中にあった傷が、さっきよりも開いている。
痛む傷口を押さえ、自分の心も抑え込むように、子どもは言った。
「大人なんてっ……あの人以外、誰も…信じられるもんかっ!」
少年の目からは涙が零れていた。
傷を心配するラジストの手を振り払い、裸足とは思えない速さでその場から走り去った。
ラジストは呆然と突っ立って、少年が見えなくなるのを見ていた。
「…“あの人”って…?」
呟いて、振り払われた手を見た。
二人が再会したのはそれから数ヵ月後のこと。
ラジストが王都にようやく慣れて、仕事もそれなりに入ってくるようになってきた頃、またもや走っていく子供を見た。
今度は後ろから、前から、右からと、三方向から囲まれてしまった。
(助けた方がいいかな)
そう思ってラジストが走り出した時、子供が動いた。
道端の石を前にいる男に投げ付けた。相手の視線が逸れた隙に、彼の持っていた棒を奪い取る。
「あ」
次の瞬間には、子供の繰り出した突きが鳩尾に入り、右から出てきた男の向こう脛を叩こうとしていた。
小気味良い音が聞こえ、脛を叩かれた男が蹲るのを見た。
結局ラジストが辿り着くまでに、子供は大の大人三人相手に、二人も動けなくしてしまった。
(スピード勝負って訳か)
だが、脛を叩いた直後に子供も倒れかけた。
三人目が子供に向けて棒を振り上げたのを見たラジストが、二人の間に割って入り、寸での所で子供が倒れるのを防いだ。
「ふぅ…。おじさん、やっぱり子供相手に大人三人っていうのはダメでしょ」
「邪魔するな小僧!」
「小僧で結構。邪魔させて貰います!」
殴り掛かろうとする相手の脇腹に蹴りを喰らわせ、子供を連れて逃げ出した。
「やぁ、また会っちゃったね」
「……」
「もしかして、手…出したの怒ってる?」
「…怒ってなんか…ない」
そう言う子供は何だか悔しそうな顔をしていた。
「このままじゃ……だめだ」
子供の口から零れた言葉を、ラジストは聞き逃さなかった。
どんな所にも 光と影がある
この街もそう
王や貴族は光の中で 貧しい者は陰に住む
光の中にも陰は在り 陰の中にも光が在る
二人が居るのは陰の中
「なんで……」
「ん?」
「なんで、あんたはここに来たんだ?」
王都に来た理由――突然訊かれて、ラジストはどう答えたら良いものかと考えた。
「ここに来た理由、か。難しい質問だね。別に理由なんて無いんだ。強いて言うなら居場所を求めて…かな。僕の居た村は何年も前に無くなってしまってね。…僕、ラジストって言うんだけど」
「?」
「名前、君のも教えてよ」
ラジストが優しく笑って言った。が、子供は直ぐには答えてはくれなかった。
少し間が空いて、漸(ようや)く口を開いた。
「アル……。おれはアルフェリアだ」
名前だけ言って、またすぐに口を閉じた。二つの紫の目が、ラジストを見つめていた。そこに警戒の念は全く無かった。ただ、ラジストと、彼の後ろにある空を映していた。
「そうだ。これ、君にあげるよ」
ラジストがアルの手にそれを置いた。
「りんご!」
「この間“りんごが欲しい”って言ってたから。あげるよ」
「い……あ…えっと……ありがと」
「どういたしまして。
なんだ。アル君案外可愛い所もあるじゃんか」
「かっ…かわいいって言うな!!」
褒めたつもりだったのに叩かれてしまった。
(あれから時々僕の店に来るようになったけど、それでも本当に心を許していた訳じゃなかったんだ……)
ラジストは自分の店の扉を開けた。
カウンターの向こう側、誰かが本を読んで寛(くつろ)いでいるのが見えた。
* * *
その頃、玉座の間に各部隊の隊長達が呼び集められ、王の我侭を聞かされていた。
「此度の戦、この者に任せる事にした!」
ダキア王は突然そう宣言した。
彼が示したのは、彼の身代わりになる、仮面を着けた少年だった。王族の衣に身を包み、手袋までしている。
「何処の誰かなど無粋な事は訊かんでやってくれ。
この者はわしの身代わりになる事を自ら買って出たのだ」
王が少年の肩に軽く手を掛けた。その手を少年は不機嫌な声で
「俺に気安く触るな」
と言って払い除けた。
「王に向かって何と言う口の利き方っ!」
少年の言動に隊長格の一人が怒鳴ったが、少年は動じる事無く静かに言い返す。
「うるさい。町中の泥棒如きにてこずってる役立たずめ。
“王都保安部隊”なんて大層な名前の割に、コソドロ一人捕まえられないとは」
「呆れたもんだ」とでも言うように両手を肩の高さまで広げ、「はっ」と短くため息を吐いてみせた。
険悪な空気を漂わせたまま、集会は終わった。
クルド達が街から戻ってきた時、丁度アトラスも集会から戻って来た所だった。珍しく真剣に考え事をしていると思ったら、クルドを呼んで何やら耳打ちしている。
「今回の影武者…見張っといちゃくれないか? 身代わりが王様と似てないのはいつもの事なんだが、今回の奴は今までとは違う。何か裏で企んでいそうだ」
「隊長……考えすぎじゃありません?」
「じゃ、一緒に見に行こ~」
「えっ…ちょっっ……」
アトラスの心配事をざっくりと切って捨てたクルドは、ソフィアに引っ張られる形でその少年の元へと向かう羽目になった。
クルド達は扉の隙間からそうっと少年を盗み見た。
少年は椅子に座っていた。
「…動かないねぇ」
「眠ってるのかな…?」
彼が着けていたらしい仮面は彼のすぐ横にある小さなテーブルに置かれているが、向こうを向いている為に顔は見えない。だが、背凭れから見えている薄黒の髪には見覚えがある気がした。
ある人物の顔が頭の中に浮かび上がってきたが、自分で出した信じ難い答えを、彼女は自分で否定した。
(人違いよ。せっかく逃げ出せたのに二度も戻ってくるなんて、そんな危険を冒そうとする奴なんて居ないわ。きっと……この少年も誰かが街で拾ってきた奴よ)
クルドは自分に言い聞かせた。
「あ、動いた」
ソフィアの声に反応して、クルドも扉の向こうを見る。
もそもそと椅子の上で体勢を変えたかと思うと、こちらが覗き見ている事に気付いたらしい。手袋をつけた手が、テーブルから仮面を取り上げた。
仮面を着けた少年が、彼女達の方に向かって歩いて来る。少年…とは言っても、ぱっと見、クルドと同じ位の年頃だ。
扉に手か掛けられ、ゆっくりと開けられた。
「……こんな所で何してるんだ?」
「あ~ぁ。見つかっちゃったねぇ~」
仮面少年の問い掛けに、ソフィアが笑って開き直った。
そしてクルドは……
「あなたもしかして――」
勘付いた。
「そっから先は言うなよ」
彼の右手にはラフロイル製の小刀が握られていて、それはクルドの喉元を捉えている。
「…脅迫のつもり? 姑息ね」
「……」
その時彼が何を思ったかは、仮面に隠れていて分からなかったが、ふいと顔を逸らすと、扉を閉めようとした。
「ちょっと待ちなさいよ!」
クルドは少年が閉めようとする扉を止めようとした。
「何でこんな所に居るのか、説明しなさい!」
「そのうち分かる!」
扉を押す二人の力はほぼ互角。僅かに少年の方が勝っている。
「(このままじゃ閉められる…)ソフィア! 手伝って!」
「はーい」
「ああ!?」
ソフィアが加勢して、扉が少しずつ開いていく。人が出入り出来るほどの隙間が出来たが、二人のどちらかが少しでも力を抜けば、瞬時に閉じてしまうだろう。
二対一の変に緊迫した空気の中、少年が問いかけた。
「…クルド…お前さ……」
「…何よ」
「誰かに、告白された事って…ある?」
「は?“告白”って――…!!」
その問い掛ける声は、何だか困っているように聞こえた。
クルドの頭の中で、何かがカチリと繋がって、彼女は感覚でそれを理解した。直後、クルドの顔が朱に染まった。
思わず扉から手を離してしまい……
「「あ」」
扉は二人の目の前で大きな音を立てて閉まった。
「ああぁ……」
扉の外ではクルドとソフィアが、内側では少年が、訳の分からない突然の脱力感を感じ、その場に座り込んだまま動けなくなっていた。
“指先に触れては感じる懐かしい痛み”
少し戻ってラジストの店――
カウンターの向こう側、誰かが本を読みながら寛(くつろ)いでいた。
「…客…のようには見えませんね」
「そりゃあ、客じゃないからな。鍵閉まってんのに、わざわざこじ開けてまで店ん中で寛ぐ客なんて居ないだろ」
顔も上げずに物を言う男の言動が、どこかアルと似ている。
「…どちら様?」
「ガージ」
「……ガージって確か、この街の裏ボス的存在だった人の名前、ですよね?」
「ああ。お前、外から来たのによく知ってるな」
「…何で僕が外から来た人間だって…?」
ラジストの反応を見て、ガージがにんまり笑う。
「俺も相当有名だったがな、お前もそれなりに有名なんだぜ」
「へぇ…」
ラジストはカウンターを挟んでガージと向き合う状態で座った。
「ヘぇ…てお前……つまらん奴だな。もっと他に反応があるだろ。……まぁ、その裏ボスも数年前に代替わりして、今ではただのおっさんだ。今の頭はアルフェリアって言うりんご泥棒、知ってるよな」
知っているも何も、ラジストが足を引きずってまで探している人物がそのアルだ。色んな場所に姿を現したものの、誰も行き先を知らないと言う。しかもアルが会いに来たと言う者は、皆揃って戦に出てしまうそうだ。
「お前の噂を聞いてここに来たんだが……。教えてくれるよな? 今アルが何処にいるのか」
「(アル君が今何処に居るのか…って?)
それは教えられません」
質問をずっぱりと切られたガージは「何故だ?」と訊いた。
それに対するラジストの答えを聞いてガージは呆気にとられ、ひとしきり笑った後、視線をラジストに戻して言った。
「なるほど。“知らない事は教えられない”…そりゃそうだ。確かにそう……なのだが…。そこを何とか」
「無理です」
ラジストの返答に、ガージの顔から笑みが消える。
「…どうしてもか?」
「どうしてもです」
店内の空気が冷たくなった。
ガージがゆらりと立ち上がる。
ラジストの耳元で風が鳴り、磨き上げられた刃が突きつけられた。
「店の中でそんな物騒な物振り回さないで欲しいですね。
大体、元裏ボスだからって、今更アル君に何の用ですか?
あなた、アル君の何なんです?」
刃の角度を少しずらして、彼はラジストの問い掛けに答えた。
「ルコルド・ガージ。りんご泥棒アルフェリアの――師匠だ」
* * *
窓から風が入ってくる。
埃っぽかった資料室は、エトランゼによってある程度片付けられていた。
「一旦休憩…と。はぁ~…」
一人で資料室の整理をさせられていた彼は、その場に座り込んだ。そして、ぐるりと室内を見回す。
(本に囲まれてんのは嫌じゃないけど……一人でこの大量の資料を整理させられるのは、ちょっとキツイなぁ…)
寝転んで伸びをすると、一冊の本が手に当たった。
「………」
手元に引き寄せ、読んでみた。それは王都とその周囲の歴史について書かれた本だった。
何気なくページを捲っていた手が、ふと止まった。
「……え!?」
急いでさっき片付けたばかりの本棚から、また別の本を取り出し、二冊を見比べた。
「まさか…」
嫌な予感がした。きっと今までの考え方は甘かった。
今までの歴史に……これからの運命に衝撃を受けた。
まだ誰も知らない。きっとエトランゼだけしか知らない。
誰かが部屋の中に入ってきて、彼のすぐ後ろに居る。
「エト、準備終わったよ。ロントさんが呼んでる。皆集合だって」
「…うん。すぐ行くよ」
彼は二冊の本を閉じて立ち上がった。
そして全てが動き出す――。
* * *
城内の廊下を、一人の女性が歩いている。手には、やたら大きな包みを持って……。
廊下の向こうから三人程男が歩いて来る。何やら不満を漏らしている。
「あんの小僧ぉぉ。拾われ者のクセに……身の程を弁えろ!」
「王様も、あんな奴の言う事に耳を貸すとは……」
「あの少年、陥れてやりましょう!」
「……」
黙って通り過ぎようとした所、三人に囲まれてしまった。
「おい、お前。この城の使用人じゃないな」
「それが何か?」
「こっから先には通さん」
彼女はつんと澄まして言った。
「お退きなさいな兵士A、B、C。……あら。隊長さん達でしたの。そう。それは失礼。でも、腹いせの対象に私を選ぶだなんて。痛い目見ますわよ?」
彼女がひらりと舞うように動いた。
ストトッ
男達の内、二人がほぼ同時に倒れた。それを見た三人目は、驚いて声も出ない。
「こう見えても一応貴方達の先輩よ。女だと思って甘く見ないで下さいな。…そうそう。ところで、先程貴方達が話していた“少年”は今何処に居るのかしら?」
「あいつの仲間か」
「ええ。目的はそれだけではありませんけど」
彼女はふわりと笑った。
男が投げたナイフを大きな包みで弾いて――
「……不意打ちも下手ね」
「突然現れて隊長格を同時に二人も倒した城外の者に、そう易々と城内を道案内出来るものか」
「…もう良いですわ。あの子の居場所は別の方に訊くことにします」
大鎌の柄が男の眉間を捉え、彼を深い眠りへと引きずり込んだ。
「貴方達はそこで暫く眠ってなさいな」
静かに言って、その場から離れた。
クルドは例の部屋の扉を開け、そろそろ用意するよう伝えた。
「ああ……」
影武者は空返事をしただけだった。
心の中では、本当に相手が思い通りに動いてくれるのだろうかと言う不安があった。
クルドが部屋から出てすぐ、エルニドが姿を現した。
「来るんですか?」
「ええ。私も会わなければならない人が居ますので」
城門内側――王都保安部隊のほぼ全部隊と、街中から徴集されて来た者達がそこに集合している。
軍楽隊が楽器を構える。
「国王軍、これより出陣致します」
軍楽と共に動き出した彼等の半分以上は、これから起きる出来事について、大まかにしか伝えられていなかった。
* * *
時は戻ってラジストの古本屋・店内。
「アル君の…師?」
なるほど。それなら言動が似ている事に合点がいくと、ラジストは納得した。だが、この剣を突きつけられている状況はどうしたものか。
「本も傷付けたくないし、剣を収めてはくれませんかね」
「ふぅ」
ガージが溜め息を吐いて剣を収めた。
「目の前に剣を突きつけられても動じないどころか、自分の身よりも本の心配をするとはな。変わった奴だ」
ラジストも力を抜いて
「よく言われます」
と笑った。
店の外、遠くから軍楽が聞こえてくる。
「国王軍の出陣だ。…そう言えば、王保隊の奴等が店の前まで来てたぞ。お前、徴集無視ったんだな。…行かないのか」
「行かない…つもりだったんだけどね。 行くよ。
アル君が居るかもしれないから行く事にした」
「なにぃ!? やっぱり知ってんじゃねーか!」
ガージがラジストの襟元を引っ掴んでがくがくと揺すった。
「わわわわわわっ!? ふ、不確実な情報なんて教えられませんってぇぇぇぇ」
「不確実でも噂でも何でも良い! とにかく情報が欲しかったんだ! おっさんを嘗めんなよ。俺は先に行くぜ。じゃぁな!」
ガージはラジストの襟元からと手を放すと、後ろに倒れる彼などお構い無しに、全速力で店から姿を消した。
倒れたラジストは
「……また置いてきぼりだ……」
天井を見上げたまま呟いた。
“何かに近づく為に歩いていたのか
遠ざかる為に 只歩いて行くのか”
* * *
Ⅲ
鈍色の空の下。遠くに森の影が揺れて見える。
吹き抜けるのは冷たい風。森のすぐ傍には城壁が見える。
雲の間から僅かに光が零れる。城壁の下方に動くものが見える。
それは赤と緑、そして金の糸で刺繍が施されている。
「国王軍のお出ましだ」
彼はダキアに恨みのある者、王都を崩そうと目論んでいた一派を率いて、城壁から程なく離れた岩山の陰に隠れ潜んでいた。覗いていた望遠鏡を下ろし、後ろに控える者達に向かい、念を押す。
「さっきも言ったけど、気絶程度で倒してよ。殺すのも、殺されるのもいけないからね」
エトランゼの言葉に皆が黙って頷く中、シン一人が発言した。
「エト…戦って言うのは人が殺し合うものだよ?
やらなきゃ、やられちゃうんだよ?」
そんな事言われても…と彼は頭を掻く。
「俺は皆を守りたい。ダキアも倒したい。…でも、関係無い奴は傷付けたくない……解かる?」
「わかんない。誰に何を言われたの? なんだかエト、変だよ」
シンが下から覗き込んで、責めるようにエトランゼを見つめる。
「誰にも何も言われてないよ」
彼は表裏の読めない微笑みを見せて、言葉を続ける。
「オレはただ、唄通りになって欲しくないだけなんだ」
「唄?」
「“静かに揺れる――”てやつ。……出来るだけ血を流さずに終わらせたい。でないとオレ達も、彼女も……きっと危なくなる」
「彼女って?」
「……これ以上は話せない」
エトランゼが茶を濁すように顔を叛けた時、彼よりも近い位置で敵の動きを窺っていた者が一人、駆けて来た。
「エト! 軍(あそこ)にはダキアは居ない! きっと城のどこかに隠れて――」
駆けて来て早々、慌ただしく報告する彼とは相対して、エトランゼは落ち着いた物腰だった。
「今の頭(かしら)は?」
「え…?」
「ダキアがいないなら、奴の代わりが居るはずだけど」
緩く、冷たい風が通り過ぎる。
「王族の衣を纏った薄黒髪の少年…」
男が恐る恐る答えた言葉を、エトランゼは口の中で繰り返した。
――本当に“少年”か?
「それじゃあ、まずはそいつを抑えよう。あ、勝手に斬っちゃダメだよ。そこら辺はオレが決めるからね。…どちらにしろ、街に行くには奴等とぶつかる事になる。
ありがとう。戻っていいよ」
男は短く返事をしたかと思うと、来た時と同じようにまた慌ただしく掛けていった。彼の姿が消えてから、エトランゼは言った。
「オレの合図、見逃すなよ」
一ヵ所から狼煙(のろし)が上がると、呼応して離れた所からも上がり、それに気付いた国王軍はその場で歩を止めた。
前方から…左右から近付いて来る。その数およそ二百。
(…思っていたより少ないな)
計画通りに行くだろうかと心配しながらも、守りの陣を広げた。
「クルド! ソフィア! それから保安部隊のおっさん達! 伝えといた事、しっかり守ってくれよ!」
方々から「言われなくても分かっている」と声がした。
頭(かしら)は傍に居る少年を見た。
「シュク、行くぞ」
彼は力強く頷いて見せた。
やがて双方がぶつかる時が来た。
互いに怪我人はあったが、死者は出なかった。
不可解に思う者も居ただろうが、皆そんな事を考えている余裕なんて無かった。
入り乱れる双方の中、国王軍の中心に向かって突き進んで来る者がいた。幾枚もの刃を避け、時に傷を負いながらも尚進み、ついに国王軍の司令塔の前まで辿り着いた。
しゃらんっ
シュクがエトランゼに向けて攻撃を仕掛ける。
エトランゼはその一撃をひらりと避けてシュクを見た。
別方向からエトランゼと同じ、青い布を右肩に巻いた男が“少年”を狙った。同じ青い布でも、エトの指令が行き届いていない――ロントの管轄下の者だろう。
だが、シュクにとってはどうでも良い事。振り向き様(ざま)に投げたナイフが男の腕に刺さる。男が腕の痛みに顔を歪ませ、動きを止めた所を“少年”が蹴倒す。
“少年”は、ただ守っているだけのようだった。何をかは分からない。
彼等は“少年”に近づく者を粗方片付け、改めてシュクがエトランゼに狙いを定める。 ナイフを投げようとした彼の手を、“少年”の一言が止めた。
「待て、シュク」
シュクが“少年”の方を見る。
「そいつと話をさせてくれ。出来れば誰も話の邪魔が出来ないようにしてくれれば嬉しいんだけど…」
「……」
シュクは迷っているようだった。
「大丈夫。そいつ一人なら…な」
「……」
無言のままエトランゼを通すと、今度は彼の後ろにいた取り巻きを睨みつけた。
「ついに来たか……」
“少年”が仮面に手を掛け、ゆっくりと外すと、その内側に紫の瞳が現れた。
やはり少年ではなかった。
「なんで…っ」
その頃、別の所でも再会している者達がいた。
それまで何の抵抗も出来ずに倒されていく相手に手応えの無さを感じていたエルニドは、ある女性に行き着いた。
背後から風を切る音が聞こえ、迫る刃を寸での所で鎌の柄を使って受け止め、相手を見た。白髪雑じりの髪、見覚えのある剣とその動きがエルニドの中にあった記憶を引きずり出し、重なった。
「お久し振り…で良いのかしら。
やっぱり貴女が裏で糸を引いていたのね。ロント」
剣に込める力は緩めず、女性・ロントがふと目を細める。
「糸を引くだなんて。私は街を追われた人達と集まってひっそりと暮らしていただけよ?」
「これの何処が“ひっそり”なのかしら?」
「あらやだ。街から離れてずっと様子を見ていたんじゃない」
近所の奥さん同士で話すような口調で会話は進むが、言葉の所々に棘が隠れている。
ロントは国王軍の中心にいる人物の方を目で示した。
「それを言うならあの子…あんな立派に育っちゃって。まぁ。一国の姫君になるはずだった子が、どうしてあんな所にいるのかしらね?」
「ねぇ?」と問い掛けるようにエルニドを見る。
互いに押し合う剣と鎌がカタカタと音を立てる。
「……」
「貴女は女の子に武術を教えるような人ではないと、私は思っていたのですが……まさかその考え、外れたかしら?」
「はずれ…ではありませんわね。私、アルさんには身を守る類のものは何一つ教えておりませんもの」
そう言ったエルニドはロントの剣を払いのけ、間合いを取った。ロントの眉間に皺が寄る。
「護身の術(すべ)一つ持たずにあんな所まで上り詰められる訳が無いでしょう。何も知らない子供が後ろ見の目を逃れて武術を一人で習得したとでも言うの?
そんな馬鹿な事ある訳無いでしょ」
ぴりぴりとしたロントの言葉を、エルニドがゆるりと受け流す。
「そうねぇ。でもその子供が、いつの間にか私の前から姿を消していましたの。あの子が姿を消してから再会するまでの数年間の事は、流れてくる不確かな噂話に縋るしかなかった…。誰があの子の世話をしてくれたのか……私も知りませんの」
「後ろ見が預かっている子供を見失うなんて……聞いて呆れる。しかもあの情勢の中で、どこの子かも分からない子供を世話してくれるような人が居たとは思えないわ。
そんな話、信じられる訳無いじゃない」
「信じてもらおうだなんて端から思ってません。
貴女が信じようと信じまいと同じ事。過去の出来事は変わりませんもの」
ロントの眉間の皺が深くなり、表情が苦々しく歪む。
「昔から気に入らなかったのよ、その喋り方」
「あら、貴女に気に入ってもらうつもりは無くてよ。……もしかして、この数年間もそうやって僻(ひが)み続けてらしたの?」
後ろからの攻撃を避け、後ろも見ずに敵を衝く。
エルニドの注意が自分から逸れた時、ロントが彼女の近くへ踏み込んだ。
「怒りに任せて動いてはいけませんよ。動作が粗くなりがちです」
エルニドの鎌が振り上げられた剣を弾き返す。
彼女の青い目が笑う。
弾かれた剣はエルニドの足元に突き刺さった。その陰に隠れて握られていた小刀が彼女の服を切り裂いた。
「!……あらあら。一応策はありましたのね」
掠(かす)っただけのようだが痛みがじんわりと広がり、服に血が滲む。
「でも、やられる訳にはいきませんので――」
鎌の頭と柄の接合部分を両手で捻ると、頭と柄が分裂した。
三日月形の鎌の頭を手放し、ただの棒になった柄の部分を持って構える。
「貴女にはここで眠ってて貰います。
また後程、ゆっくりと話し合いましょう?」
エルニドの髪が揺れ、鋭い衝きが三発、ロントを捉えて地に伏せさせた。
「おやすみなさい」
エルニドは鎌の頭を拾い上げて、戦場の中心へと向かった。
* * *
彼は木の上から戦況を見ていた。
たまに流れ弾や矢が飛んできたりするが、そんな事はあまり問題にしない。
下にいる兵達は動いているから気付かないのだろうか。少しずつ、双方がぶつかった始めの場所から戦場の位置がずれてきている。
(このまま行くと――)
彼は皆の進む先、北東の方角に目をやった。すぐそこに在るのは雲の間から零れる光に淡く輝く湖。そして、りんご畑の緑が見える。
(ふーん……)
次に戦の中心、頭(かしら)二人の様子を見る。
国王軍の頭の後ろ、陰に隠れてはいるが確かに“少年”を狙っている。“少年”を守っているらしい少年はその存在に気付いていない。
彼が腰に下げている銃に手をかける。
陰に隠れていた男が飛び出し、“少年”に向かって剣を振り下ろす――いや、振り下ろそうとした。だが、剣は音を立てて弾かれ、その音に気付いた“少年”が男を一蹴した。
* * *
“少年”が仮面に手を掛け、ゆっくりと外すと、その内側に紫の瞳が現れた。
やはり少年ではなかった。
「なんで…っ」
本来なら親の仇――ダキア王が居るはずの所に居たのはアルだった。
無意識に剣を握る手に力が入る。
「何で親の敵の肩を持つんだ? 仇討ちの話に乗るって…オレ達の味方になってくれるんじゃなかったのか!?」
ギャンッ
背後に大きな音を聞いたアルが振り向くと、狐に抓まれたような顔をして、空っぽの両手を上げている男がいた。
(何やってんだこいつ?)
そんな疑問を感じつつも男を一蹴。エトランゼの方に向き直る。
「無関係な奴は傷付けたくない――あんたもそう思ってたんだろ。大丈夫。きっちり片は付けさせてもらうぜ。まあ…その為にもまずは、この場を収めないと・な」
エトランゼがはっとして辺りを見回した。 湖がもうすぐそこまで迫っている。
国王軍、ロント軍、そして両者の中に潜む“名も無き軍勢”。
木々の影、傾く太陽、歴史書――オセロ作戦。
彼は、大きく息をすったアルを止めた。
「アル! オレが城から逃げた時の唄、覚えてる?」
「…ああ」
「それが…何を表しているかってのは?」
「知る訳ないだろ」
本当の事を教えたら、アルは止まってくれるだろうか。
躊躇いは一瞬。エトランゼは思い切って打ち明けた。
「あの唄はこれから起こる事を示している。
唄の最後にあった“怒りの赤・哀しみの青・赤い呪い”……これはアルを示しているんだ」
「…だから?」
「だから…」
エトランゼが目を伏せ、光を取り戻してまたアルを見る。
「だからっ唄の通りになって欲しくなくて、オレはここまで来たんだ。言ったよね? “アルが捕まるのは嫌なんだ”って。妹が傷付くのは嫌なんだ!」
「俺は…」
アルの手がエトランゼの腕に触れる。
「そう簡単にはやられねーよ。絶対に。生き残ってやるから心配すんなって。……シュク! こっちに戻って来い」
シュクは相手していた男達を一睨みして、アルの近くまで駆け戻って来た。
アルがシュクの頭を軽く撫でる。
「俺を信じろよ」
彼女は優しく言った。
“あの時のことも あれからの事も
間違っていなかったのか
本当はまだ知らない ”
エトランゼは頷いた。アルが仮面を投げ捨てる。
そして両軍の頭は戦の終りへ向けて声を発する。
「「作戦始動!!」」
戦況の流れが変わった。
* * *
「あれっ!?」
彼は戦況の変化に気付いた。
さっきまで味方同士だった者が剣を交えているのが見える。
あまりの奇妙さに、続く言葉が見つからない。
今まで黒駒と白駒が戦っていたその最中に、突然、どちらでもない全く別の赤い駒が現れ、戦場を――兵士を――混乱に巻き込み、覆い尽くした。まさにそんな感じだった。
その後はもう、見ている他なくなった。
* * *
湖の縁で、戦は力を弱めながらもなお続き、湖に落ちる者も出てきた。裏切り者を落とそうとする者も。
次から次へと襲い来る刃を躱(かわ)しながら、その刀の使い手を倒していく。
今の所、アルが恐れていた程の血は流れていないまま、立っている者も確実に減ってきている。
すぐそこで風を切る音がした。
右からの攻撃を避け、彼の上を跳んで、後頭部に峰打ちで一発。倒れる彼を踏み台に、もう一人叩いておいた。左右から同時に剣を振り上げてかかって来た者は、軽く避けて相打ちにさせた。
さすがに相手が多すぎた。息が上がって、集中力も落ちてくる。
背中に痛みが走った。続けざまに前からも、横からも……。
力が落ちてきているのを見透かされたのか、ほんの一瞬緊張が緩んだ時のこと。
(しまった!)
そう思った時にはもう、アルは倒れかけていた。
見えたものは誰かの足の裏。
世界が傾く。アルが傾く。
バランスを崩したアルの体は、そのまま湖の中へ倒れ込む。
「アル!」
誰かが名前を呼ぶ。
エト? シュク?
傷口から血が流れる。傷口は熱い。水は冷たい。痛い。
血を失って、体温を奪われる。冷えていく体が感覚を失っていく。上も下も分からない。光が薄れて消えていく。
(…あーあ…格好つけ過ぎたか? ……とりあえず、失敗はしたな。死んだらこの呪いも消えてくれるのだろうか…?)
閉じかけた目に、こちらに向かって近付いて来る影が映った。
(迎えが来たのか…? 神なんて…信じてもないのに……)
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