第4話 殺人機編2
時ハ、刻々ト刻マレテ、
今日モ王都ニ 夜ガ来ル。
月ニ照ラサレ 笑ウノハ、
獲物ヲ見ツケタ 殺人機……。
* * *
街灯が冷たい光を降らす。
足を引きずりながら歩いて来た彼は、その場に座り込んだ。
震える呼吸を抑えて、耳を澄ませる。
足音が聞こえる。
(近付いてくる……っ)
彼は酷い痛みを押さえ付けながら、建物の陰に身を隠した。
足音は捜し物でもするように、止まっては歩き、歩いては止まり、徐々に近付いてくる。
(一体何だったんだ? 何で…あんな……)
自分の店に戻ろうとしたらシュクと遇って――。
もう、逃げる体力も気力も無く、彼は倒れた。
すぐ傍にあった箱に頭をぶつけて痛みに悶える。右足の痛みに比べれば、どうという事は無いが。
鈍く痛む頭のすぐそばで、足音が止まった。
足音の主が驚きの声をあげた。
「っラジスト!」
(え?)
彼は声のした方を見た。
「ア…アル…君? 何でこんな所に……」
「それはこっちのセリフだ! どれだけ待ってもラジストは帰ってこないし、シュクは居なくなるし……」
「シュク君がいない? ……だろうね」
「ん? 何か知ってるのか」
「まあ……アル君よりは、ね。
とりあえず、まずは起き上がりたいからさ、手かしてくれないかな」
そう言って右手を差し出す。
アルがその手をとり、ラジストを引き起こしながら
「仲間なんだから、俺にもちゃんと教えろよな」
と言った時、キラリと光る何かが二人の手の上をよぎって壁に突き刺さった。
それは鋭いナイフだった。
「!?」
「……どうやら、《彼》が来たみたいだね。
僕の知っている事の一部は、もうすぐ君にも分かるようになるよ」
通りの向こうに影が立っている。
月を覆っていた薄い雲が流れて、影の姿をはっきりと見せた。
ぺたぺたと裸足で、乱れた髪もそのままに。
顔も体も痩せているのに、綺麗で大きなルビー色の目だけには、強く禍々しい光が宿っていて……。
細い足首には金色の輪鈴。
信じられなかった。信じたくなかった。
でも、これが真実――。
殺人機を見つめたまま言葉の出てこないアルに代わって、ラジストが言った。
「現実にいた殺人機は、シュクだよ」
「お前っそれ知ってたのかよ!!?」
「落ち着いて。僕だって……はっきりと分かったのはついさっきなんだ……」
ラジストを見ると、抵抗しながら逃げて来たのか、体中に傷がみられた。中でも右足が一番酷かった。
「それ、あいつにやられたのか?」
彼は小さく頷いた。
殺人機は既に次のナイフを手にしている。
アルは小さく舌打ちをすると、ラジストを担ぎあげた。
「!??」
「暴れるなよ」
怪我のせいで歩行もままならず、愛銃も店に置いて来た。
今はもう動けなくて足手まといにしかならない彼は、アルに従う他ない。
「まずは逃げる!」
殺人機に追われながら、中央広場に向かって走った。
細い通りを抜け、トンネルを通り、屋上を駆ける。
途中、アルがポケットの中から球を取り出した。
「それ――」
「ラジストの店にあったやつ」
走りながら、遠くにまで見えるように高く放り投げた。刹那、強い光が夜空を明るく照らした。
「(クルド、ソフィア、そっちは頼んだ)――ラジスト行くぞ!」
アルはさらに走る速度を上げた。
王都・中央広場
突然空が明るくなった。
「クルド~合図だよぉ!!」
広場にいるのはクルド、ソフィア、そして……。
「全員位置について!」
夜の街に足音が響く。
屋根から屋根へ跳んだ影が二つ。街の中央に向かって突き進む。
「降りるぞ」
影は段状になっている建物を利用して、中央広場に飛び降りた。
連れて来たもう一人を広場の端の方へ運んだ。
途中から話し掛けても返答がないと思っていたら、いつの間にやら気絶していたらしい。
「(ったく…)」
痛みが酷かったのか、それともアルの行動に驚いてか……この件が終わったら問い質してやろうと、アルはそんな(今はどうでもいいような)事を考えていた。
「クルド…そこにいるんだろ?」
黒髪の少女が物陰から顔を出し、二人を交互に見た。
「(見た事ある顔…)…その人、は?」
「一般市民。殺人機に襲われてた。……手当してやってくれないか?」
「いいけど……殺人機の方はどうなってるの?」
クルドの言葉に、アルは溜め息をついた。
「……仕事熱心だな。もうすぐそこまで来てる。気ィ抜くなよ」
しゃらんっ
建物の上からもう一つの影が飛び出した。
アルが影を出迎えるかのように広場の中心へ向かう。
殺人機は、剣も抜かずに出て来たアルの胸に狙いを定めてナイフを投げた。
ナイフはアルに触れる前に叩き落とされた。
「シュク、お前とは戦いたくなかったんだけどな……」
アルの願いは通じる事なく、一夜の戦いが始まった。
物陰で誰かが言った。
「あれ、あん時の泥棒じゃないか?」
「えっ…あの、城へ侵入して、一人で何十人もの兵を倒したっていう……あいつが?」
「まじかよ……で、さっき飛び出して来たのが殺人機だろ?」
「こりゃあ、ある意味凄い見物だぞ。化け物同士の戦いだ」
「(……はぁ…化け物か。勝手に言ってろ)」
とっくに鞘から抜いていた剣を構えたのと、殺人機が着地したのがほぼ同時だった。
殺人機の動きはかなりすばしこく、どうしたものかと考えていたアルは、ポケットの中からあるものを取り出した。
「ラジストお手製煙幕弾! ……効くのか?」
訝っていても仕方ないので、とりあえず使ってみた。
思いの外強力で、溢れ出た煙はあっという間に広場中を飲み込んだ。おかげで姿は隠せるものの、相手の姿も確認できない。
ただ、相手は足に鈴を付けている。動けば場所が知れるはずだ。
鈴の音は聞こえない。相手は動いていない。
――はずだった。
しゃらんっ
前方にあるはずの音が聞こえたのはすぐ左。
アルはとっさに後ろへ跳んだ。
鋭い一閃が空を切ったのが見えた。
風が煙幕を押し流していく。
銀の髪と紅い目が姿を現した。こっちを見ている。
「…っ!」
一息に間合いを詰められ、ナイフの軌道からわずかに体を逸らすしか出来なかった。
肩の傷が一本増え、血が滲み出す。
「シュク! 目ェ覚ませ!!」
どれだけ名前を呼んでも、どれだけ叫んでも、一向に攻撃は弱まらない。
一体何が彼をそうさせているのだろう?
アルは守りから攻めへと態勢を変えた。
シュクの頭上を飛び越して、背後を取ったつもりだった。が、斬る直前に、シュクが左手に持っていたナイフで、振り向きざまにアルの首筋を狙って切り掛かろうとした。
とっさに避けてかすり傷程度で済んだが、すぐ後に繰り出された回し蹴りは避けられなかった。
アルほどではなかったが、シュクの足もまた強かった。
足が回ってくる直前に聞こえた言葉。
『剣ヲ向ケルノナラ 助ケテヨ』
「(どういう意味だ?)」
そう思った次の瞬間にはもう、地面に叩き付けられていた。
闇の中、声が聞こえる。
『――気ィ抜くなよ』
(この声は……アル君だ)
ぼやけた意識の中、それだけははっきりと分かった。
細く目を開けると、アル君が広場の中央へ向かっていくのが見えた。
「う…(アル君!)」
体を動かすと鋭い痛みが襲い、また動けなくなる。
止めたかった。止められなくても、一緒に戦って、助けてあげたかった。
でも、体が動かない。言うことを聞いてくれない……。
すぐ傍に人がいる。
髪の長い……女性、だ。
(……誰でしたっけ…?)
見つめていると、彼女と目があった。
「! 目、覚めた? あ、あまり大きな声は出さないでね」
周りを見回すと、物陰の所々に隠れている人がいる。
暗くてよく見えないが、きっとこの子の仲間だろう。
「で、君は?」
いくら考えても頭から記憶を引き出す事が出来なくて、諦めて聞いた。
「王都保安部隊十二番隊所属、クルド・ラーセル」
思い出した。アル君と城へ乗り込んだ時の――。
(……でもこの反応、僕の事覚えてないみたいだ)
「どうしたの?」
「……いえ」
そういえばさっきから薬品の匂いがする。
頭を持ち上げて体を見ると、ほぼ全身にあった傷はそれぞれ、応急処置程度に手当てされていた。
積み上げられている箱の隙間から、アルが殺人機と戦っているのが見える。
「シュク! 目、覚ませ!!」
アルの叫び。
しかしシュクの攻撃は一向に弱まらない。
誰の目からも殺人機の優勢が見て取れる。
周りには結構な数の人が隠れているのだろうに、こんな時でも誰も助けに行こうとはしない。ただ黙って見守るばかりだ。
今の自分が出ていっても足手まといになるだけ――そんなことは分かってる。
解っているはずなのに……。
「何で……どうして誰も助けに行かないんだ。君達は――」
「《手を出すな》って言われてんのよ……あいつに。こっちの事情に、一般市民は口出ししないで」
ラジストの言葉を遮って言ったクルドの声は、とても辛そうだった。
アルがシュクの蹴りを喰らって地面に叩き付けられた。
(アル君!!)
すぐそこまで出て来た言葉は、素早く起き上がって攻撃を避けたアルを見て押し留められた。
『出てくるな』
――そう言われたような気がした。
アルはシュクの蹴りを喰らって地面に叩き付けられた。
素早く起き上がり、後方へ跳ぶ。一瞬前までアルのいた所にナイフが突き刺さっている。
「あっぶね~…」
ふと、ラジストが視界に入った。何かを叫ぶ寸前のようで、今にもこちらに飛び出して来そうだった。
「出てくるな! 静かにしていろ!!」
声には出さず、口の動きだけでそう伝えた。
とにかく、さっきのシュクの言葉が引っ掛かる。
『剣ヲ向ケルノナラ 助ケテヨ』
きっと彼だけでは止められないのだろう。
彼の意志に反しているのだとしても、彼がアルの仲間を殺した事に変わりは無い。
アルの目の色に赤み掛かり、赤紫色になっていく。
シュクが態勢を低くして突っ込んで来た。手にはナイフではなく、短刀を握り締めて――。
広場は静まり返り、一瞬、時が止まったかのような錯覚を覚えた。
横っ腹が熱いのは、短刀が刺さっているからだ。
それでも倒れないアルを見て、殺人機は目を見開いて後ずさった。
短刀に手をやると、一気に引き抜いた。傷口から血が噴き出し、息遣いもかなり苦しそうだったが、決して膝をつこうとはしない。
それどころか、ゆっくりとシュクの方へ歩み寄ろうとする。
「ナンデ倒レナイ」
体中の痛みに、横腹の熱さに、脂汗が滲む。しかしアルは笑ってみせた。
「……こんな傷で、倒れてられっか」
殺人機の蹴りをふらりと避けると、
「《力》ってのは傷付ける為に在るんじゃない……守る為に在るんだ…っ」
地面に両手をついて、勢いよく足を突き上げる。
「アル君!」
ラジストの叫び。
突き上げられたシュクの体は軽く飛んで、積み上げられている箱の上に落ちた。
「大丈夫。死にはしないさ。ただ――殺された奴らの痛み、その身をもって思い知ればいい」
アルなりに手加減はしてあったのだろうが、蹴られた方はしばらく、まともに体を動かす事さえ出来ないだろう。
「殺人鬼の身柄を拘束!」
クルドの号令で、隠れていた人達がどやどやと出て来て後片付けを始めた。
朝になって、何も知らない街の人達がいつもの日常を送れるように――。
実は、隠れていた殆どが、戦力よりも片付け要員として連れて来られていたのだった。
* * *
アルの体にうっすらと、さっきまでの戦いとはまた別の傷が出来始めた。
「あ…時間切れだ……」
広場の端、壁にもたれながらそんな事を考えていると、ラジストが足を引きずりながらアルに近付いてくる。
「……ラジ…」
「ふぅ……立てないんだろう? 血の流し過ぎだよ」
そう言って、アルの隣に腰を下ろす。
「全く、どうしてこんな無茶をしたのか教えてほしい所だけど……喋れる?」
「……無茶…なんかじゃ、ない」
腹の傷と痛みを押さえ込みながら、アルは話した。
「クルド、ソフィアはともかく……後は数だけの、ただの人間だ。
…そんなのがあいつに手を出したところで……結果は見えてる」
これ以上、誰も傷つかなくて済んだらと――。
「だから皆を守る為に《手を出すな》と?」
アルは目を閉じて頷いた。
「それに…街を…血で汚したままにしたくなかったからさ。
俺、片付けは苦手だから……」
「苦手なのは片付けだけではないと思いますが?」
ラジストはまた溜め息をついた。
疲れというよりは安心して気の抜けたような――。
「…でもまぁ、アル君らしいと言えばアル君らしいね」
「……て、何笑ってんだ」
ようやくいつもの二人の空気が戻ってきた時、
「あ、アルみーっけ」
もう夜も終わる頃だというのに、今まで遊んでいたかのような元気な声がした。
「…イ、イヨ!?? 何で…こんな時間に…?」
「えへへ。お母さんと一緒に来たの」
と言ってイヨが指差した方向。そこにはエルニドがいた。
「いや、問題はそこじゃなくて……ってか、何でここにいるって分かったんだ?」
「お母さん物知りだから」
「物知りどころじゃないだろ」と、いつもならツッコミを入れているが、今はそれどころではない。
ラジストがイヨに聞いた。
「来ているのは君とエルニドさんだけかい?」
「ううん。ちがうよ。もっといっぱい来てるはずだよ。
さっきまでのアルと殺人鬼の戦い、見てた人もいるんじゃないかな?」
そう言ってクルド達の方を見る。
シュクの姿は見えなかった。連れて行かれたのだろう。
ふと、クルドとアルの目が合った。
真っ直ぐこちらに歩いて来て、アルの前で立ち止まった。
ワンテンポ遅れて、ソフィアも来た。
「りんご泥棒さん、ありがとぉ~」
笑顔で礼を言うソフィアと、
「後は貴方も連れ帰れば、私達の仕事は片付くんだけど」
現実を突き付けるクルド。アルの腕を取り、立たせようとする。
やはり逃げられないようだ。
「大丈夫。すぐ、戻ってくる……」
慌てるラジストに言い聞かせる為か、強がりか、それとも単に呟いただけなのかは分からない。
アルは無抵抗のまま連行された。
兵士達がいなくなってようやく、隠れていた数人が出て来た。
どれも見知った顔だ。
「……少ない?」
「いいえ。本当はもっと沢山いたのよ。
今は別の役目があって動いてます」
(別の役目?)
もしかして…と、浮かんだ考えは、彼の頭の中でアルとエルニドと周りにいる仲間の動きを繋げた。
「大丈夫か?」
「おーい。ラジストを運ぶぞー!」
「エルニドさん、どこに運べば…?」
「そうねぇ……」
エルニドはラジストを見た。
「……僕はどこでも良いですけど、一つだけ……聞いていただけますか?」
「何かしら?」
「僕の店から持って来て欲しい物があります」
(大丈夫)
アルは力無く微笑んだ。
(すぐ、戻ってくる……)
周りにいるほとんどが自分の味方である事は、とっくに知っていた。見覚えのある顔ばかりだったから。
――もうすぐ城門が見えてくる。
アルはそっと、自分を支えている兵士(に扮している仲間)に囁いた。
「……次の小路辺りで、抜けれないか?」
「……やってみる」
彼はすかさず他の仲間にも合図を送った。
そして、小路のすぐ横まで来た時、仲間の一人がこけた。
踏み止まろうと近くにいた兵士を掴んだが、掴まれた兵士は支えきれずに巻き添えを喰った。
崩れた隊列が止まり、クルドが振り返る。
「大丈夫?」
クルドがこけた二人に近付いてしゃがみ込んだ。と同時に声があがった。
「散れ!!」
叫ばれた命令に従って、数人の兵士が蜘蛛の子を散らすように姿を消した。
クルド達が何が起きたのか理解する前に――アルも、アルを支えていた二人の兵士も、ついさっきまでクルドの目の前にいた少年まで、闇の中に消えてしまった。
「……」
始めは何が起こったのか理解できなかった。
その内、ぽかんと空いた心の中から笑いが込み上げてきた。
「…くっ……ふふ……ははははっ!」
「クルドさん!? 大丈夫ですか!??」
「やられた! まんまと逃げられたわっ!」
どこか嬉しそうにも聞こえる彼女の笑い声は、静かな街の向こうに消えていった。
* * *
――『殺人機』という物語は、
本として存在していても、終焉は無い。
終わることの無い物語――
* * *
本を読んでいるラジストに話しかけて来たのは、彼もよく見知った男だった。
「――で、助けに行かないのか?」
「助けにって…誰を?」
「今助けに行くといったら、捕らえられたアルフェリアだろうが!」
「(…うるさいな…)アル君は《大丈夫》と言っていた。きっと、何か策があったんだろうね。それに、君達にも――」
目線を本に戻し、読み続けるラジスト。
何をどう言えば良いのか分からず、言い返せないまま黙り込んでしまった男――。
気まずい静けさの中に、割り込んで来たのはエルニド。
「私の家で、そういう気まずい沈黙は止してくださいな」
「え、エルニドさん! 聞いてたんですか!?」
慌てる男に彼女は
「あら《聞いてた》のではなく《聞こえてきた》のよ。聞かれたくないような事なら、小声で話すよう努めてみてはいかが?」
と言った。何やら態度が冷たい。
「何に怒っているのでしょうか」
飄々として聞くラジストに、彼女はピシリと言い放った。
「……貴方達によ。ラジストさん、貴方、ちゃんとアルさんのこと心配しているのかしら」
「その言われ方は、まるで僕がアル君の心配をしていないように聞こえるのですが?」
「そう言われたんだろ?」
ぽそっと口出しした男は、
「貴方は黙っていなさい」
というエルニドの一言で口を閉ざした。
「本当に……アルさんは無茶するし、貴方達は止めようともしないし…「動くなって言われて――」黙っていなさいと言いましたよ」
言葉を遮った男を睨み、口を閉じさせる。
溜め息をついてもう一度ラジストを見た。
「ラジストさんの頼みで取って来たのは一冊の古本……」
「――そうですねぇ…。この本を持ってきて貰ったのは――《読み掛けだったから》…とか言ったら怒りますか?」
「それはさすがの私も怒るわね」
「冗談はそこら辺で置いといて。――でも、僕はアル君の事を信じていますから。エルニドさん、貴女の事もね。
そこにいる彼も含めて、僕を運んだ人達を集めたのは貴女でしょう。
ただ、戻って来たのに何も言ってくれないのは頂けないね」
ラジストは、扉の向こうにある影を見ていた。
影がゆっくりと動く。
* * *
少し戻った時間。
「散れ!」
命令が叫ばれ、同時に何人かの兵士が姿を消した。
ゆっくり空が白けてくる。
腹からの流血は落ち着いたようだ。
「アル、生きてるか?」
「……なんとか…な」
ぼやける意識の中から声を絞り出す。
「…何か、ラジスト達に伝えたい事とか、あったら伝えとくけど?」
「……俺、まだ死ぬつもり…ないんだけど。……人を勝手に殺すなよ……」
「あははは」
(……笑い事じゃねぇっての!)
アルはしばらく、黙って空を見ていた。
空が少しずつ明るくなっていく。
左手の方に光が見える……ということは、南に向かって進んでいるらしい。
(腹…減った……)
りんごどころか何も食べていない。
自分の腕を見ると、さっき見た時よりも傷が広がっている。
「なぁ、ナウル…」
「何?」
「……どこに向かってるんだ? そろそろ……朝市の開かれる時間だぞ」
ナウルはハッとして空を見上げ、走る速度を上げた。
「もうちょっと早くに言ってくれ~。お前みたいな怪我人連れてたら、市場なんて通れないじゃんか~」
(俺のせいかよ…)
「集合場所はエルニドさんの家。多分ラジストもそこに運ばれてる」
「ふーん」
ナウルはアルを担いだまま、地下道へ駆け込んだ。
狭い通路、小さな空…質素な扉。
「たっ…ただいまっ」
ナウルの声に反応して、その場にいたほぼ全員の視線が入口の方に向けられた。
「おー。よく帰って来たなぁ!」
「うっわボロボロ…!」
「すごい戦いだったもんなぁ」
ナウルによって運び込まれたアルは、エルニドに傷の手当をして貰うことになった。
「えっと、その前に……あの、こけた少年、いるか?」
部屋の隅の方から返事が返ってきた。
「こ…ここにいます」
黒い髪、明るい茶色の目をした少年は、左膝に大きな絆創膏を貼っ付けていた。
無事に逃げ切れたようだ。
「……ごめんな。怪我させて」
「いえっ……そんな…」
「……でも、おかげで戻って来れた――」
アルがふわりと笑った。
普段は絶対に見られない、綺麗な笑顔だった。
「ありがとな」
「あ、こ、こちらこそっ…!」
少年が頬を染めた理由は嬉しさからか、はたまた笑顔を向けられたからか。
アルは気にも留めずに、呼ばれた部屋へ向かう。
通された部屋は、以前泊めてもらった部屋だった。
殺人機と戦った時の傷と、その後に出来た傷、それに加え昨日の昼食から何も口にせず動き回った為に、体は限界だった。
ナウル達に支えて――運んで――もらい、ようやく部屋まで辿り着く事が出来た。
「はい、貴方達は外で待ってて下さいね」
「何で?」
「お黙り。誰にだって知られたくない事くらいあるでしょう?」
「……」
ナウル達は黙って部屋から出ていった。何か弱みでも掴まれているのだろうか……。
恐るべしエルニド夫人。
彼女は戸を閉めて、部屋の外からこちらが見えないようにした。
「……ありがとうございます」
「あら、いいのよ。
なんだかんだ言っても、アルさんも女の子なのよね」
「え!?」
バレてた!? ラジスト以外は知らないと思っていたのに!
「あらあら。貴女はすっかり忘れてしまっているみたいだけれど、実は私、アルさんがうちの子達よりも幼い頃、貴女をお世話していたのよ?
だから貴女の本当の御両親も知っていますの……だけど、ね」
けど?
「今は話せないわ。もし興味があるのなら、また今度、二人きりの時にしましょう」
「…え? 教えて、くれないの…?」
「ええ」
「……」
とんだ肩透かしだ。やっと掴んだ自分の知らない過去を知る手掛かりだと思ったのに。
(…今度っていつだよ……)
話をしつつ、手当ては進み、傷が広がるのも止まった。
テーブルの上の籠に積まれていたりんごは、半分ほどに減っていた。
「……よく食べたわねぇ。もういいかしら?」
「はい」
エルニドが立ち上がる。
「それにしてもあの服、自信作だったのに……」
ぼやきながら薬箱やりんごを積んでいた籠を片付ける。
「あの……エルニドさん?」
遠慮気味に声をかけるアルに、振り向いた彼女はわざと明るく振る舞ってこう言った。
「気にしないで下さいな。
歩けたら少し、ついて来て下さい。すぐそこですけど……」
「?」
言われるまま、エルニドの後ろについて行った。
向かった先は二階の一室。
男二人の声がする。片方にはものすごく聞き覚えがある。ラジストだ。
少し隠れているようにと言って、エルニドは部屋の中へ入っていった。
会話の断片が聞こえる。
「…アルさんの事、心配しているのかしら」
「――そうだねぇ…。でも、僕はアル君の事を信じていますから」
……信じてる?
ラジストが……俺を?
俺、信じられてる!?
「ただ、戻って来たのに何も言ってくれないのは頂けないね」
彼にアルの姿は見えていないはずなのに――見えていたとしても影だけでは誰か分からないだろうに――アルはラジストの視線を感じた。
さっきのセリフは「出てこい」と言ってるようなものだ。
アルは隠れるのをやめた。
ゆっくりと姿を現したアルを見て、ラジストは満足そうに頷いた。
「……よく俺だって、分かったな」
「そりゃ分かるよ」
ようやく戻って来たいつも通りの街。
しかし、アルの心の中にはまだ、いくつもの謎が引っ掛かったまま残っていた――。
* * *
王都保安部隊宿舎――の食堂。
長机の端の席、机に体を預け、だらしなく座っているのは十二番隊隊長・アトラス。
四十を目の前にして、半端に伸びた髪、着崩れた服、灰皿に山を作っている吸い殻……。
何も知らない人が彼を見たなら、どうしてこんな人がこんな所にいるのだろう?と思ってしまうほどのだらしなさだ。
彼の座っている長机には大量の書類が積まれていて、今は顔が見えない。
静かな食堂、窓から流れてくる柔らかい風――。
「たーい長ーぉ!!」
彼の安らかな時を邪魔したのはソフィア。後ろからはクルドも来る。
「隊長! 起きてください」
「……ん~…あれ? クルドちゃん達どうしたの?」
「ちっ…ちゃん付けはやめて下さいって言ってるじゃないですか!!」
どうもアトラスはまだ寝ぼけているみたいだった。
ようやく頭の働き始めたアトラスにクルドが言う。
「で、何ですか話って。
《話がある》って言って呼び出したの、隊長の方なんですからね」
「――ああ、そうだったような気がする。実は話というのはだな……あれ?」
彼は周りを見回した。話そうとして用意していた物が見つからないらしい。
「う~ん。さっき(居眠りする前)まではちゃんとここにいたのになぁ……」
姿を消したのは《物》ではなく《者》だったらしい。
鞄の中をごそごそと漁っていたアトラスは、一枚の紙を取り出した。
「…これでいっか」
何とも適当な言葉と共に見せられたのは一枚の似顔絵。描かれているのはクルドより少し年上らしい、青年だった。
「?」「誰ですか?」
「エトランゼ……しばらくうちで預かる事になった」
煙草をくわえ、火をつけながら言う。
「――っつー事で、お前らで面倒見てやってくれ」
「「ええ!!?」」
クルドとソフィアが同時に声をあげた。
クルドの表情は不満を表しているが、ソフィアはどこか嬉しそうだった。
「隊長が面倒見るんじゃないんですか!?」
「…オレぁ忙しんだ」
そう言って山積みの書類を指差すが、クルドは納得しない。
「(忙しい?)……さっきまで寝てましたよね?」
「寝てましたよねぇ~」
と、ソフィアも笑ってクルドのセリフを繰り返す。
「とにかく、まずはエトランゼを探して来い!
誰が面倒を見るかはその間に考えておくから」
「は~い」
「期待しないでいます」
それぞれ返事をした二人は食堂から退出した。
* * *
風もそろそろ涼しくなってきた折、街は祭の準備を始める。
色素の薄いクセ毛、少年っぽさの残る顔には赤みの差した青い目――。
大きな階段の端の方で祭の準備が進むのを見ながら、彼は唄っていた。
「《静かに揺れる森の蔭
湖の中も赤く染まり
深く沈むは 民の心
小さな前触れ 見過ごすな
赤紫は怒りの色 青紫は悲しみの色
赤い呪いに喰われるな ――》
……って言われてもね。探し人なんてそうそう見っかんないって」
唄の内容から何が起こるのかは予測できる。探さなければいけない人も大体分かってる。
今回はそいつを仲間にしてしまえば、それで任務完了。
ただし、王都は広い。人も多い。そんな中から探さなければならない、骨の折れるような仕事だ。
「さぁってと……ゲームスタート!」
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