第3話 殺人機編

  * * *



 夜、街中を歩き回る者がいた。

 星の見える静かな街中を、一つの影が動く。

 裸足で、伸びた髪も垂らしたまま。

 顔も体も痩せているのに、綺麗で大きなルビー色の目には力強い奇妙な光が宿っていて……。



  * * *



 その影がここ最近、毎晩のように街中を歩き回っているらしい。

 人々の噂からも、それは察することが出来た。



  * * *



「どう思う?」

 アルが聞いた。

「……何が?」

 ラジストは聞き返した。


 ここは王都にある古本屋。

 整理してもらえてない本が所狭しと渦高く積み上げられている中で、アルは気になる文章を見つけ、びっしりと書き込まれている文の一部を指差した。

 本を覗き込んだラジストは、納得の声をあげた。

「ああ《殺人機》だね。

 そういえば近頃変な噂が流れているけど――その話と関係があるとでも思ってる?」

「……うん」

 アルの意外な答えに、ラジストは目を丸くした。

「へぇ……アル君でもお伽話は信じるんだ」

「信じてるっていうか、そういう可能性もあるんじゃないかって思って」

「でも残念。これは作り話ですから」

 そう言ってラジストはアルから離れると、カウンターの奥へ消えた。

 程なくして、二つのカップを持って戻ってきた。

 片方をアルに渡す。

 アルは読み掛けの本を横に置き、素直に受け取った。

 視線が手元のカップからその先のラジストに移る。

「? 何か?」

「物語の世界全てが――嘘だと言い切れるか?」

 問いかけに彼は首を傾げた。

 アルが悪戯っぽく笑った。

「なんてな。今はラジストの意見も聞いておく」

 茶を飲もうとして近付けた口が反射的に離される。熱かったらしい。


 夕方、日がほぼ沈んだ頃に来客があった。

 扉に付けられている呼び鈴が控え目に鳴った。

「……客?」

「もう閉店時間過ぎてますけどね」

「閉店時間とか決まってたっけ?」

「いえいえ。いつでも来客大歓迎。僕が寝ている時でもね」

 笑って本の山の中から立ち上がると、「今開けます」と言いながら店の入口へと向かった。

「はい、いらっしゃいませ――って……」

 普段より扉が重いと思ったら、一人の少年が扉にもたれるようにして倒れていた。

「お客さんには見えませんね――アル君、水とタオルと薬箱用意して」

「水とタオルと薬……怪我人?」

 なぜ病院ではなく、こんな古本屋に来たのか疑問はあるが、言われた物を言われた通りに用意した。


 少年の名は《シュク》というらしい。

 髪は全体的に白いが、毛先だけ黒い。伸ばしっぱなしで片目が隠れてしまっていた。

 生まれは遠い街。数日前にこの街へ来たそうだが。

「もしかして、どこにも泊まっていなかったのかな」

 目を覚ましてラジスト達の顔を見た途端に逃げ出そうとするし、今だって、目の前にある食べ物をすごい勢いで腹の中に詰め込んでいる。

 誰も取ったりしないのに。

「何というか……逆に清々しいほどの食いっぷりだね。でも、そんなに急ぐと――」

「!」

 シュクの動きが止まった。

「ほら言わんこっちゃない」

 喉を詰まらせ目を白黒させているシュクと、それに冷静に対処するラジスト。

 アルは黙って彼らを見ていた。



  * * *



 アルは、りんごを食べないと体中に傷が出来てくるという特異体質だ。

 呪いをかけられているかららしいが、誰にどんな目的でかけられたのかは本人も知らないままだった。

 しばらく前に、街中からりんごが消えるという事件があった。

 ラジストと二人で城へ乗り込み、街中から集められたりんごを盗ってくる事に成功したのはいいが、脱出する頃には体に限界が来て、傷が浮き出てきた。

 その時の傷がまだ残っているようだが、「アル君のはもうほとんど治ってるよ」

 ラジストは普通の人と同じように接している。

 傷も呪いも無いとでも言うように。



  * * *



 シュクの方も落ち着いたみたいだから話を戻そう。

「さて、宿が無いのならここに泊まっていけばいいよ」

「い、いいの!?」

「勿論。ただし、店番の仕事を手伝ってくれるかな」

「はい!」

 良い返事だ。

 そんな訳で、しばらくシュクも一緒に暮らす事になった。


 次の日にはエルニドを呼んで、シュクの服と髪を整えて貰い、やっとまともな姿が出来上がってきた。

「いいじゃん。な、ラジスト?」

「そうだね」

 きっと、四人の中で一番楽しんでいるのはエルニドだろう。

 今シュクに着せている服も彼女のお手製だ。

「シュクさん、これも着けてみて?」

「……」

 すっかり着せ替えを楽しみ、エルニドは上機嫌で帰って行った。

「どうした?」

「……」

 シュクは自分の両足に付けられた金色の鈴を見ていた。

 足を動かす度にしゃらしゃらと音が鳴る。

「可愛くて良いじゃないですか」

「これもエルニド…さんが作ったのか…?」


 その後はずっと本の整理ばかり。

「……本がいっぱい」

 シュクが店の中を見回して呟いた。

 部屋いっぱいにある本を見るのは初めてらしい。

「こいつ、ラジストは古本屋してんだ。仕入れんのはいいけど、なかなか売れないんだよな。

 もうちょっと表通りに接しているとか、目立つ所にあったらそれなりに入ると思うんだけど?」

 ラジストを見る。

「そんな事を言っても良いんですか? 目立たない所にあるからこそ、追われ身のアル君も堂々と入って来られるんじゃないのかな?」

 アルはラジストから目を逸らした。

「まぁ――本は売れなくても問題ありませんが」

「そうだな」

 古本屋が「売れなくても問題ない」と言う。

 変な会話と思ったのだろうか。シュクは尋ねた。

「どうして売れなくても良いなんて言ってるの?」

「いいんだよ」

 二人はそう言って、答えてくれなかった。




 買い物客で賑わう市場の中、足りない分の夕飯の材料を買いに走らされているのはアル。

 三人の中で一番足が早いからという理由で買い物カゴを押し付けられた。

「ぉーぃ」

「?」

 呼ばれた気がして振り向いた。

 流れに逆らってこちらに近付いてくる者が一人。

「よ、久しぶり」

「久しぶりって……しばらく見ないと思ったら――また国中ほっつき歩いてたのか」

「今回は越境したぞ!」

 胸を張って自慢する彼は《放浪のナウル》。

 ふらっと、いなくなっては帰ってくる。

「何してんだ? こんな所で」

「買い物」

 カゴを見せながら答えたアルを見て、ナウルは目を丸くした。

「……何だよその反応は」

「い、いや……だって、いつも盗ってるアルが買い物なんて」

「考えられん…ってか」

 ナウルは「うん」と頷いて、アルから目を逸らしてから思い出したように尋ねた。

「そういえば今朝、ラジストとなんかちっこい奴と、三人で歩いてたよな。あの小さい奴……誰?」

「シュク……しばらくラジストの所に住むらしい」

「……シュク、か。

 遠巻きに見てたんだけどさ、あいつ……目、赤いのな」

「そうだな」

「なんか、怖くないか?」

 そうだろうか。

 この街には色んな奴がいる。

 もしかすると、自分達が今まで見なかっただけで、赤い目の奴もいるかも知れない。

「それと――」

 彼の言葉に、アルは嫌な予感がした。

「――城に忍び込んで大怪我して帰って来たって、本当か?」

 明らかに興味本位な顔で聞いてくる。

「その話、どこで聞いた……?」

「へ? 結構広まってるぞ~。なんたってオレ達の頭(かしら)だもんな」

「え!??」

 アルは耳を疑った。

「あれ? 知らなかった?

 オレがこの街に流れ着いた頃にはもう、一部の奴は『若頭』って呼んでたらしいけど?」

 知らなかった。しかも彼が流れ着いた頃といえば、大分前になる。

(ガージが居た頃だ……)

「で、これが本題なんだけど――」

 ナウルが一枚の手紙を取り出した。

「これ、あいつに届けてくれる?」

「《あいつ》って、ラジの事か」

「そう」

 受け取った手紙をポケットの中に突っ込んで立ち去ろうとするアルをナウルが呼び止めた。

「ちょっ、まって」

 アルが振り向く。目は確実に不機嫌な色を示している。

「……今度は何」

「お前が女だって噂も聞いたけど、本当か?」

 ……まただ……この質問をされるのは何回目だろう。

「まったく、どこからそんな噂が立つんだか《俺は男だよ》」



 * * *



「――うそつき」

「え……何で?」

 場所は戻ってラジストの店。

「ぼくはラジストが情報屋やってるなんて信じないからね」

 ……どうやら職業について話しているらしい。

 シュクが「どうして本が売れなくても良いと言っていられるのか」しつこく問い詰めた結果、ラジストが「情報屋だから」なんて答えたからだ。

「だって全然そんな風に見えない」

「いやいや、人を見た目で判断するもんじゃないよ。

 疑うならアル君に聞けば良い。証言してくれるはずだからさ」

 そんなやり取りをしている内に、アルが帰ってきた。

「ただいまー」

「アル! アル!!

 ラジストって本当に情報屋?」

「……」

 アルはラジストを見た。

 帰ってきて突然のこと、誰でも戸惑うものだろうが、アルが戸惑っているとするなら《突然のこと》よりも《言ってしまっても良いのか》という事だろう。

 だが、ラジストの様子から、彼の事についてはもう言ってしまっている事を察した。

「――情報屋だよ。いつもはあんなのだけどな。……あ」

 アルはポケットの中に突っ込んであった手紙を取り出して、ラジストに渡した。

「ナウルから」

「ナウル? ……生きていたのか」

 縁起でも無いことをいう――。

「おい。やっぱりさっきの証言取り消すか?

 今朝も俺達を見かけたって言ってたぞ」

「いや、取り消しは困るなぁ……荷物、奥の部屋まで運んでおいてくれますか?」


 手紙を読み終えたラジストは、出掛ける準備を始めた。

「買い物ならもう終わったぞ?」

「仕事だよ。シュク、店番頼んだよ」

「じゃ、俺もシュクと――」

「アル君には――」

 ラジストは、座り込んでいたアルを立たせると、

「――こっちを手伝っていただきます」

 と言って、アルの背を押しながら店を出た。

 まさに有無を言わせず。


 角を曲がり、完全に店が見えなくなった所で足を止めた。

「シュクに店頼んで大丈夫か?」

「思っていたよりずっと賢い子だったよ。大丈夫でしょう。店での仕事も、アル君が出掛けている間にほとんど覚えちゃったみたいだし。

 それよりも、問題なのはこっち」

 ラジストが示したのは、ナウルから渡された手紙。

 彼は手紙の内容を簡単に話した。

「――…辻斬り?」

「そう。ナウルも街に帰って来たその日に遭遇したらしい」

「!?」

「既に六人死んでいて、保安部隊も動き出しているらしい――実際に襲われたからといって、外に行ってた人間が一体どこから情報を仕入れているのか気になるところですがね」

「ラジストよりナウルの方が情報屋に向いてるんじゃないのか?」

 アルの揶揄に二人して笑ったが、ラジストの周りに暗い空気が流れた。

 ショックを受けたのか? 話を戻す。

「……そうですね。そろそろ情報もある程度集まってきているだろうし、走り回ることに関してはアル君に手伝って貰おうと思ってたんですよ」

「何をしろって……?」

 街中を走らされる覚悟でいたが――。

「城まで行って、もう少し詳しい情報を貰って来てください」

「げ…冗談だろ?」

「僕はいつでも本気だけどね。ほら、いつもアル君を追い掛けてる二人にでも聞けば良いじゃないか」

「そんなの自殺行為だって!」

「死ぬことはないと思うよ? ――と、いう訳で行ってらっしゃい」

 その時のラジストの笑顔が、アルにはとても恐ろしいものに思えたという――。



  * * *



 王都保安部隊宿舎――クルド、ソフィアの部屋。

「はぁ~」

 大きな溜め息と共に、ベッドに沈み込むクルド。

 彼女が見ている書類には、次の指令が書かれていた。

(コソドロの次は殺人鬼……しかもまた私達が街に出るの…?)

 隣に目をやると、相棒・ソフィアは昼寝の真っ最中。

「ソフィア。起きて」

 ゆさゆさと揺らす――反応無し。

「ソフィアー? 起きてー」

 ぐらぐらと揺らす――反応無し。

「おーい!」

 どんどん揺れは激しくなる。

 ソフィアはなかなか起きてくれなかった。

「起きろ!!」

 ………。


「どこ行くのぉ~?」

 起こすのに疲れて既にくたくたなクルドの後を、起きたばかりでまだ何も知らされてないソフィアがついてくる。

「街。また任務が入ったの」

「任務って?」

「今騒がれてる殺人鬼を捕まえる――他の班は別の仕事してるからって回ってきたのよ」

 押し付けられたとも言う。

「……さつじんき?」

 首を傾げるソフィアを見て、クルドの動きが止まった。

「もしかして新聞……」

「読んでないよぉ? 文字ばっかりでつまんないもん」

 これでは仕事の話どころではない。

 仕方なく、クルドは説明した。

 最近辻斬りが出現して、既に六人が殺されていること。

 初めの被害者から順々に、街の外側から中心に向かってきていること。

 ほとんど抵抗が無かったのか、六人共無駄な傷は無く、その場に放置されていたこと。

 今のところ、殺されたのはスラム街の住人だけということ。

「――…何か変。恐いけど、何か変だよぉこの話」

「そうだよな……すっごい違和感あるよな」

「うん……(あれ? ソフィアとは違う聞き覚えのある声……)」

 クルドは声のした方を見た。

 銀鼠色の髪、紫の目……聞き覚えのあるその声の主は――

「あ! あの時のコソドロ!!」

 窓の縁に立っているアルフェリアだった。

 どうやらさっきの話を聞いてたらしい。

「コソドロって言うな。指差すな!」

「何で窓から入ってきてんのよ!!」

「窓からは入ってない。休憩してたんだよ。

 警備の薄い所を通って来たらここに出ただけだ」

 で、休んでいるうちに二人が話しながら歩いて来たと付け足した。

「…なぁ、お前らが持ってる情報ってそんだけか?」

 突然のことに驚きながらも、クルドは質問に答えた。

「そ…それが何? もしかして、からかいに来たの? それとも貴方が殺人鬼? もしそうなら捕まえるけど………! そうよ! そうでなくても捕まえなきゃいけないんじゃない!!

 ソフィア、捕まえて!」

「はーい。えいっ」

 アルは捕まえようとしたソフィアの手をすり抜けて、クルドの前方に着地した。

「っと。何だよこの待遇は。俺に恨みでもあるのか?」

「あるわよ! 言い切れないくらい!」

 クルドの手もひらりひらりと避けながら、アルは言った。

「ふん。手助けしてやろうと思ったのに」

「え?」

 クルドの手が止まった。

「今…何て」

「お前らの仕事手伝ってやるって言ったの!」

 殺されたのは、路上で生活しているような身寄りのない人達。アルはその人達に幾度となく助けられていたし、助けてもいた。

 突然の申し出に戸惑った風な様子を見せたクルドは、少し考えてから受け入れた。

「いいわ。共同戦線を張りましょう」

「共同戦線? 戦うのは俺一人で十分だ」

「なっ!?」

「ああ、それと――」

 言い返そうとしたクルドを止めて、アルは耳打ちをした。

「じゃ、よろしくな」

 そう言ってアルは窓から出ていった。

「クルド? 何て言ってたのぉ?」

 アルに何を言われたのか、彼女は何だか複雑な表情をしていた。




「ただいまー」

「おかえりー」

「あれ? ラジストはまだなのか」

「うん。一緒に出てったから、一緒に帰ってくるんだと思ってたんだけど。

 ね、何しに行ってたの?」

 アルが答えられずにいると、シュクは上目づかいに問いかけてくる。

 何も言わずに聞き出そうとする所が、ラジストに似てきている。

 何であんな奴の影響なんか受けてしまっているんだろう……アルはそう思った。

「(……だめだ)出ていくときに『仕事だ』って言っただろ? そんな気にする事ないって」

 逃げるように答えて本の谷に姿を消し、そのまま眠り込んでしまった。


 次にアルが目を開けた時、オレンジ色の光が差し込む店内に、シュクの姿はなかった。

「……シュク? いないのか? おーい…ラジストー……」

 誰もいない。

 ただ渦高く詰まれている本の山があるだけで、何も答えてはくれない。

《何しに行ってたの?》

 頭の中に、いくつかの言葉がその光景と共に甦ってくる。

《初めの被害者から順々に、街の外側から中心に向かってきている》

 事件について話すクルド。

《思っていたよりずっと賢い子だったよ》

 笑っているラジスト。

《………》


(何で二人共いないんだ)

 もやもやと、頭の中に嫌な予感が浮かび上がってくる。

 アルの勘はよく当たる。

 こんな時に不安な気持ちを抱え込んだまま、じっとなんかしていられない。

「二人を探さないと……」

 アルは店を抜け出すと、どこにいるのかも分からない二人に向かって走り出した。









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