第2話 奪回編2
夜、通りはいつもより静かだった。
灯りといえば月明かりだけ。
城壁の近くに、他より少し高い建物がある。その屋上から城門を見下ろしている人影。
「俺、単なる泥棒じゃないんだよね」
アルが見下ろす先には門番が二人。
さらに道沿いに視線を走らせると、ラジストがこっちに向かって歩いて来ているのが見えた。
「……本当に来た」
アルは困ったように呟くと、屋上から下りて行った。
「何だか今夜は静かだな」
「そうですね」
門番の一人はにやりと笑って、
「不気味なほどに静かだ。こんな月夜は何か、人ならぬ者が出るかもな」
などと冗談めかして言った。
「ははは。まさか。……え?」
もう一人の門番は、通りの向こうからこちらに向かって歩いて来る者を見つけた。
「何だ」
「こんな時間に……」
さらにもう一人来て、何やら話しながら歩いてくる。
「おーい、ラジスト!」
呼ばれて、軽く振り返る。
「あぁ…こんばんは、アル君。
君が店を出ていってから、待ち合わせ場所を決めてなかった事に気付いたんだ。おかげで、ずっと君を探しながらここまで歩く羽目に……」
「《無理にでもついて来る》って言ったのはお前だぞ。文句言うなら帰れ」
「冷たいなぁ」
昼も夜も、どこか考えの掴みにくい彼を冷たい目で見る。
差ほど効果は無いが……。
「……お前、何か持って来てるか?」
「ん? まぁ、色々と」
「色々って、何だよ」
「色々は色々ですよ」
「……」
それ以上何を聞いても答えを知る事が出来ないと悟ったアルは、もう何も聞かず、さっさと城に向かって歩いて行った。
門の手前、二人の門番が立ちはだかる。
ラジストがやんわり通して貰えるよう話しかけたが、あっさり跳ね返された。
「城に何の用だ」
「別に、城に用は無い。お前達門番にも用は無い。用があるのは城の中にある物だ」
堂々と言い放ったアル。
空気がさらに不穏なものになった。
「要するに泥棒じゃねぇか」
門番が棒を構えた時、ラジストが間に割り込んだ。彼の周りだけ空気が緩いままだ。
「まあ、そうピリピリしないで。ピリピリし過ぎると――倒れますよ」
言い終わるが早いか、目の前にいた門番の顔面に拳を打ち込んでいた。
声も出せずに倒れた人の音は、二つ分。
もう一人もアルによってほぼ同時に倒されていた。
「……早いねアル君」
「まぁな」
二人は門番を端へ除けると、門の脇にある戸を開けて中へ入って行った。
建物の中に入ると、突然周りが明るくなった。
「!!」
とっさに調度品の後ろに隠れると、一人、部屋から出て来るのが見えた。
長い黒髪を揺らめかせながら歩いているのは――
「……あいつ…クルド」
「クルド……ふーん。あの子が。……アル君さ、手加減無しで抜き合わせたんだろう?」
「? 手加減? それどころか遊びだったぞ。あれは。
城の奴らも、もっと強いのを出せばいいのに」
そう言うと、固まっているラジストを見て首を傾げた。
「……何? そんな驚く事か?」
アルはクルドが見えなくなったのを確認すると、立ち上がって廊下の先を見た。ずいぶん長い。
「行くぞ、ラジスト」
そう言って、アルは勝手に走り出した。
驚きから覚めたラジストが、頭の中にある城の見取り図と、予想出来る程度のアルの行動パターン、その他色々な情報をフル活用して追い付いた時には、既にアルは数人の兵士に囲まれてしまっていた。
……ピンチ?
「アル君! 離れて!!」
言ったと同時に、兵士達の頭上に投げた小さな袋を撃ち抜く。
複数の袋がくぐもった音を立てて割れた。中から溢れ出たのは砂煙ならぬ胡椒煙。
もうもうと立ち上がる煙の中で、兵士達はくしゃみを始めたが、その中を駆け抜けて来たラジストはちゃっかりマスクを着けていた。
「ほら! 走らないとっ」
廊下の傍らに立っていたアルの手をとって走り出す。
「…ラジスト……」
「何?」
走りながら振り返る。
「うわっ!? アル君どうし――」
アルが涙目になっていた。そして元凶に怒りをぶつける。
「《どうした》だって!? お前のばらまいた袋の中身が目に入ったんだよ! 味方にダメージ与えてどうすんだ! バカ!!」
「ああ…ごめん」
横から出てきた衛兵三人は、剣を抜く間にアルにまとめて斬られた。
「(アル君……すごく怒ってる)」
それでも二人は走り続ける。
* * *
真夜中、城の中の異変に気付いたクルドは、明かりの点いた廊下を騒がしい方へと歩いていく。すると、走っている二人の姿を見つけた。片方には見覚えがある。
(りんご泥棒……ついに城まで来たのね)
クルドは二人に気付かれないよう、足早に追い始めた。
(この城、結構複雑だからそう簡単に辿り着けないと思うけど……上の人達に伝えた方がいいのかな? きっと見回りしてる兵士だけじゃ無理だろうし)
数発の発砲音を聞いて、我に返ったクルドは走った。そしてすぐに見つけた。
ちょうど、人だかりの中から逃げ出すアルを見た。
「待ちなさいっ! りんご泥棒!!」
考えるよりも先に口が動いていた。
アルがクルドの方を向いた。
「追われてんのに《待て》と言われて待ってる奴がどこにいる」
今、彼女は笑っている。
もう……止められない。
クルドは上司と連絡を取ろうとしていた。
相手の狙いは分かっている。だからその場所に来たところを捕まえれば、この《泥棒退治》は終わる――そう思っていた。
突然の事。電話がふっつりと切れてしまった。まだ繋がってもいなかったのに、他の電話も繋がらない。受話器を放り出して走りかけた時、間の抜けた声がした。
ソフィアが手を振りながら駆け寄ってくる。
「やぁ~っと見つけたぁ~。クルド、おはよう~」
「《おはよう》って…何でいるの!? 寝てたんじゃ…」
クルドの問いに、ソフィアは少し考えて、
「起きたらいなかったから、探しに来たの~」
と、ほにゃ~っとした答え方をした。
話を聞いている方まで力が抜けてしまう。
「そしたらね、兵士のおじさん達が倒れてたから、救護班呼ぼうと思ってここまで来たんだけどぉ……」
そこで一旦言葉を切ると、クルドと電話を交互に見て、
「だめみたいだねぇ」
ため息混じりに言った。
弾かれたように、突然クルドが走り出した。
慌ててソフィアもついてくる。
「どうしたのぉ?」
「先回りして……後は向こうに着いてから話す!」
クルドは、敵の狙っている物のある場所へ向かう。
* * *
「……くそぅ。一人一人は雑魚なのに、数が多すぎる!」
今はもう使われていない一室で、アルとラジストは座り込んでいた。休憩中のようだ。
「アル君、あの伝達室壊したら街中の電話とか……しばらく使えなくなりますよ?」
「俺には関係ない」
アルはそう言って、紐を取り出すと髪を縛った。
「むしろその為に壊したようなもの。あいつらが広い範囲で連絡を取ることが出来ないのなら、そっちの方が好都合だろ?」
「……分かりませんね。どうしてそこまでりんごに執着しているのか。死ぬ訳でなしに」
「死ぬよ」
「……え?」
思ってもなかった言葉が返ってきた。
「呪い……かけられてんだ……俺…。りんごがないと……最終的に、死に至る……」
突然の告白に、沈黙が流れた。
先に口を開いたのはラジストだった。下手な冗談でも聞いたような顔で。
「まさかでしょ。それってどういう……」
「教えない」
ラジストの言葉を遮って、アルが言った。
(教えられない……けど…)
アルは迷っていた。
教えるか、教えずにいるか。
このまま周りを騙し続けるのか、正体をばらしてしまうのか。
(……《正体》?)
アルは悲しく笑った。
(…ばらすったって、俺自身、何も知らないのに……? そうだな……ばれるようなものと言えば一つくらいだし。
――どちらにしろ、何も変わらない。
こんな体じゃなかったら……こんな事しなくて済むのに)
「とにかく」
ラジストが立ち上がり、アルに手を差し出した。
「呪いがあろうと無かろうと、アル君はアル君だよ」
「……」
アルは何も言わず、ラジストの手をとり、立ち上がった。
「外、大分静かになったな」
「それが僕達にとって良い事なのか悪い事なのかはまだ分かりませんが、りんごの場所の見当はつきましたよ」
壁に掛かっていた大きな絵を外すと、隠し通路がぽっかりと姿を現した。
「僕達は幸運にも、近道の部屋に入っていたらしいね」
* * *
暗く狭い通路を抜けると、厨房に出た。
すぐ目についたのは赤い物体の山……りんごが部屋の半分を占めている。
「……すごいね」
「ああ。さすが街中から集めただけはあるな」
アルがりんごの山に近付き、あと一歩で手が届くという所で、山が動いた。
「なっ!?」
いつの間にか、大勢の兵士に囲まれていた。
「あー…息苦しかった。でも、ついに追い詰めたわ。りんご泥棒」
崩れるりんごの山から姿を現したのは、クルドと(りんごをかじっている)ソフィアだった。
「……やられましたね」
ラジストは頭を掻いてアルの方を見た。
相手の狙っている物が分かっていれば、待ち伏せは楽……という事か。
「わざわざそんな所に隠れてお出迎えか……ご苦労なこった」
そう言うアルの方も囲まれていて、下手に動けない。
二人の間にいた兵士がクルドに聞く。
「で? どっちが《りんご泥棒》なんだ?」
「こっちの、髪を縛ってる奴よ」
クルドの言葉に、多くの視線がアルを捕らえる。
「へぇ、こいつが」
「本当にこんな奴がクルド達に勝ったのか?」
兵士達がアルを見て口々に漏らす言葉を、アルとラジストは黙って聞いていた。
(アル君……怒っているのでは?)
アルの顔を窺おうとしても、背を向けられたままでは、何も分からない。
アルを取り巻いている内の一人が、右腕を引っつかみ、「お前、腕細いなぁ」と笑い、正面にいた兵士が顔を覗き込んで「こいつ、男のくせに女みたいな顔してるぞ」と嘲(あざけ)た。
その言葉を聞いて、ラジストはため息をついた。
(あーあ、言っちゃった……。これは恐いですよ……)
ラジストの予感が的中して、アルが口を開いた。
「今のセリフ、もう一回言ってみろよ」
目の色が変わり、殺気という名のオーラがアルを包んでいる。
だが、兵士は何も気付かなかったのか言ってしまった。
「ほぉ。お望みなら何度でも言ってやる。
男のくせに女みたいな――…」
言葉が途切れて、骨の割れる音がした。
アルの蹴りが正面にいた兵士の顎を直撃していた。
右側から腕を掴んでいた兵士は、思わず手を離してしまった。
「男だとか……女だとか……、それがどうした」
突発的な攻撃とその一言で周りのどよめきを静めてしまったアルは、我に返った兵士達が剣を抜くよりも速く、降りかかる刀剣の刃を避けながら彼等を切り捨てていく。
立っている者の減っていく中で、ラジストは静かに考えていた。
「(そういえば……アル君の《呪い》って何なんだろ?)――うわっ!」
いきなり背後から引っ張られ、声をあげる。
どうやら人質にされてしまったらしい。喉元に短剣を突き付けられている。が、ラジストが人質にとられているにも関わらず、アルは彼の後ろにいる男に跳び掛かった。
「そんな脅しが効くか」
突拍子のない行動に驚いている男の肩に、アルの剣が深く突き立てられた。
男が膝をつく。
アルが剣を引き抜いてやると、おびただしい量の血が噴き出した。
床には血溜まりが出来ている。
《血の海》と言うには小さくて、
《池》と言うには大きくて……
あえて当てはめるなら《湖》だろうか。
そう――まさに《赤い湖》である。
アルはゆっくりと辺りを見回した。
倒れている人がいる……動けない人がいる……動かない人達がいる……。
誰とも言わず、アルを見る目には恐れの色があった。
少しずつ、アルを包んでいた殺気が薄れて――一粒、涙がこぼれた。
「……え!?」
一番驚いているのは、本人だった。
頬を伝って落ちた雫を見て、自分がどうなっているのかも分からない。
「何…? これ」
ラジストも、クルド達も、泣いているアルを見ている。
「アル君が……泣くなんて……」
「俺、泣いてんの? ……カッコ悪」
そう言って涙を拭うが止まらない。
クルドは比較的被害の少なかった兵士に救護隊を呼ぶように指示し、アルの方へ歩み寄る。
「……来るな」
涙ぐんだ青紫色の目が、近付いて来る彼女を見ている。
「…っ来るな。来るな! 来るな!! 来るなー!!!」
アルが叫んだ時、強すぎる光が辺りを包み込んだ。
光ったのはほんの一瞬だったが、目が見えるようになるまでは時間がかかった。
クルド達の目が見えるようになった時、そこに居たはずのアルの姿は消えていた。
「……逃げられた…」
* * *
城から少し離れた所に、大きな荷物を抱えているラジストがいた。
「まったく。そんな体じゃ、しばらくは動けませんね」
「……うん」
左肩に担がれているアルが力無く答えた。
敵からの攻撃は一度も受けなかったのに、何故か血を流している。
「これが《呪い》ですか」
「そう。一定期間りんごを食べなかったら、少しずつだけど傷が出来てくる。そして……広がっていく」
「痛そうですね」
「まぁな。……よく今まで生きてこれたと思う。
今もあんまり変わんないけど、昔の方が大変……だったかな。足も今ほど速くはなかったし、りんご食べれなかったら勝手に傷が出来てくるし……しかも抑制力が弱まるから……」
「なるほどね」
いつの間にか、ラジストの店の前まで来ていた。
「まぁ…まずは傷の手当て、しましょうか」
そう言って、彼は店の扉を開けた。
* * *
「どう思う? ソフィア」
「ん~?」
臨時集会が開かれることになった城の中、クルドは疑問をぶつけてみた。
「あの二人、どう思う?」
「どうって……えーとねぇ、ちょっと羨ましいかなぁ」
「羨ましい?」
「うん」
にっこりと笑顔で答えたソフィアを見て、それがどういう意味なのか分からなかったクルドは、その後もしばらく考え込んでいた。
* * *
街はまだ眠っている時間。
傷の手当真っ最中の二人はまだ眠れずにいる。
「……眠い」
「もう少しだから、我慢して――」
「…傷なんかどうでもいい……」
「うーん。確かにしょっちゅう傷だらけだからね。アル君は――よし、腕オッケー。次、服脱いでくれますか?」
「えっ!?」
「…え?」
沈黙。
「ぬ、脱がないと……だめ、か?」
「薬塗れないじゃないですか。それとも何か? 見られては困る物でも?」
アルは迷っていた。教えるか、教えずにいるか。
まさかこんな事になるとは思ってもいなかった。考えていたとしても、逃げていた。
見られては困る物……無い、と言っては嘘になるのだが……。
と、考えていたら
「ほら、さっさと脱いで」
上着を取られてしまった。
あらわになる肌。
右肩にある刀傷も、胸元にある刻印も……見られてしまった。
「……返せよ」
「はい…」
アルの要求に素直に従うラジスト。
その顔は――赤い。
「何となく違和感はあったんだけど……やっぱり女の子だったんだ」
「こっちの方が動きやすいからな。それに、相手の間違いを一々訂正するのが面倒だったから」
「周りを騙していたんだね」
「……かもな」
中途半端な返答だった。肯定も否定もしない。
患部以外の肌を隠した状態で手当ては再開された。
「目の色が変化するのと呪いは何か関係が?」
「目の色?」
「そう。兵士達を斬っていた時は赤紫、泣いた時は青紫色になっていましたよ」
「……ヤなとこ見てんだな」
「《ヤなとこ》って……目が?」
手当てが終わると、薬箱を片付け始めた。ハサミや包帯をパズルのように箱の中に仕舞っていく。
「アル君は言葉……喋り方は直さないのですか?」
「何で直す必要があるんだ?」
どんな言葉で話そうと、人の勝手。女が男言葉を使っていても、おかしくはないだろう?
そんな意味を含めてアルは言った。
言葉の意味は読み取れても、問い返しには答えられなかったラジストは、話題を変えた。
「もう隠し事はしてないよね」
アルは何も言わず、悪戯っぽくにやりと笑って見せた。
彼女は自分の内側を知られるのが嫌だった。
ばさばさと人を斬りながらも、そんな自分が怖かった。
そのまま大切なものまで失ってしまいそうで、怖かった。
激しい怒りを表す赤も、悲しみを表す青も、彼女は知っていた。
ただ、知られたくなかっただけ。
自分でもよくは分からない、いつかは己も滅してしまいそうな本当の自分を
知られたくなかっただけだった――。
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