運命の歯車は

くるとん

歴史は

爽やかな風にあたたかい日差し、さえずりに重なるせせらぎが、ゆっくりと俺の意識を呼び戻した。


―――ここは…?


視線の先には大きな栗の木があった。まだ秋のおとずれにはほど遠い、青々とした生命の息吹を感じる。俺は沈殿した思考を揺り動かし、両腕で周囲に触れる。ふわふわと少しぬくもりのある草むら。再びおとずれた眠気を振り払い、じりじりと身体を起こす。


「あの…大丈夫ですか?」


警戒の雰囲気はあれど、優しい声が届いた。視線を右へ振ると、そこには。


「か、母さん!?」

「え…?」


母さんだ。間違いない。面影はあるし、アルバムで見た母さんそのままだ。


―――え…?


俺はその思考の違和感に気づいた。何かがおかしい。なぜ、母さんが若返っているのか。他人のそら似か…?ようやく怪訝な表情に気づいた俺は、なんとか場をとりつくろう。


「あ、えっと…すみません、ちょっと寝ぼけてまして。母に似ていたもので、つい。」

「そうでしたか。では…私は用がありますので、これで失礼します。」

「あ、はい…すみません。驚かせてしまって。」


苦笑いを浮かべた女性。少し口を開けて微笑むその表情、母さんそっくりなのだが。


―――気のせい…だよな。だって母さんは…。


海外出張の真っ最中。今朝も国際電話がかかってきて、お小言を頂戴したばかりだ。いくら俺が寝坊のプロとはいえ、何日も寝ていたとは思えない。物理的な距離関係から考えて、ここに母さんがいるはずがない。


―――ってか、ここどこ?


女性の後ろ姿を見ていたが、ようやく現実的問題に気づいた。少なくとも、俺の家の周囲に栗の木などなかったはずだ。むしとり少年として活躍した小学生時代、徒歩圏内ならばかなり詳細に把握しているという自負がある。


「いや、待てよ…。」


一瞬の閃きに、つい言葉が漏れてしまった。そうだ、アルバムの写真だ。母さんと父さんが写っていた…あの写真。飛ばされて木にひっかかった母さんの帽子、それをとってくれた男性が父さんだった。小説みたいな甘いなれそめを…何度も聞かされた俺。そうだ、あれは栗の木だった。記憶と照らし合わせるかのように、ゆっくりと景色を確認する。


―――間違いない…でも、どうして。


あり得ないことが起きている。混乱の渦に飲み込まれた俺。その思考のかたすみに、タイムスリップという…非現実的な結論が用意されていた。


「どうかされましたか?」


再び声をかけられた俺。振り返るとそこには。


「父さん!?」

「は?」

「あ、いや…大丈夫です。すみません。」

「そうですか。では。」


間違いない。これは父さんと母さんが出会った…あの日だ。母さんの惚気話に誇張がなければ、父さんは営業帰りに栗の木の前を通るはずだ。しかしここに母さんはいない。つまり、父さんは営業に向かっている最中ということになる。


―――ここに用事を終えた母さんが歩いてきて、帽子が飛ぶのか。


何度も聞かされた話が、今ここに。俺は妙な高揚感とともに、わずかな恐怖を感じた。戻る方法もわからない。そもそも本当にタイムスリップなんかあり得るのだろうか。何かのドッキリかもしれない。ドッキリをかけられるほどの有名人でもないのだが、非現実感が俺の思考をファンタジーへといざなっていく。


―――とりあえず…待つか。





数時間、俺は栗の木の下にいた。行く場所も頼るあてもないためだが、さすがに怪しすぎる。そのあたりの草で何か作ろうかとも思ったが、数分で飽きた。ありがたいことにコンビニを見つけたので、生理現象的危機は解消されている。


「うーん…。」


暇だ。それはさておき、コンビニにて新聞を確認したので、今が15年前であることの確認はとれている。その一事をもって、俺は現実を受け入れた。帰る術などあるはずもなく、時の流れに身をまかせることにした。ここは日本。なんだかんだで生きていけるだろう。この時点で言う「未来」を知っている俺。もしかしたら最強の人生を送れるかもしれない。15年限定だが。


―――あ…。


母さんが戻ってきた。淡いベージュの帽子をかぶっている。おそらく町で買ってきたのだろう。


「…?」


しまった。気づかれてしまった。怪しすぎるので、隠れて見守ろうと思っていたのだが、母さんの視力をなめていた。この距離で気づかれるとは。


逃げるのも怪しすぎるので、さも当然といった雰囲気を醸し出しつつ、草で手遊てすさびを始めた俺。


「まだいらっしゃったんですね。…もしかして、誰かとケンカしちゃったとか。」

「えっと…まぁ…そんなところでして。」

「早めに謝った方がすっきりしますよ?」

「ありがとうございます…そうします。」

「ふふふっ。」


やっぱり母さんだ。親のことをこういうのは…変な気もするが、両親は美男美女カップルだと思っている。俺がイケメンかどうかはさておいて、身内びいきなしでもそう思っている。笑顔がとっても素敵な母さん。


「あっ!」


俺が立ち上がろうとしたその瞬間、いたずらな突風が吹いた。飛ばされて舞い上がる帽子。運命の瞬間が訪れたようだ。


「帽子が…。」


木にひっかかってしまった帽子。それを見て、失礼ながらテンションが上がる俺。しかし、ここで重要な事実に気がついてしまった。


―――これ…俺、黙ってみてなきゃいけないのか?


困った様子の母さん。ここには母さんと俺しかいない。周囲を見るが、父さんはまだ見えない。「大変ですね」で終わらせるのもおかしいし、不運というべきか、背伸びをすれば届きそうな高さなのだ。184センチの身長が、こんな運命に影響を与えるとは。


「…俺、とりますよ。」


何言っているんだ俺。そんなことをすれば、運命が変わってしまう。下手をすれば、俺が生まれてこないことに。


―――でも…。


無理だった。困っている人を目の前にして、放っておくという選択肢…俺にはとれなかった。いくらそれが運命とはいえ、自分の心を曲げることができなかった。


枝に軽く手をかけ、右腕を伸ばす俺。中指が帽子に触れる。


「っと…。はい、どうぞ。」

「ありがとうございます。お兄ちゃん、優しいんですね。」


幼いころの呼び方と重なり、心にあたたかいものが流れ込んできた。その瞬間、俺は自分が薄くなっていることに気がついた。


―――やっぱり…か。


運命の歯車はくるってしまったようだ。俺という存在は…存在しないことになるらしい。


「じゃ、じゃあ、俺はこれで。」

「あ、ありがとうございます。お友だちと、仲良くね。」


俺は駆けた。「ありがとうと言ってもらえる人生」…それが俺の信条だ。両親からそう言われて育った。後悔はなかったが、誰にも迷惑はかけたくない。壊れかけの小屋に隠れ、消えゆく俺の身体を見つめる。


「何やってるんだろう…。」


前言撤回。後悔はあった。俺は…そこまでできた人間じゃない。15年分の未来を知っていれば、お金儲けも自由自在だったはずだ。この時代で生きていくことなど、容易かっただろう。


俺は静かに目を閉じた。両親の「出会い」は訪れない。俺の「別れ」だけが残った。





―――あれ…ここは?


目が覚めた。壁にはアニメのポスターがずらり。間違いない。俺の部屋だ。


―――戻って…これたのか?


わからない。運命の歯車は、俺が壊してしまったはずなのに。


―――ピロリロリロリン


電話が鳴った。画面を見ると、母さんと表示されている。俺は慌てて画面を操作。


「か、母さん。」

「もしもし…どうしたの?そんな慌てて?」

「母さん、父さんとのなれそめ…聞かせてよ。」

「どうしたの?まぁ、良いけど。」


はっきり言って飽きていた惚気話。これをここまで真剣に聞く日がやってくるとは。


「ちょっと涼しくなってきた夏の日、初めてのボーナスをもらえた日だったから、ずっと買おうと決めてた帽子を買ったのね。帰り道、栗の木の前を通りかかったら、男の子が座っててね。丁度今の大樹くらいかな?…そういえば、大樹そっくりだったね。他人のそら似かな?」

「それで?」

「帽子が飛ばされちゃったのよ。風で。それで木に引っかかっちゃって…。でも、その男の子優しくてね、とってくれたの。」

「…うん。」


まずい。明らかに俺の影響が出ている。歴史は変わってしまったのか。


「でね、その子が落とし物してたのよ。ハンカチ。届けてあげようと思ったら、また風が吹いちゃって。」

「…。」

「ハンカチが木にひっかかっちゃたのよ。困ったなって思ってたら、営業帰りの父さんがやってきて、『とりますよ』なんて優しく声をかけてくれて。それが父さんとの出会い。」

「そっか。…良かった。」

「なんか変な大樹。そうそう、今朝も言ったけど、ちゃんとハンカチは持ち歩きなさいよ。エチケットみたいなものだし、私みたいに運命の出会いにつながる…かもしれないし。」

「そうだね。そうするよ。」


俺はその日以来、ハンカチを忘れたことがない。何なら予備までカバンに入れている。運命の歯車は首の皮一枚…いや、ハンカチ一枚でつながっていた。

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