第2話 過去と過去



 小さい頃に両親を亡くした俺は叔父さん夫婦に育ててもらった。


 別に叔父さん夫婦が悪い人だとか厳しいとかそんなことは全くなかった。


 逆に気を使われすぎてずっとよそよそしく、腫れ物に触るかのように俺に接するのが幼心おさなごころにも俺にとっては苦痛で居心地が悪かった。


 十五歳になった時に俺は二人に家を出て一人で暮らしたいとお願いした。


 その時の叔父さん夫婦のほっとしたような肩の荷が下りたかのような安堵の表情は今でも忘れることができないでいる。


 そんなに俺が邪魔だったのかわずらわしかったのか、そんなことにも気付かなかった自分のことが嫌になっていた。


 それからはなんとなく人を信じるのがバカらしくなった。


 特に好きだのなんだのは俺にとってはどうでもいいことのように思えた。


 だから好きだと言われたら、はいそうですかとただ受け入れるだけだった。


 好きだと言ってきたくせにしばらくするとやっぱりごめんなさいと言う。


 俺はますますその感情がわからなくなっていた。


 そんなことを繰り返すうちにいつの間にか俺はまわりから、女をとっかえひっかえして女なら誰でもいいんだろうとか、あいつはクズだとか言われるようになっていた。


 俺はただ好きだと言われたからオッケーして付き合ってセックスするだけなのに、「それがダメなんだよ」とよく幸治に怒られた。


「愛のないキスやセックスはすぐにバレるんだからな」と言った幸治に「童貞のお前に言われたくねえよ」と言ってよく二人で笑っていた。


 幸治だけはこんな俺にもちゃんと素直に友達として正面から向き合ってくれる大切な親友だった。


 (そういえば、泉美先輩って彼女とかいんのかな……)


 あの泉美先輩がモテないわけがない。


 最近話すようになっただけだけど、どこか自分と似たような感覚を持っているんじゃないかと感じる時があった。


 学校で見かける時はいつも誰かと一緒にいるけれど、素を見せていないように見えた。


 (まあ、あんなに男に襲われてるんじゃ人を信用できないよな……)


 俺は妙に納得していた。





 次の日の放課後も泉美先輩は屋上にきて俺の横に座り込んだ。


「泉美先輩、お礼ならもう充分ですよ。逆に悪いです」


 昨日幸治に言われたことが気になって、俺は先輩にそう言った。


「俺がやりたいからやってんの。餌付けだよ、餌付け」


 先輩はそう言って笑っていた。


「えっ。俺コーヒーで餌付けされてたんですか? 安すぎません?」


「はは……」


 俺も笑っていると先輩は急に真剣な表情になった。


「……初めてだったんだ」


 先輩がぼそっとつぶやいた。


「ん?」


「俺が絡まれたり襲われたりしてんの、助けてもらったの初めてだったんだ。翔真が」


「そうなんですか?」


「ああ。今までみんな見て見ぬふりしてた。友達も先生たちも」


「そんな……ひでえ」


「だから、翔真が助けてくれたの嬉しかったんだよ」


 泉美先輩はどこか遠い目をしていた。誰も助けないなんて酷すぎる。


「俺がやり返せばいいんだろうけどさ、どうも人を殴るのが苦手で」


 先輩は握りしめた自分の拳を見た。


「前にさ、やり返したことがあるんだよ。あまりにしつこかったから、頭にきてついおもいっきり殴ったんだ。三、四発殴ったらそいつ血だらけになって気を失って。俺、殺しちゃったかと思ってすっげえビビったんだ。それから人を殴れなくなった」


「そうだったんですね……」


 そうか、だから先輩は絡まれても抵抗しなかったのか。


「まあ、そもそも人を殴るのはいけないことなので、先輩はそのままでいて下さい」


 俺は笑顔でなぐさめるように言った。


「でも、どうしようもない、って危ない時はちゃんと抵抗して下さいね。あ、もちろん俺がそばにいる時は俺が守りますから。まあ俺がいたら誰も声かけてこないと思いま……」


 俺が話していると泉美先輩が突然抱きついてきた。


「えっ、わ、ちょ、先輩?」


 先輩は俺を抱きしめるようにして俺の肩におでこをのせた。


「先輩? ……大丈夫っすか?」


 そのまま動かなくなった先輩に声をかけた。


「ちょっとだけ、このままでいいか?」


「……いいですけど」


 俺は先輩にれるわけにはいかないと思い、やり場のない両手を静かに下におろした。




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