第9話 退院

「そう言ってもらえると嬉しいです。じゃあ『またね』。」

そこからはドタバタで、他の患者の手術準備だったり採血だったりでまともに彼女と話すことは出来なかった。いや、この終わり方で丁度良かったのかもしれない。僕の中で紆余曲折あったが最後は綺麗に別れられる気がする。

彼女はいつの間にか退院していた。最後に挨拶をしてくれるつもりだったらしいが、僕が他の患者を手術室に案内していたため、入れ違いになってしまったらしい。事を伝えてくれた向井が

「可愛かったっすね。僕が担当だったら口説いちゃうところでしたよ。」

と冗談混じりに言った。向井ならやりかねないし、成功率も高いだろうなと少し羨んだ目で眺めた。

「何黙ってるんですか。西木さんも口説いたんでしょ?西木さん、無愛想だと思いきや人のことよく見てるって患者から人気者なんですよ。あの患者も西木さんの良さに気づいて連絡先交換しちゃったり…」

「してないよ…。口説いてもないし。ただ長めの世間話をしてただけ。」

昨日の夜の誤解も解きつつ今の言葉も否定する。

「でもアイドルなのに持病ありって大変ッスよね。元気に活躍して欲しいなー。」

「そうだよな…ってえ、天宮さんがアイドルな事なんで知ってるんだ?」

僕は動揺した。「ふぁみふぁみ」って結構有名なグループだったか?それとも向井は実は「ふぁみりー」?(ふぁみふぁみファンの略称)夜勤明けだというのに思考回路がフル回転している。逆に夜勤明けだからアドレナリンが出ているのか。

「なんでって…。本人に直接聞いたからっすよ。他の看護師の人も知ってる人多いんじゃないですか?彼女よく入院して来てたし…。前回まで他の病棟に入院してたけど、今回は主治医がいるからここらしいですよ。アイドル来ても表では平然と接するのってなんか俺たちプロっぽいすよね。」

僕は拍子抜けしてしまった。そうか、特別ではなかったのか。あの空間は、確かに「僕と推しの大切な時間」だったけれど、「僕だけ」なんて贅沢もいいところだ。ただ彼女は人と心を通わす力が長けていて、人と心を通わす事が苦手な僕の心も、こじ開けることが出来たんだ。僕はただこじ開けられただけで、僕の功績なんかひとつもなかった。

「最後の思い出をありがとう。」

帰ったら次の病院を探そう。

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