第7話 僕

「ごめん、行ってきます。」


3号室へ向かったら、既に後輩の向井がトイレ介助を手伝っていた。1年目で唯一の男だが、何かと気が利くので重宝されている存在だ。

「あ、西木さんいいすよ。ここは俺がやります。」

お言葉に甘えたいところだが、1年目に全て任せるのは気が引けて一緒に介助した。

「ありがとうございます。西木さんずっと5号室にいましたよね。なんか邪魔しちゃってすみません。」

「いいいいや変な気使わないでよ。別に変な話はしてないよ。」

僕はすぐさま後悔した。向井はきっと男女の関係として追及したのではなく、患者の容態を気にしての一言だったのに。向井の顔を覗くと、全てを悟ったように見えた。

「急変とかじゃなくてよかったです。じゃあ俺仮眠行ってきますね。」

…できる後輩だ。しかし誤解もある。この話をする最初の人は向井になりそうだ。

僕は少し迷ったが、再び彼女の病室を訪ねることにした。

「話の途中ですみません。もう眠いですよね。」

「そんなことないです!西木さんの話聞きたいです。」

お世辞とは思えない屈託の笑顔をこちらに向けてくれ、つい笑がこぼれた。

時計に目を落とすと丁度0時だった。SNSでよくこの時間に投稿していたし、眠くないのは本当なのだろう。

「ありがとうございます。母の話の途中でしたよね。僕の母も看護師だったんですけど、子宮癌でそこそこ若いのに亡くなって。子どもの頃から夜勤やなんやであまり構ってもらった記憶がないんです。だから絶対看護師なんかになるものかと思っていました。」

彼女は僕の目をじっと見つめ真剣に話を聞いてくれている。彼女は僕を救おうとしているのか、ただ話を聞きたいだけなのか、それとも。

「…でも何だかんだ母に憧れて看護師になったってだけです。僕もう行きますね。」

「えっあの。」

僕は振り返らずに病室をでた。母親との具体的なエピソードがなかったのは事実だし、そう、記録を書かなければならない。今は勤務中だ。

本当は、本当は推しが僕のことを考える時間がある事が耐えられなかった。彼女の漆黒の髪と瞳に吸い込まれそうで、取り繕うことも出来なくなっていた僕は、きっと余計なことも口走ってしまう。僕の人間味は知られたくない。少しでも彼女と、ずっと話していたいと欲が出てきた僕のような人間味は。

「いつまでもこうやって殻に閉じこもって生きていくんだろうな。」

僕の中で行き場のなくなった言葉が、我慢できずに飛び出した。

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