第3話 会話
「失礼します」
静かに扉を開けると、彼女がこちらを真っ直ぐな瞳で見つめていた。
「あ、体温測ったりするんですよね。お願いします。」
口ぶりから何回か入院した経験がありそうだし、確かにカルテにも、この病院には定期的に通っているし入院も何度かしているみたいだ。どうして気が付かなかったんだろう。彼女が体温計を脇に挟んでいる間、同時進行で僕は彼女の腕にマンシェットを巻いた。
「きつくなりますね」
そう言いながら圧をかける。ネームプレートをぼんやりみながら、本名で活動しているんだ…とどうでもいいことを考えていた。
「痛っ」
「すすす、すいませんっ。」
どうやら圧をかけすぎてしまったらしい。僕は謝りながら彼女を見つめると、目に涙を浮かべていた。
「そんなに痛かったですか、本当に申し訳ないです。」
「あ、いやこれは別に関係ないことなので大丈夫です。ご迷惑かけてすみません。」
涙の理由が気になったのは午後の業務中で、その場では早く終わらせてこの空間から抜け出したい一心だった。
アイドルの現場でも同じことをしていた。会おうと思って現場に行っても、ライブの後のハイタッチ会やチェキ会には参加せずにそそくさと帰る。「覚えてもらわなくたっていい」「会話できなくてもいい」「色々な推し方がある」と自分に言い聞かせて、独りよがりのヲタクをしていた。
記憶に残って欲しくないと考えるのは、自分に自信がないから。推しの目に、汚辱に塗れた僕を映して欲しくないと考えることで楽になった。
「あの、明日の夜も西木さん担当なんですよね。他の看護師さんから聞きました。よろしくお願いします。」
「えっそうなんですか?ああ、よろしくお願いしますね。」
田口さんが気を利かせてくれたのだろうか。同じ患者を受け持つことで、経過を観察しやすくなるという理由で同じ患者を付けてもらうことは少なくない。今の僕にとっては不都合だが、先輩の意向もある。印象に残らないように業務をこなすだけだ。ここで僕が君が好きだとバレても、隠していた事実が残るだけでメリットがひとつもない。ましてや気持ち悪がられ、身バレしたと勘違いされ、下手すれば警察沙汰になる。そして1番は、推しにトラウマを与えてしまうかもしれない。
看護師と患者の関係になってしまった今、僕はもう、「ふぁみふぁみ」のライブに行けないだろう。女性看護師ならまだしも、男性看護師が「あれからファンになりました」と言って現場に来たら怖いに決まっている。
僕は、推しを生でみられる最後の機会を大切にしたいと思う。
「明日もよろしくお願いしますね。天宮さん。」
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