第12話 ウホ……(腹減った……)

 夜半。

 むくり、と勇者――ドーラは暗い中で体を起こした。

 王宮の中庭にある、天然記念物にもなっている巨木。その上に簡易で作ったドーラの巣は現在、ほとんど夜眠るだけの場所になっている。

 以前は丸一日寝ていたドーラだったが、現在は日中にキアラ、イヴ、モノリーの三人から言葉を教わっていたり、ちょっとした訓練のようなものをしている毎日であるため、巣に戻るのは夜だけになっているのだ。


「ウホ」


 ひょいっ、と木の上から飛び降りて、ドーラは周囲を見回す。

 その根元にある籠は、いつもドーラの食事を入れてあるものだ。当然、今日も幾つもリンゴが入っている。だが、ドーラはそれを一瞥して確認してから、食べずにその場を離れた。

 ドーラは、ゴリラである。

 生まれてずっと動物園で飼育下にあり、餌を貰って檻の中で過ごすだけの日々を送っていた。そのため、野生の獣よりは人間に慣れている。よく餌を持ってきてくれる飼育員の顔は、よく覚えているくらいだ。

 そのため現在、場所こそ変わっているがドーラは、この中庭が自分の家だと考えている。

 そしてキアラ、イヴ、モノリーはドーラにとって飼育員だ。以前のように、檻の向こうで興味深そうに自分を見る視線こそないが、似たようなものだと思っていた。


「ウホ……」


 だが、ドーラはこの日、初めて自分の家から出ようと考えた。

 雑食であるゴリラは、野生では様々なものを食べる。果物を食べるにあたっても、その葉や茎、根も食べる。そして哺乳類である以上、決して欠かすことのできない栄養素――蛋白質は、アリなどの昆虫を食べて摂取している。

 では飼育下ではどうかというと、ちゃんと栄養バランスを考えて餌を与えられるのだ。蛋白質としてゆで卵や鶏ささみ、各種ビタミンとして野菜、食パンや果物などで炭水化物――そういう細かな食事を与えられるからこそ、飼育下で彼らは生きているわけである。

 その上で、ここ一ヶ月ほどのドーラは。

 与えられる食事が果物ばかりで、明らかに栄養が偏っていた。


「……」


 据わった目で、ドーラは中庭を闊歩する。

 きっちり整備された花壇は、かつて何者かが襲来してきた翌日に、王国の職人の手で修復されたものである。その職人はドーラに、「あんた暴れるなら花壇はやめてくれよ」とぼやいていた。

 そして職人の手によってしっかり整備された花壇には、虫の一匹も寄っていない。ドーラが周囲を見回しても、どこにも姿が見えない。


「ウホ……」


 アリが食べたい。

 ドーラは心から、そう思っていた。時々動物園の檻の中に入ってきたアリを食べていたドーラにとって、アリはご馳走だった。いつも与えられる餌と異なり、食べるその瞬間まで動いているアリは、食べていて楽しいものだった。

 アリが食べたい。

 ドーラはその思いを止めることができず、のっしのっしと中庭を歩き。


「ウホッ!」


 飛び上がると共に、巨大な中庭の壁に張り付き、そのまま這い上がる。

 そもそも類人猿であるゴリラは、木登りが上手い。少し太めの木ならば、腕の力だけでよじ登ることができるほどだ。

 そんなドーラにとって、装飾を入れているから掴まる場所の多い王宮の壁など、よじ登るのに何の苦労もしない。ひょいひょいと軽業師のように壁の上に立ち、そのまま飛び降りる。

 ずしんっ、と巨大な体を再び大地に立たせると共に。


「ウホ」


 ドーラは旅立った。

 アリを食べるために。












「アニキがどこにもいねぇ!」


 翌日。

 中庭にテントを張って暮らしている、自称勇者の弟子イヴ・アターニャは、起きてまず当然のようにアニキ――ドーラの姿を探した。

 しかし、巨木に声を掛けても何の反応もなく、「アニキー」と呼んでも全く返事をしなかった。いないのだから当然である。

 そして割と必死で巨木を登り、勇者の寝床を確認して誰もおらず、中庭を探しても全く姿が見えない。

 結果的に、彼女がそう叫んだのはキアラが毎朝やってくる時間だった。


「ゆ、勇者様が……いない……?」


「ああ! 寝床にいねぇ!」


「い、一体、どこに……」


 朝にやってきて「おはようございます、勇者様」と必ず挨拶をしているキアラは、絶望に真っ青な顔をしていた。

 毎日、朝には空になっている籠の中身を補充するために、今日も山盛りのリンゴを持ってきたというのに。


「イヴ! 勇者様は昨夜、ここで寝ていましたか!?」


「あ、ああ……あたしがテントに入る前、アニキは間違いなく上で寝てたが……」


「では……昨夜、勇者様が勝手に出て行ったということですか!?」


「そ、そんなの、あたしに聞かれても知らねぇよ!」


「何のためにあなたはここで寝泊まりしているのですか!」


「寝てたもん!」


 キアラの追及に対して、イヴは半泣きで答える。

 聖リューズ王国にとって、何より必要な最強の勇者が、いきなり消えてしまったのだ。ただでさえ聖リューズ王国では、勇者を他に認定していないというのに。

 焦りに気が狂いそうになりながら、キアラはまずイヴに指示を出す。


「と、とにかく、勇者様を探します! イヴ、とにかく探しなさい!」


「あ、ああ、分かった!」


「わたくしは、近衛兵を動かして捜索を開始いたします!」


 キアラは踵を返し、そのまま王宮へと向かう。

 今の時間は、近衛兵がそれなりに王宮内を警邏しているだろう。少し人員を分けてもらって、それから捜索を――。


「おやおや……勇者殿がいなくなってしまったのですか」


 だが、そんなキアラの足を止める声。

 そこにいたのは、高級な服に身を包んだ禿頭の男――右宰相ホランド。


「……何用ですか、ホランド」


「いえいえ、中庭から騒いでいる声が聞こえましたから、何事かと思いまして。話に耳を傾けておりましたら、どうやら勇者殿がいなくなったとか」


「……」


「やはり、蛮人のような相手を勇者に選んだのが間違いでしたな。言葉も通じない相手に、勇者であると敬意を払う必要もありますまい。私は何度も、新たな勇者を召喚すべきだと申し上げましたのに」


「……」


 明らかに、その言葉に含まれているのは嘲り。

 勇者だ勇者だと持て囃しておいて、その勇者に逃げられたキアラに対しての、嘲笑と侮蔑だ。


「しかし、これで姫も目を覚ましてくださるでしょう。私が申し上げたように、もう一度勇者召喚の儀を行うべきです。そうすれば、ちゃんと話の通じる勇者が来てくれるでしょう」


「……」


「そもそも、あのような蛮人をどうにか手懐けようとしていたのが間違いだったのです。次からは、言葉も通じない勇者など……」


「……れ」


 ホランドの度重なる文句に対して、キアラのとった選択肢は。

 据わった目で、その禿頭を睨み付けて。


「黙れハゲがぁっ!!」


「えぇっ!?」


 聖リューズ王国の姫として、非常に相応しくない。

 とても激しい、暴言だった。

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