第10話 ウホホ(なんとなく分かってきたぞ、うん)
「では勇者様、本日もお勉強を行います」
「ウホ」
既に、勇者が召喚されてひと月。
三十日という時間、決して無為に過ごしてきたわけではない。キアラは毎日のように勇者に対して訓練を施し、こうして勉強の時間を設けた。
キアラ、イヴ、モノリーの行う指示に対しては、的確に動けるようになった勇者である。しかし、このまま旅立つのは少し不味いと考えたのだ。
勿論、魔王の脅威はすぐ側に迫っている。そしてスアロス王国とガープ帝国のみならず、他の国でも次々と勇者が現れているという話も耳にしている。そして彼らは、従来の勇者と異なる『職業勇者』として認定されているのだ。
国が認定した、公式の勇者――聖リューズ王国からすれば非常に憤慨する話だ。勇者を召喚することができる唯一の国であるという、その利点を失ったのだから。
だが、他国からすればそんな行動もまた当然である。
仮に自国から輩出した勇者が魔王を打破すれば、それは国そのものの栄誉となる。そして現在、かつて伝説の勇者ヤマト・サヤマを輩出したがゆえに大陸首脳会議の議長を務めている聖リューズ王国――その地位を、そのまま奪い取ることができるのだから。
現在では、聖リューズ王国以外の十一国全てが『職業勇者』を認定している。多い国では、既に二桁にものぼる『職業勇者』が認定されたらしい。
ゆえに、聖リューズ王国としても、決してのんびりとはしていられない状態だが――。
「では、立ってください」
「ウホ」
キアラの言葉と共に、勇者が立ち上がる。
短い言葉――「ゴー」や「ステイ」といった言葉は、勇者は既に覚えている。「敵です、ゴー!」と言えば目の前にいる脅威を、その凄まじい身体能力で撃滅することはできる。
だが、それは勇者の扱いとしてどうなんだ、とキアラは自身に待ったをかけた。
勇者に指示を出し、勇者がその力を振るえば、倒せない相手はいないだろう。だが、それではまるでキアラが勇者を、奴隷のように扱っているように見える。奴隷と言わずとも、以前にモノリーが言った「動物の調教」のようなものと思われるだろう。
ゆえに、キアラは根気よく、勇者に対して勉強という形で言葉を教えることにした。
元より言葉が通じないだけで、勇者もまた人間だ。言語を全て習得することは難しいにしても、単語の一つ一つだけでも理解することができれば、意思疎通は図ることができる。
「ありがとうございます、勇者様。では、こちらに来ていただけますか?」
「ウホ?」
キアラはゆっくりと、歩みを進める。
身振りをすることもなく、「カモン」という言葉を使うでもなく、極めて丁寧に。あくまで外から見れば、勇者のことを尊重して扱っていることがよく分かるように。
勇者は僅かに首を傾げてから、キアラの後ろを同じ速度でついてくる。もっとも、二足歩行のキアラと異なり、勇者は両腕を突いて四足歩行のように歩いているが。
それでも、キアラは間違いない手応えを感じていた。
キアラの言葉は、勇者に通じている、と。
「ありがとうございます、勇者様」
「ウホ」
「では……《
魔術師であるキアラは、召喚術レベル10のスキルを持っている。
そして召喚術は、ゴーレムのみならず様々な魔物を召喚することもできる術だ。ゴブリン召喚は、そんな召喚術の中でも極めて初歩のものである。
キアラから少し離れた位置に、魔力が渦巻くと共に醜悪な小鬼の姿を成した。
「勇者様!」
「ウホッ!」
そこで、何の指示もなく勇者の名を叫ぶ。
それだけで勇者はキアラの意図を汲み取り、そのまま風のようにゴブリンへと駆ける。人間と魔物の違いは、何度も説明した。様々な文献に残っている絵や、キアラの召喚できる魔物たちの姿を見せることで、勇者には理解してもらった。
そして、魔物は明確な敵であるということも。
そんな日々を重ねてきた結果か、勇者は魔物の姿を見た瞬間に動き、一撃で破壊するようになった。敵です、と示すことも、ゴー、と指すこともなく。
これは、まさしく進歩だと言っていいだろう。
ぶおんっ、と風を切る音と共に勇者が腕を振り、そのままゴブリンが砕け散りながら吹き飛ぶ。
「お疲れ様でした、勇者様」
「ウホ」
「では、戻ってきてください」
「ウホ」
のっし、のっし、と四本足で歩きながら戻ってくる勇者。
敵を見定めてからは、凄まじい速度で駆け抜ける勇者だが、普段の動きは非常にのんびりだ。元々、大らかな性格をしているのだろう。
「姫」
「えっ……」
そこで、ふとキアラの背後からそう声を掛けられる。
思わず振り返った先に立っていたのは、数人の兵士を引き連れた禿頭の男。でっぷりと太った体に、切り揃えた黒い髭を蓄えた小男――右宰相ホランドだった。
「……何用ですか、ホランド」
「いえいえ。少しばかり暇ができましたもので、姫のご様子を見に来たのですよ。それと、我が国の誇る勇者とやらを」
「……」
その口調には、明らかな嘲りが含まれていた。
視線の先――そこには、ゴブリンを倒してからキアラの近くまで戻り、寝転がってリンゴを囓る勇者が映っている。
かつてオティア一世の前でさえ、「あの野蛮人」とまで言い放ったホランドは、勇者に対して良い感情を抱いていない。
「まったく……腰布すらつけていない、裸の勇者とは。実に情けないものですな」
「……勇者様を、馬鹿にするために来たのですか?」
「ふん。他国では、それはそれは素晴らしい勇者たちが大勢認定されているそうではありませんか。我が国でも、ヤマト・サヤマの血を引く勇者を募集して、勇者として認定しては如何ですかな」
「あなたがそう考えているならば、陛下に奏上なさい」
ホランドの嫌味に対して、キアラはそう溜息交じりに告げる。
左宰相のダニエルと共に、オティア一世に対してそういう意見が多く出ていることは知っている。だが、国王であるオティア一世は「我が国はあくまで、勇者を召喚することができる国だ。そして、既に勇者は召喚されている」と一蹴しているらしい。
恐らく、ホランドはそれが気に入らないのだろう。
「ご存じですかな、姫」
「何をですか」
「先日の大陸首脳会議で、『勇者協会』というものが新たに設立されることが決まりました。各国から認定を受けた勇者が全員、協会に登録されます。その上で、全ての国で勇者が活動を行うにあたり、支援する体制が作られるということです」
「なっ……!」
「聖リューズ王国を除く十一国の賛成により、決まったそうで。もはや、各国は聖リューズ王国に対して何の期待もしていないようですね」
ふん、とキアラを見下すホランド。
そして、丸々と肥えた顎をさすり。
「ああ、我が国の勇者も、一応登録されているらしいですよ。まぁ、まともに勇者として活動する気があればの話ですがね」
「……」
「あぁ、登録から一定期間何もしなければ、勇者としての認定が取り消されるらしいですよ。その場合、我が国からの勇者はゼロということになりますので、さすがに陛下も他の勇者を認定する気になってくれるでしょう」
「……」
「その野蛮人が勇者でなくなれば、王宮の庭で飼う必要もなくなるでしょうな。その日が実に楽しみだ」
勝ち誇りながら、そう告げたホランドに対して。
キアラは下唇を噛みしめたままで、何も返すことができなかった。
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