第9話 ウホ(あれ叩けばいいんだな)
キアラは勇者とのコミュニケーションを図るために、日中は常に中庭を訪れていた。
以前、何度も何度も勇者に対して行った、この世界が危機に瀕しているという説明――その意味が全くなかったことは残念であるけれど、言葉が通じないという事実に気付かなかったのがそもそもの原因である。
そして勇者がこちらを小馬鹿にするような態度を取ったり、鼻をほじったりするのも毎日のことではある。だが言葉が通じていない以上、こちらの言葉に対して馬鹿にしているというわけではなく、あくまで勇者の方が強者であるがゆえの立ち振る舞いなのだろうと。
勇者の強さを考えれば、かつての世界では王として君臨していたのであろうから、その態度も当然のことだ。
キアラは勇者に対して、短い言葉でのコミュニケーションを行いながらも、決して敬意を崩さない――それを、徹底していた。
「すげー、アニキ力持ちぃ!」
「はいはーい、勇者様ぁ。イヴさんをあまり甘やかしてはいけませんよぉ」
「ウホ」
「……」
ただ、こうして。
勇者の腕にぶら下がっているイヴが、まるで子供のようにはしゃいでいる姿を見ていると、なんとなくもやっとする気持ちはあるけれど。この女には、勇者に対する敬意なんて欠片も見えない。
そしてモノリーの方はというと、自らは積極的に参加こそしないものの、勇者をまるで年端もいかない子供のように扱っているのが気になるところだ。
「イヴ」
「あ、お姫さんじゃん。お姫さんもやる? アニキゴーラウンド」
「やりません。それより、本日は特訓の予定です」
「ウホ?」
「勇者様、失礼いたします」
すっ、とキアラは居住まいを糺す。
聖リューズ王国の姫として、勇者と話すときには常に敬意を持ち、そして謙るのが当然のこと。
かつて勇者自身のいた世界において、彼は王だったはずだ。そして、その地位を失わせたのは誰でもないキアラである。ゆえに、全てを捧げてその無為を鎮めることも、またキアラの責務だ。
「本日は、勇者様に特訓を行っていただきたく存じます」
「ウホ」
「特訓といっても、さほど難しいことではございません。まずイヴ、勇者様の腕から降りてください」
「へいへい」
キアラが再度睨み付け、イヴが勇者の腕から降りる。
そして、溜息交じりにキアラを見て。
「んで、今日は何すんだ?」
「本日は、戦闘訓練です。まずは勇者様、イヴをしっかりご覧ください」
「ウホ」
身振りを加えつつ、キアラはイヴを示す。
これは、今まで短い言葉でのコミュニケーションを行うにあたって、何度もやってきたことだ。
キアラが「イヴ、ゴー!」と告げると、イヴが前進する。それをしっかり勇者へと見せてから、「勇者様、ゴー!」と告げる。そして勇者の頭の中に、『ゴー=前進』ということを植え付けた。
それにより現在、「ゴー」「ステイ」「ストップ」「カモン」あたりの言葉は理解して、勇者も従ってくれるようになった。
ゆえに、本日の訓練で行うこと――それは、敵が出現したとき、勇者に戦わせること。
「《
キアラはわずかに離れた位置へと、魔力を転化する。
その魔力が中庭の大地に描かれ、そしてゆっくりと盛り上がり、形を成した。全身が土でできた、不格好な人形――召喚魔術の中でも比較的初心者向けである、ゴーレムの召喚術である。
キアラのスキル『召喚魔術レベル10』は、中級くらいまでの召喚魔術を扱えるものであり、この程度のことは造作もない。
「いいですか、イヴ」
「あいよ。あたしはいつでもオーケーだ」
「では……イヴ、敵です、ゴー!」
「おう!」
今回の指示――敵です、ゴー。
あくまで「ゴー」は前進という指示だが、そこに「敵」という言葉を追加することで、併せて「敵を倒せ」という指示になる。
一単語での指示から、二単語での指示――勇者は僅かに首を傾げていたが、イヴの動きをしっかり見ていた。
キアラの言葉と共に動き、ゴーレムに向けて走り、拳をゴーレムの頭に叩きつける、その一連の流れを。
「うっしゃ!」
イヴが振り抜いた拳により、ゴーレムの頭が壊れる。
あくまで、ルナが魔力によって作り出したゴーレムだ。こちらに向けて攻撃してくることもないゴーレムは、イヴの一撃と共にゆっくりと崩れ去っていった。
レベル35である、天才と呼ばれる領域にある戦士――イヴの前では、ゴーレムなど木偶人形にも等しいだろう。
「では勇者様、先程イヴが行ったように、勇者様も攻撃してくださいませ」
「ウホ」
ぽりぽり、と勇者が頬を掻く。
恐らく、既に理解はしているのだろう。勇者は決して頭が悪いわけでなく、あくまで言葉が通じないだけだ。
キアラは再び、魔力をわずかに離れた位置へと転化する。
「《
先程と同じく、出来の悪い土人形が庭園から生まれた。
そしてキアラは、手だけでゴーレムを示し。
「勇者様、敵です、ゴー!」
「ウホッ!」
瞬間。
まるでそこに走ったのは、旋風だった。
キアラの隣を、超高速で走り抜けていく巨大な勇者――その勢いに生まれた風は、まるでキアラを吹き飛ばすかのような威力。モノリーがめくれるスカートを「やぁん」と言いながら押さえていたが、当然誰も見ていない。
そして。
瞬きほどの間に勇者はゴーレムへと肉迫し、その太い腕を叩きつけると共に。
ゴーレムは、砂になった。
イヴが行ったように、壊したというわけでなく。
凄まじい力の一撃を、途轍もない速度で繰り出したそれは――まさしく、粉砕。
ゴーレムがそこに存在した証すら残すこともなく、完膚なきまでに消し去るその威力は、恐らく城壁すら容易に破壊しえるだろう。
「……」
「……」
「……」
「ウホ」
三者三様に言葉を失いつつ、同時に理解する。
やはり、この勇者は規格外だ。この世界において、この勇者に敵う者は誰一人としているまい。
恐らくそれは――例え、
「……あたし、よく生きてたな」
「ええ……」
「本当にぃ、そうですねぇ……」
キアラは、思う。
この中で唯一、勇者の攻撃をその身に浴びたイヴ――だが、あのときイヴが受けた一撃は、勇者にとって攻撃というものですらなかったのだ。
もし勇者が本気で攻撃していれば、イヴは肉片一つ残っていなかっただろう。
今、まさしく粉砕されたゴーレムのように。
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