第8話 ウホウホ(やっと何すりゃいいか分かった)
勇者は、キアラが何を言っているか分からない。
その事実が分かって、キアラもむしろほっとした。
本来翻訳の魔術は、双方の言葉を双方に理解させるものである。それが一方通行というわけではなく、あくまで失敗しているだけだったからだ。
恐らく、翻訳の魔術が全く効果を及ぼさないほど、言語体系が異なるのだろう――とキアラに教えてくれたのは、キアラの師でもある宮廷魔術師だった。単語を用いるのではなく、極めて短い言語の響きの違いだけで、そのニュアンスを理解するような文化である可能性が高い、と。
結果としてキアラは、勇者に対するコミュニケーションとして、基本的に身振りを用いるようになった。
来て欲しいときには手招きをする。
止まって欲しいときには手を翳す。
向かって欲しいときには、方角に向けて手を伸ばす――などなど。
モノリーは「なんだか動物の調教みたいですねぇ」と言っていたが、似たようなものではあるだろう。あくまでキアラは、勇者に従う仲間という形ではあるが。
「……そういった形で現在、勇者様と相互理解を努めております」
「うむ。進展しているようで何よりだ」
勇者がこの世界に召喚されて、既に十二日。
今日は身振りによるコミュニケーションに加えて、短い単語でのコミュニケーションを図った。「ゴー」と言えば前進、「ステイ」と言えば止まる、「カモン」と言えば来る――など。
まるでキアラが勇者に命令しているようにも見えるだろうが、そこは一応、「勇者様、ゴーです!」などと修飾をしている。
そのあたりの報告を、今キアラは父――国王オティア一世に対して行っていた。
「ありがとうございます。早ければ、ひと月ほど後には旅立つことができるかもしれません。わたくし、モノリー、イヴの言葉に対しては従うようになっております」
「ふむ。他の者の言葉には従うのか?」
「騎士の一人に試させてみましたが、従いませんでした。勇者様は、わたくしたちのことは信頼してくださっているようです」
「ふむ……」
これは、検証も兼ねて行ってみたものだ。
仮に敵と対峙したとき、敵がこちらの情報を掴んでいれば、向こうから「ステイ!」と言い出す可能性もあるだろう、と。その場合、敵の命令を聞いてしまってこちらに牙を向けてくるのではないか――そう懸念して、検証の場を作った。
キアラが「勇者様、ゴー!」と告げた後、勇者と面識のない騎士が「ステイ!」と叫んだとき、勇者は騎士の言葉に従うことなく前進を続けた。「ステイ!」と言われた瞬間に、少し訝しそうな表情を浮かべていたものの、従わなかった。
やはり、異文化ではあるといえ同じ人間。
勇者も、それなりの知性は有していると考えて然るべきだろう。
「うむ、朗報だ。なるべく早く、行動に移せるようにせよ」
「承知いたしました。必ずや、魔王を討伐してみせます」
「期待している。だが……情報官が、少々面倒なことを言ってきてな」
「情報官ですか?」
オティア一世の言葉に、キアラは眉を寄せる。
情報官とは、他国に送り込んでいる密偵から情報を受け取り、報告してくる役職のことだ。聖リューズ王国は他国とそれなりに良好な関係を築いているが、それでも仮想敵国がいないわけではない。そのため周辺諸国には密偵を派遣し、常に最新の情報を得られるようにしている。
もしかすると、他国できな臭い動きが――。
「スアロス王国に、魔族が現れたらしい」
「えっ!?」
「まぁ、格としては
「なんと……!」
魔族――それは、人類の怨敵にして魔王の眷属。
本能のままに暴れる魔物とは異なり、知性を有し部下を率いる彼らは、その強さに応じて階級を持っている。
特に
「では……スアロス王国でも騎士団で対処を?」
「ならば良かったのだがな……スアロス王国に現れた
「なっ……!」
並の人間ならば一瞬で葬る力を持ち、さらに魔物を従えている。そんな
それこそ、腕利きの冒険者などでもない限りは。
「さらに……南のガープ帝国にも同じく、魔族が出現したとの報だ。階級までは分からないが……恐らく
「父上、まさか……」
「その魔族も、ガープ帝国に住む少年が撃破したそうだ」
「なんと……!」
「そして……この両者には一つだけ、共通点がある」
スアロス王国の青年。
ガープ帝国の少年。
国も違い、環境も違うそんな二人――。
「二人とも、かつて我が国が召喚した勇者……ヤマト・サヤマの血を引いているということだ」
「――っ!」
「スアロス王国とガープ帝国では……それぞれ魔族を撃破した者を、国として公式に勇者と認めるらしい。かつての勇者の血を引き、相応の実力もあるとなれば、当然のことだろうな。実に頭の痛い話だ」
「……」
キアラもまた、あまりの事態に頭痛がしてくる。
勇者とは、聖リューズ王国だけが召喚することのできる偉大なる人物だ。そして勇者を召喚できるという特性があるからこそ、聖リューズ王国は小国ながら、大陸の中心的国家として活動している。
だが、各国で勇者の血を引く新しい勇者が現れた場合、その前提が崩れてしまう――。
「他の国でも、国を代表する勇者を選別しようという動きが出ているそうだ。今のところ、表明しているのはスアロスとガープだけだが……今後は、全ての国から勇者が出てくる可能性もあるだろう」
「……」
「すまないが、キアラ……我が国の輩出した勇者こそが、真の勇者であると証明する必要がある。国同士の争いに勇者殿を巻き込むことは、申し訳なく思うが……」
「……いえ、承知いたしました、父上」
キアラは、覚悟を決める。
かつて召喚した勇者の血を引く、新たな勇者――その存在を、認めるわけにはいかない。
「必ずや、我が国の勇者様に……魔王を討伐していただくため、尽力いたします。そして、この世界を救ってみせます!」
「うむ」
キアラは知らない。
その魔王が既に倒されており、世界が既に救われていることを。
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