第7話 ウホ(なんか言ってるけど分かんねぇぜ)

「おう、アニキの寝所はあたしが守るぜ!」


「……イヴ。あなた、そんな性格でした?」


 庭園。

 勇者がこの世界に召喚されて、既に十日。相変わらず彼は庭園の巨木の上で過ごしながら、惰眠を貪っている日々である。

 キアラも何度となく、左宰相ホランドから「国から叩き出せば、勝手に魔王を討伐してくれるのでは?」「そのように甘い対応をしているから、図に乗るのでしょう」などと嫌味を言われ続けている中でも、根気強くここを訪れていた。

 しかし、そんな中で変わったことが一つ。

 それは勇者の仲間として選抜した騎士――イヴ・アターニャが「あたしは仕えるべき主君、アニキを見つけたんだ!」と言って、勇者が寝床にしている巨木の根元に四六時中いることである。


「んで、姫さん何か用か?」


「いえ……勇者様に、本日こそは魔王を討伐するための旅立ちをしていただければと……」


「悪いがアニキは、今高度な思考を行うために瞑想してるとこだ」


「あらあらぁ。私には眠っているようにしか見えないですけどぉ」


「……」


 イヴの言葉に、首を傾げるモノリー。

 こうしてキアラ、モノリーの二人で勇者のところへやってくるのも、もう何度目になるだろうか。キアラがどれほど魔王という存在の強大さと危険、放っておけば大陸の危機ともなる事実を述べても、彼は全く興味なさそうに欠伸をするだけだった。

 こうして話している間にも、きっと魔王は力を蓄えていることだろう。そして然るべき日に、この世界を滅ぼすために動いてくるはずだ。

 災厄の未来を回避するためには、勇者に動いてもらわなければならないというのに――。


「……勇者様の、お食事をお持ちしました」


「ああ、そりゃ良かった。アニキ、朝にちょっと降りてきてメシ探してたんだけど、見つかんなかったからそのまま寝たんだよ」


「寝たって言っちゃいましたねぇ」


「違ぇ。間違えた」


 はぁ、とキアラは溜息を吐いてから、勇者の食事――それの入ったバスケットを巨木の根元に置く。

 十日ほど経て、勇者の好き嫌いはある程度分かってきた。どうやら勇者は肉類をあまり好まず、果実を好むようだ。それも皮ごと噛み切れるものを。

 そのため、バスケットいっぱいに入っているのはリンゴである。これも、左宰相ホランドから「役立たずの勇者に与える食事を、国庫より捻出するわけにはいきますまい」という嫌味のせいで、キアラが自ら購入したものだ。


「アニキ-! メシが来たぜ!」


「ウホ?」


「ほらほら、こっちこっち!」


 勇者が、巨木の上からひょい、と顔を出す。

 そして手招きするイヴの姿に首を傾げてから、するすると器用に木から下りてきた。


「ウホ」


「えっ……!」


 そんな勇者の姿に、思わずキアラは目を見開く。

 何度となく、キアラは「降りてきてくださいませ」と頭を下げた。少しでも誠意を理解してもらいたいと、来てくださいと何度もお願いをした。

 にも拘らず、勇者はそんなキアラの嘆願を完全に無視して、一度たりとも降りてきてくれなかった。

 だというのに――。


「勇者様……わたくしの言葉は、無視されますのに……何故、イヴだけ……」


「そういえばぁ……イヴさんとの手合わせのときにはぁ、素直に降りてきましたねぇ」


「……イヴには、何か勇者様を惹きつけるものがあるのでしょうか」


「それは分かりませんけどぉ……」


 イヴの手からリンゴを受け取る勇者。

 それをもっしゃもっしゃと囓る姿は、まさしく野性的だ。文明のレベルが非常に低いことは分かっているけれど、恐らく勇者の元いた世界では、食事をするのに食器を用いることもなかったのだろう。

 だが、ひとまずキアラは心を落ち着ける。

 イヴのことを気に入っているのならば、それはむしろ成功だ。キアラでは勇者の心を溶かすことができずとも、イヴが同性のように兄弟のように接することで、勇者の警戒心を解くことになるのならばそれでいい。


「その……勇者様」


「ウホ?」


「どうか……わたくしの想いを、お聞きください。この世界は、魔王の脅威に瀕しております。一日も早く魔王を討伐しなければ、聖リューズ王国のみならず、世界が破滅に導かれるかもしれません」


「……」


「そのために、わたくしは勇者様を、この世界にお呼びいたしました。勿論、勇者様も元の世界から突然呼び出され、こちらの一方的な都合で物申している現状、意に沿わない部分は多々あると考えます。ですが……どうか、勇者様のお力を、貸してはいただけないでしょうか」


 強く、キアラは頭を下げる。

 自分の頭を下げて、それで想いが通じるのならば構わない。聖リューズ王国の姫などという、そんな立場などどうでもいい。

 元の世界では、恐らく王であっただろう勇者――彼の琴線に響くまで、頭を下げ続けても構わない。

 そんな強い意志と共に、キアラは告げる。


「勇者様……いかが、でしょうか?」


 暫し頭を下げてから、キアラは恐る恐る目を上げる。

 その視界に映っているのは、キアラの目の前で座っている勇者。

 ただし、興味なさそうに鼻をほじりながら。


「……」


 想いは、通じてくれない。

 どれほど誠意を込めようと、どれほど美辞麗句で飾ろうと――結局のところキアラは、勇者を元の世界から無理やり連れてきたに過ぎないのだ。

 勇者と崇めようと、救世主であると讃えようと。

 結局のところ――その扱いは、奴隷と同じようなものであるのだから。


「おやぁ?」


 そこで、ふとモノリーが首を傾げるのが分かった。

 何か、先程から考えている素振りはあった。しかし、キアラはそこまで気にしてもいられず、特に突っ込むこともなかったが――。


「あのぉ、キアラ様ぁ」


「……どうかしましたか、モノリー」


「ふと思ったんですけどぉ、勇者様って、私たちの言葉分かるのですかぁ?」


「えっ……」


 その質問に、思わず言葉に詰まる。

 翻訳の魔術は、常に掛けてある。キアラの言葉は、一言一句違わず勇者に伝えられていることだろう。

 だが、逆に勇者の言葉――ウホ、ウホッ、ホッ、といったその言葉については、一つも理解できていない。


 まさか――。


「では……言葉が、通じていないということですか?」


「えぇ。ちょっと思ったんですけどぉ」


 そこでモノリーは、勇者の視界――見える位置まで移動してから。

 勇者に向けてにこりと微笑み、右手を前に出して。


「こっちにぃ、来ていただけますかぁ?」


 くい、くい、と手招きをした。

 その仕草に対して勇者は、僅かに眉を顰めてから鼻をほじるのをやめて。

 両手をついて腰を上げて、ゆっくりとモノリーに近付いてきた。


「……えっ」


「あぁ、やっぱりぃ」


「ど、どういうことなのですか!?」


「勇者様はぁ、ただイヴさんが手招きをしたから来ただけみたいですねぇ」


 勇者に、キアラの言葉は一つも通じない。

 その事実を知るのに、どうやら十日かかったらしい。

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