第5話 ウホ(何遊んでんだろ)

「ぐ、は……」


 一撃だった。

 手招きをして挑発をしたイヴに対して、勇者は緩慢に近付いた。まるでどんな攻撃でも受けてみせよう、とでも言うかのように。

 イヴは「なめてんのかい!」と告げて、勇者の顔へと拳を放った。それが勇者の顔に当たると共に、勇者はぽりぽりと頬を掻いて。


 ぶんっ、と腕を振った。

 ただ、振っただけ――それだけで「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」とイヴの体は吹き飛び、そのまま庭園の壁に激突した。

 あまりにも一瞬すぎる出来事に、キアラ、モノリーの二人はただ、揃って呆然とすることしかできなかった。


「ウホ」


「あ、あ……! も、申し訳ありません! 勇者様!」


 キアラは、心から後悔していた。

 イヴに対しては、何度も「他国の王を相手にしていると思いなさい」「決して逆らってはなりません」と口酸っぱく伝えていた。それは全て、キアラが勇者のステータス――レベル999という途轍もない数字を知っていたからだ。

 だがイヴにそれを伝えていなかったのは、キアラの不手際だ。

 騎士は総じてプライドが高いものであり、強さこそが価値――その認識は知っていたのだから、事前に伝えておくべきだった。

 そう自分の行いを恥じて、キアラは勇者に向けて頭を下げる。


「あらあらぁ……イヴさん、危なそうですねぇ」


「モノリー! 早く回復を!」


「はぁい。今行きますねぇ」


 壁に激突し、そのままずるりと落ちて地面に倒れているイヴ。

 ぴくぴくと痙攣のように体が動いており、目は完全に白目を剥いている。腕や足はあらぬ方向に曲がっており、一目見ただけでも瀕死だと分かるだろう。

 モノリーはてこてことのんびり歩きながら、そんな瀕死のイヴの元へと向かった。


「《大治癒フォースヒール》」


「が、は……」


 モノリーが中級治癒魔術を発動すると共に、イヴの体が逆再生するかのように、次第に戻っていく。腕や足は明らかに折れている部分が矯正されていき、絶え絶えになっている呼吸も落ち着いていった。

 高位の神官しか使うことのできない、中級治癒魔術――大司祭ともなれば上級も使うことができるらしいが、その境地に至ることができるのは極めて僅かな存在だけだ。モノリーほどの若さで、中級の治癒魔術を使うことができる逸材は、他にいない。

 ひとまずイヴのことはモノリーに任し、キアラは再び勇者に向けて頭を下げる。


「勇者様……このたびは、イヴが本当に申し訳ないことを……彼女は騎士団でも非常に評価の高い人物であり、二十二歳という若さで中隊長を任されている実力者ではあるのですが……その……短慮な部分が、ございました。心より、お詫びを申し上げます」


「ウホ」


 勇者はそんなキアラの言葉に対して、僅かに首を傾げてから鼻をほじる。

 そんな反応も当然だ――そう、キアラは猛省した。

 実力者であると紹介した相手が、腕を振った一撃で吹き飛び、息も絶え絶えになっているのだ。この程度の実力か、と勇者が落胆するのも当然である。


「ですが改めて……わたくしは勇者様のお強さを認識いたしました。勇者様にとってイヴは、ご自身に刃向かった愚か者だと考えて当然のことだと思います。即刻、イヴには厳しい罰を与え、騎士団に戻します。改めて勇者様に相応しい従者を選んでまいりますので、少々お待ちいただければと……」


「ウホ」


 勇者はキアラに対してそう言って、ずしん、ずしん、と足音を響かせながら歩く。

 その歩く先は――イヴのところ。


「ぐぅ……あががががが! い、いっでぇ……!」


「あらぁ、ようやく目覚めましたかぁ? 意識が戻ったようなら、あとは回復していくのを待つだけですよぉ」


「こ、これは……!? あ、あたしは、一体……!」


「一撃で吹き飛ばされたんですよぉ」


 喚くイヴの声と、そんなイヴに治癒魔術を使い続けているモノリー。

 イヴは瀕死の状態ではあったが、どうにか魔術で治癒することができるレベルだったようだ。

 恐らく、勇者も手加減をしたのだろう。キアラが確認した勇者のステータスを考えると、本気であったならイヴなど間違いなく死んでいる。だというのに生きているのは、純粋に手心を加えられたからに違いあるまい。

 勇者はのっしのっしと倒れているイヴに近付き、そして目を細めた。


「……そうか、あたしは……負けたのか」


「完膚なきまでに負けましたねぇ」


「ふん……そうかい。どうやらあたしは……自惚れていたようだね。まさか、一撃で敗北するとは……」


 倒れ伏したままで、どこか清々しいように目を閉じるイヴ。

 そんなイヴを、遙かなる高みから見下すように、勇者は笑みを浮かべた。

 犬歯を剥き出しにする、凶悪な笑み――まさしく、支配者の愉悦であるかのように。


「神官、もういい……もう、十分だ」


「あらぁ? でも、まだ痛みがあるんじゃないですかぁ?」


「いいや……この痛みは、あたしの敗北の証だよ。あたしが、甘んじて受ける必要がある」


「九割五分くらいは治してますけどぉ」


 モノリーの言葉を聞くことなく、イヴはゆっくりと起き上がり、そして勇者を見据えた。

 その眼差しは、真剣そのもの。

 先程――自分より強い者しか認めないと豪語したときと異なり、その表情には勇者への敬意が見えた。


「……試すようなことを言って、本当にすまなかったね」


「ウホ」


「あたしは、あたしより強い者にしか従わない……それを矜持にして生きてきた。だが、アンタはあたしより遥かに強い。アンタこそ、あたしが主君と認めるに相応しい人物だよ」


「ウホ?」


 色々と、突っ込みどころはある。

 敬意を持って話すべき相手なのに、普通に「アンタ」とか言ってるし。

 騎士なんだから、主君と認めるべき相手は国王であるオティア一世ではないのか、とか。

 だが――騎士が主君を決めた、その瞬間だ。そこに口を挟むほど、キアラは不躾ではない。


「あたしは、戦うことしかできない女だ。そんなあたしで良ければ、どうか……アンタと共に戦わせてくれ。あたしは、勇者に剣を捧げるよ」


「……」


 そんなイヴの言葉に対して、勇者は。

 ふっ、と少しだけ鼻で笑ってから、右手を差し出した。

 それはまさしく――勇者も同じく、イヴを認めたということだろう。


「なるほどね。右での握手か」


 キアラもまた、勇者のその行動に対して深く胸を打たれた。

 騎士にとって右手での握手とは、敵意のない相手に行う最大限の敬意の証だ。本来武器を持つべき手を差し出し、相手にもまた武器を持たせない――それは、信頼に対して信頼で返すという振る舞いである。


「よろしく頼むよ、勇者」


「ウホ」


 まるで、それは英雄譚の始まりであるかのように。

 二人の戦士が握手を交わしたそれが――まるでキアラには、一つの絵姿のように見えた。

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