第85話 二人きりの食事

 ルキア・フォン・ノーマンには恋愛経験がない。


 そもそもノーマン侯爵家の一人娘として生まれたルキアは、幼い頃から次代の侯爵となるための教育を受けてきた。

 元々体が弱かった母はルキアを出産すると共に亡くなり、父一人娘一人という家族だった。そして同じく病気がちだった父も、ルキアが十四歳の頃に亡くなった。教育こそ受けてはいたものの、突然侯爵位を継ぐことになってしまったルキアは、青春の日々のほとんどを仕事に捧げてしまった。

 何故なら、当時の様々な貴族から「我が領と統合を」などという申し出も何度かあったのである。勿論ながら、ルキアは毅然とした態度で断り続けた。そして彼らを見返すために、決して民を蔑ろにする政治を行ってはならないと、ルキアのような小娘でもノーマン領は管理できると、そう示す必要があった。

 その結果として、ノーマン領は発展した。父の代から行ってきた様々な改革が実を結び、そしてルキアも多彩な政策を打ち出し、現在は『ネードラントの穀倉』と呼ばれているほどに税収は高まった。

 ようやく安定してきたのは、ここ二、三年の話だ。


 その結果、十四で領地と爵位を受け継ぎ、青春時代を仕事に捧げたルキアは。

 その間、男性とのお付き合いなど一度もしたことがない。


「いらっしゃいませ。本日のメニューはこちらとなっております」


「うむ、ありがとう。わたしへ提供する料理は、緑の野菜をなるべく減らしてくれ。特にピーマンは絶対に入れるな」


「承知いたしました」


 目的地のレストラン。

 席に着いたルキアは、給仕に対してそう命じる。そしておずおずとルキアの正面に座ったソルは、何をしていいか分からないと目で語っているかのように、レストランの内装に圧倒されていた。

 大きな硝子窓から夜景の見える、個室のテーブルである。

 ルキアがここに来るとき、常に用意してくれる一等席だ。その分、席料金は他のテーブルよりも高くつくけれど、それは経済の循環ということで納得している。


「食前酒は何にいたしましょうか?」


「ふむ……おすすめはあるかな?」


「本日のメインは魚料理となっておりますので、白のドライシェリーをおすすめしております。辛口の白ワインでございます」


「では、わたしにはそれを。彼には、飲みやすい果実水を頼む」


「承知いたしました」


 給仕が一つ頭を下げて、背を向ける。

 そして扉から出て行くと共に、そこに残されるのはルキアとソルだけだ。ルキアは腕を組み、夜景――ノーマン領の住民たちの灯りを見ながら、小さく嘆息した。


「ああ、わたしの方が勝手に決めたが、構わなかったか?」


「へ!? あ、は、はい。す、すみません……こういうところ、不慣れで……」


「なに、構わないさ。謝罪の必要もない。別段、きみが失態を犯しているわけではないのだからね」


「……ありがとうございます」


 ふぅ、と小さく息を吐き、水を一口飲むソル。

 そして、夜景とルキアを交互に見ながら。


「ええと……二人、なんですか?」


「うん? どうした?」


「あ、いえ。ダリアさんは……」


「こういう場に、メイドを伴って来るのはマナー違反なのだよ」


 ソルの言葉に、ルキアはそう返す。

 ここまで馬車を出してくれたダリアは、馬車で待機だ。別段それは命じていないし、ソルが不思議に思うのも当然だろう。


「……そうなんですか?」


「ああ。給仕のいる店にメイドを伴って来るのは、給仕のことを信用していないと暗に告げていることになる」


「えっ……」


「こういう店の場合、食事を運んできた給仕が、そのまま我々の背後に控える形になるんだよ。注文などがあれば、すぐに対応できるようにね。だがメイドを伴って来ている場合、そういった役目を行うのはメイドだ。そうだね……『わたしにはメイドがいるから給仕のお前はいらない』と示すことになる、とでも言えばいいかな」


「はぁ……」


 ルキアの言葉に、驚く素振りを見せるソル。

 社交界のマナーなど今まで知らなかっただろうソルは、普通に感心していた。


「もっとも、きみが給仕を信用できないと言うならば、今からでもダリアを呼びつけて構わないが」


「い、いやいや! そういうことじゃないです!」


「ははは。冗談だよ」


 我ながら、一言多い――そう考えながら、ルキアは笑みを浮かべる。

 ある種、これはルキアの処世術のようなものだった。

 十四で家督を継いだ、経験もろくにない小娘。それは権謀術数渦巻く貴族社会において、なめられても仕方ない存在だ。それこそ美辞麗句を並べ立てた悪人の好餌となって、当然の存在である。

 ゆえにルキアは己を強く見せるために、敢えてこういう話し方をするようになった。

 人を試すように皮肉を言い、人を揶揄うように揚げ足をとる。話している相手によっては、本気で苛立たせることも多々あるやり方だ。

 だが、ただ頷いているだけの小娘ではない――そう示すことが、何より大事だったから。


「ああ、それと申し訳ないが、食前酒はわたしだけ楽しませてもらう。ソル君は、今日のところはアルコールの摂取を控えておきたまえ」


「あ、はい。それは構いませんが……」


「折角の食事だ。きみは弱いようだし、酒がない方が味を楽しめるだろう?」


「……ありがとうございます」


 ばつが悪そうに、頬を掻くソル。

 いつぞや、それほど濃くないはずのブランデー入り紅茶で、あれほど酔っ払って寝てしまったソルだ。多少ならば問題ないかもしれないが、念には念を入れておく。

 何せ、今日は初めての二人きりのデートなのだ。

 それを後日、「いやー、酔っ払って全然覚えてませんよー」とか言われたら困る。


「……」


 見ているだけで、「いやー、どうしようかなぁ」とでも思っているのがよく分かる、ソルの反応。

 恐らく想定を上回っただろう、高級感のあるレストラン。しかも夜景の見える個室だ。そこに生じている戸惑いが、よく分かってしまう。

 そして同じく、ルキアの方も少なからず緊張してはいる。

 何せこんな風に――男性と二人で外食することなど、初めてなのだから。


「……はぁ。まったく、気の利かない男だよ」


「えっ、ルキアさん、何か……」


「ああ、何でもないよ」


 今日のために、しっかり髪を整えてきた。

 着ている服も、普段着ではない。それなりに質のいいドレスだ。普段着でも問題ない程度にフォーマルなものではあるけれど、敢えてドレスを準備させた。

 出かける前には、しっかり化粧も施した。普段は王宮に行くとき以外、ほとんどナチュラルメイクのルキアでありながら、今日は割と頑張った。

 だが、今のところソルから、そういうルキアに対する褒め言葉は一つもない。

 何を言われても動揺しないように、心の準備も整えてきたのに。


「失礼いたします。食前酒と果実酒をお持ちしました」


「ああ。ありがとう」


 食前酒を受け取りながら、思う。

 やっぱり、ルキアが子供のような体型だから、興味を持たれないのだろうか。

 十四で家督を継ぎ、寝る間も惜しんで仕事を重ね、成長期に慢性的な睡眠不足に陥った。その結果、ルキアの体は十四で成長を止めてしまった。

 現在に至っても、童女に間違われることも多い自分の見た目。


 やはり胸に詰め物でもしてくるべきだったか、とルキアは小さく嘆息した。

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