第84話 夕刻になって

 夕刻。

 ルキアから先に連絡を貰っていたのだろうダリアが、当然のように馬車を用意していた。


「お待たせいたしました。ルキア様、ソル様」


「うむ。ではソル君、乗ってくれ」


「はぁ……」


 既に、日は西に傾いている。もう少しすれば、夜が訪れるだろう。

 こんな時間に出かけるというのも滅多にないから、なんとなく緊張してしまう。特にルキア、「デートしよう」とか言ってきたわけだし。

 デート。

 それは俺の認識で言うところの、恋人関係にある男女が一緒にお出かけをすることだ。ちなみに恋人関係については、なる予定くらいでも問題ないと考える。

 その上で、俺の人生におけるデートの経験は、ほとんどないと言っていい。


 いや、ゼロじゃねぇよ?

 さすがに一度も行ったことない、ってわけじゃない。それこそ以前カンナに言われたことだが、当時封印都市の都市庁で事務員をしていた女性と、ちょっといい関係になったのだ。二ヶ月くらいちょっといい感じの関係が続いて、食事も二度ほど行った。

 ただ、その頃には既に大結界の維持管理部が人員削減に削減を重ねていた段階で、ほとんど家に帰れない日が続いた。そのせいで会う時間を捻出することもできず、自然と疎遠になっていったのだ。

 で、今に至る。

 ははは……二十年以上やってきた大結界の維持管理の仕事中、いい感じの関係になった女性なんてその一人だけさ。


「ええと……」


「うん、どうした? さっさと乗ってくれ。日が暮れるだろう」


「あ、はい……」


 ルキアに促されて、俺が先に馬車に乗り込む。

 こういうのって、俺がエスコートするべきなんだろうか。というか、普通のデートって皆どうしているんだろう。でも俺、馬車に一緒に乗る際のエスコートの方法とか知らねぇ。

 まぁ、うん。

 肩の力を抜こう。ルキアが「デートしよう」とか言い出したから、なんだか変に力が入ってしまっているんだ。意識するのはやめた方がいい。

 そうそう。

 ただのお出かけだ。お出かけ。そう考えよう。


「よいしょ。ふぅ……まったく、肩が凝る」


「どうかしたんですか?」


「ああ、領内の村からの報告書を確認していたのさ。例の……ザッハーク領からの避難民たちを受け入れた村だね。人数が多い分、報告書も多いのさ」


「はぁ……」


「まぁ、今のところは特に問題なく過ごせているらしいよ。問題など起こりようもないがね。彼らには奴隷紋を刻んであるわけだから、逆らうことなどできない」


 ふっ、とルキアが笑みを浮かべる。

 ザッハーク領からの避難民たちは現在、奴隷紋を刻まれてから強制労働に応じているそうだ。

 強制労働というと語弊があるが、言ってみれば村の一員として受け入れるにあたっても、最初から農地を与えるという形ではないらしい。村の者が持っている畑で作業をさせて、その代わりに出来上がった作物の一部を与える――そういう風に、小作人として雇われている形だそうだ。

 いずれは彼らの奴隷紋を解除し、村の一員として問題ないと認められたら、ルキアの方から戸籍を与えてやるとのことだが――。


「おっと、すまないねソル君」


「はい?」


「折角のデートだというのに、仕事の話なんてつまらないことを喋ってしまったよ」


「……」


 いや、俺とルキアの会話ってほとんど仕事のことばかりなんだけど。

 というか、ルキアと仕事以外の何を話せばいいんだろう。


「そ、その……今日は、どこに?」


「うん? ああ、街中のレストランさ。急遽予約をとったんだが、運の良いことに空いていた。父の代から、何度か行っているレストランだから、味は保証するとも」


「は、はぁ……」


「ああ、食べられないものがあれば、注文のときに言ってくれ。わたしに出すものは、ピーマンを抜きにするように常に言っている」


 子供かよ。

 思わずそう考えてしまったが、口には出さない。

 しかし、急遽の予約で運良く空いていたと言っているが、多分レストラン側はルキアの来店ということで、無理やりねじ込んだのだと思う。それこそ、何の関係もないただ夕食を楽しみに予約していた人が、キャンセルとかされてたらどうしよう。

 というか、父の代から何度か行っているレストランということは、侯爵家御用達のお店だということだ。俺、普段着なんだけど大丈夫だろうか。

 そんな悩みが、ぐるぐると頭の中を渦巻き続ける。


「服装は問題ないよ。ダリアは常に、多少の公式の場に出ても問題ない程度のフォーマルな服装を選んでくれている。きみが普段着にしているそれは、そのまま王宮に行っても問題ない」


「……心が読めるんですか?」


「きみの心が分かりやすいだけだよ」


「……」


 俺、そんなにも分かりやすいのだろうか。


「あと、運良く空いていたというのは本当だ。わたしも、わたしのせいで予約を取り消しになる人がいるのは困る。だから、そこは安心してくれていい」


「……マジで心読めるんですか?」


「実は内緒にしていたんだが、わたしは心を読む特殊能力を持っているんだよ」


 ふふん、と笑みを浮かべるルキア。

 冗談だとは思うけれど、本当にその能力を持っていそうなくらい鋭い。それこそルキアの人を見る目とか、本当に特殊能力なのだろうか。

 まぁ、俺が考えたところで仕方ないわけだが――。


「それで、ソル君は何か食べられないものはあるか?」


「あ、いえ、特には。大体何でも、美味しく食べられます」


「それはいいことだ。貴族というのは、好き嫌いが多くてね。わたしもさほど交友関係が広いわけではないが、好き嫌いのない人間に出会ったことがないんだよ」


「……そうなんですか?」


「当然さ。子供に嫌いなものを食べさせるのは、一般的に親の役目だ。だが、貴族家ではほとんどの場合、親ではなく側仕えの人間の役目になる」


 ルキアが、溜息交じりに続ける。


「そして側仕えの人間にとって、その子供は主人の子だ。嫌いなものを食べろと強く言えないし、無理強いすることもできない。嫌いだから食べない、と言えばそのまま下げられる。わたしもそうだが、そういう子供時代を送ってきたのさ」


「……」


「ソル君は、きっとご両親の教育が良かったのだろうね。わたしはそのせいで、今になってもピーマンをはじめとした緑の野菜が苦手なのさ」


「なるほど……」


 ルキアの言葉に、思わず感心してしまう。

 確かにそう言われると、納得のいく話だ。我儘を言っても誰も止めることができない環境というのは、成長に悪影響を及ぼすのだろう。

 

「だから、ソル君」


「はい」


「わたしたちの子供は、そんな我儘を言わない子に育てよう」


「……」


 ええと。

 ……これ、冗談だよな?

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