第81話 ジュード・ルウィン先輩

 かつて、俺は封印都市フィサエルの大結界の維持、管理をしていた。


 俺が就職したのは、二十歳そこそこの頃だったか。二十年もの間、ずっと大結界と向き合っていた。しかし維持管理部は俺も含めて五人という体制でやっていたから、特に問題もなく毎日、それなりに仕事をしていくことができていた。

 だが先代の都市長が病死し、ジーク・タラントンが新しい都市長として就任してから、大結界の維持管理部に対する風当たりが強くなった。

 予算は削減され、人員は次々と削られていった。十年前に一人解雇され、七年前に一人解雇され、五年前に一人解雇され、三年前に最後の相方だったカンナも解雇された。そして最後まで残り、帰宅することもできず頑張って維持管理を続けていた俺も、「引きこもりのおっさん」と罵られ解雇された。

 今となっては、思い出すだけで胸糞悪い記憶だ。

 だが――目の前にいる男性は、間違いなくその記憶にある人物。


 七年前に解雇された、俺の先輩――ジュード・ルウィン。


「む……きみたち、知り合いだったのか?」


「あ……え、ええ、ルキアさん。ジュード先輩は、昔一緒に大結界の維持管理をしていた、俺の先輩です」


「失礼いたしました、侯爵閣下」


「ああ、構わない。いや、世間というのは狭いものだな。まさかソル君の知り合いだとはね」


 ふっ、と笑みを浮かべるルキア。

 実際、俺の方が驚いている。ジュード先輩が今何してるかとか、全く知らなかったし。


「だが知り合いというならば、むしろ好都合だ。わたしから紹介する手間も省けるし、昔から一緒に仕事をしてきたならばやりやすいだろう」


「あ、は、はい。そうですね」


「だが、一応わたしの方から補足しておこう。この男……ジュード・ルウィンは、このたび侯爵家で雇い入れることになった。ラヴィアス式ノーマン大結界マークⅡの維持管理に、少しくらいは役立つかと思ってね」


「ええ、とても助かります」


 俺は心から、そう述べる。

 ジュード先輩は、俺よりも先に大結界の維持管理部に所属していた。そして就職したばかりの頃、何も分からない俺に色々教えてくれたのもジュード先輩だったのだ。

 今後、大結界の維持管理を任せるにあたって、ジュード先輩がいてくれるなら非常に心強い。


「侯爵閣下から、私よりも遥かに結界術に優れた男がいるとは聞いていたが……まさかソルのことだったとはな」


「そ、そんな、俺なんて……!」


「いや、私も大結界の本体を見せてもらったが……非常に素晴らしい出来だったよ。私の腕では、魔鉄鋼ミスリルに刻まれていた多重プロテクトは解析できなかった。それに加えて、自動抵抗システムも並列的に設置していたのにも驚いた。解析という形でも、外部からの衝撃という形でも、決して手を加えさせないという強い意志を感じたよ」


「――っ!」


 思わぬ言葉に、俺も目を見開く。

 確かに俺は、大結界の本体を守らなければならないと考えて、多重に防御の術式を設置した。魔術式の書き換え防止のためのダミー回路、起動を阻害させないための多重プロテクト、そして外部からの攻撃に対して自動的に抵抗を生じる防御術式――俺としては、並の魔術師では解除できない程度の仕様にしていたわけだが。

 まさか、ジュード先輩ですら難解なものを作っていたとは。


「ソルの下で働けるならば、これ以上の職場はない。もう大結界から離れて長いロートルだが、これからよろしく頼むよ」


「そんな、とんでもないです! ジュード先輩がいてくれるなら、本当に百人力ですから!」


「ははは……」


 ジュード先輩が浮かべるのは、苦笑。

 俺としては、割と本気で言っているのだけれど。


「ふむ」


 だが、そこで首を傾げていたのは、ルキアだった。

 何故か、その両目――真紅のそれを、爛々と光らせて。


「ソル君に聞くが」


「は、はい」


「彼は、それほど優れた結界師なのか? わたしは、ソル君の方が遥かに優れているものだと考えていたのだが」


「あ、いや、それは……」


 優れた結界師――そう、俺のことを評してくれるのは嬉しい。

 それに俺も、こと大結界に関しては自信を持っている。俺より大結界を知り尽くしている者はいないと、そう断言できるほどに。

 だが、こう……何て言えばいいんだろう。

 どう答えれば角が立たないか、そう考えていると――。


「私は、結界術に関しては並の人間ですよ」


「ジュード先輩!?」


「だが、事実だよソル。お前どころか、カンナよりも遥かに腕は悪いさ。同じ場所を同じように修復するにしても、私だとお前の三倍時間がかかる」


「うっ……」


「私は所詮、ソルより先に雇われていただけの先達に過ぎない。侯爵閣下、先にご自分で仰った通り、私よりもソルの方が遥かに優れた男ですよ」


 俺を、そう評価してくれるジュード先輩。

 だが俺が言いたいのは、そういうことじゃない。ジュード先輩より俺の方が結界に関して腕がいいかどうか――それは、全くの別問題だ。


「ふむ。ではやはり……」


「いえ、ルキアさん。少し……弁明させてください」


「ほう? どういうことかな」


「ジュード先輩より、俺の方が確かに……少しくらいは、腕が上かもしれません。ですが……ジュード先輩がいなければ、俺もカンナも一人前になっていません」


「……どういうことだ?」


「封印都市フィサエルの大結界維持管理部における、全てのマニュアルを作ったのはジュード先輩です。俺たちはそのマニュアルから勉強を行い、その上で自分の最適な魔術式の構築方法だったり、欠陥の発見方法だったり……そういったことを学んでいきました。それまでの『先輩のやっていることを見て覚えろ』という体制から、新人教育を大事にしていく体制を作り上げたのは、ジュード先輩なんです」


 魔術師というのは、秘匿主義だ。

 自分だけが知っていることに対して優位性を感じ、他者が知らないことを知っていることに対して優越感を覚える。そんな魔術師ばかりの職場において、自分だけが知っているノウハウというのは少なからずあったそうだ。

 そんな中でジュード先輩は、当時の先輩たちの仕事を見て覚え、一定のルーティンワークの部分を完全にマニュアル化した人物だ。ジュード先輩の次に就職した俺は、彼の作ったマニュアルをもとに勉強させてもらったおかげで、早く一人前になることができた。

 もしジュード先輩がいなければ、今でも分からない部分が多々あったかもしれない。


「ですから、尚更ジュード先輩がいてくれたら、百人力なんです。俺やカンナのような、腕だけの人間じゃなくて……ちゃんと、そういうことを考えてくれる人物が、いてくれるのが」


「なるほどな」


 俺の言葉に、ルキアは大きく溜息を吐いて。

 そして、自嘲するように笑った。


「わたしは、人を見る目を持っていると思っていたのだがな……どうやら、割と当てにならないようだよ」

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