第79話 決着

「さて……どうやら、向こうは解決してくれたようだ」


「みっともねぇ最期ですね。ま、この状況ならしゃーないかもしれねぇですが」


 ルキアの呟きに対して、シュレーマンがそう返す。

 半透明の結界――その向こうで行われた凶行は、ルキアの目論見通りだった。


 そもそもルキアがここに急いで来た理由は、大結界の本体そのものを守るためである。

 三万の兵が陽動だと考えた時点で、ルキアは頭の中で幾つかのシミュレートを行った。そのうち最も可能性が高いと考えたのが、三万の兵士で領境が混乱している間に、ある程度の手勢をノーマン領に送り込んでから、大結界の本体を押さえるというものだった。

 ノーマン領にとって、大結界の本体はまさしく生命線だ。

 簡単に持ち運べるものではないが、それでも大結界の本体は、地面に完全に固定しているというわけではない。何せここに持ってくるのも、馬車で持ってきたくらいだ。やろうと思えば、この場所から動かすことも容易だろう。

 だが動かした場合、大結界の照射している位置も同じく動いてしまう。旧ザッハーク領に僅かに食い込んだ、ノーマン領との領境に展開している大結界が、その位置を変えるということだ。こちらが何の対策も打たず、ただ大結界の本体を運ばれてしまった場合、ノーマン領は再び《魔境》の浸蝕という危機に陥ってしまう――そうルキアは考えて、まず大結界の本体が無事であるかどうかを確認に来たのである。

 結果としては、先回りをされていたわけだが。


「しかし、冷や冷やしましたねぇ……こっちの生命線が、向こうさんに握られてるってぇのは」


「全くだ。わたしも何度、肝が冷えたか分からんよ」


「しかし向こうさんは結局、何がしたかったんですかねぇ」


「さぁな。偽物だなんだと馬鹿にしておいて、解析して模造品を作ろうとしている愚か者だ。正直、わたしは非常識な人間の気持ちが分からん」


 ザッハーク侯には、彼なりの考えがあったのかもしれない。

 だが、その考えを聞くことはもうないだろうし、知ろうとも思わない。ルキアはそう結論付けて、大きな溜息と共に目の前――矢狭間として開いている穴へ近付き、声を発した。


「ご苦労だった、諸君。わたしはきみたちの英断に、心から賞賛を送ろう。だが全員、まずは武器を捨てて両腕を頭の後ろに回し、膝をつきたまえ」


「……」


 ルキアの声に対して、結界の向こうにいる兵士――それぞれが剣を捨てて膝をつき、両手を頭の後ろに回した。

 魔術師も同じく、持っている武器こそないものの、変わらない格好で服従を示す。

 ただ一人――頭から血を流して倒れ伏している、ザッハーク候以外は。


「よろしい。では、これより結界を解こう」


「はぁ。ようやくお役目終了ですかい」


 シュレーマンが、大きな溜息と共にそう言う。

 何故なら現在進行形で、ルキアはシュレーマンに肩車をされている状況だからだ。


「矢狭間の位置くらい、最初から調整しておいてくださいよ」


「仕方ないだろう。わたしも色々苦労して、ようやく届く位置まで調整できたんだ」


「いい年した女が、おっさんに肩車されてちゃ威厳も形無しですわ」


 ルキアが、そんなシュレーマンの言葉に苦笑した。

 そもそもルキアの持ってきていた小型結界は、ソルの作ったもの――試作品として、模擬戦で使用したものだ。ソルから一応、「こっちは一応、全部の調整が終わっていますんで」と言われて譲り受けた。

 その矢狭間は小型結界そのものに一つしかなく、しかも元々は櫓を使用して射撃を行っていたものであるため、高さを調整するのに物凄く苦労したのである。

 結果として、ようやく届く位置までやってきたところで、シュレーマンに肩車をさせたのだ。


「うむ。シュレーマン、わたしのような見目麗しい若い女を肩に乗せることができたことを、誇りに思うがいい」


「へいへい」


 シュレーマンがゆっくりと屈み、ルキアはそこから飛び降りる。

 それから彼我を隔てる半透明の壁――小型結界を、ようやく停止させた。


「ノーマン侯っ!」


 壁が消え去った瞬間に、兵士の一人がそう叫ぶ。


「ど、どうか、我々は……! わ、我々は、ザッハーク侯の命令によって仕方なく、ここに……!」


「ああ、そう喚く必要はない」


 ルキアはゆっくりと歩みを進め、叫んだ兵士――その足元に転がるザッハーク侯の屍へと目をやる。

 不意打ちで頭から剣を落とされたザッハーク侯は、目を見開いたままで絶命していた。頭の骨は砕け、脳漿の一部が露出している。誰がどう見ても、死んでいると判断できるだろう。

 そこまで確認して、ルキアは小さく溜息を吐いた。


「わたしは言ったはずだ。作戦行動において、責任が生じるのはそれを命じた者だけであると。きみたちは、あくまでザッハーク侯の命令に従っただけだ」


「で、ではっ……!」


「勿論、無罪放免としよう。王都へ戻るなり、故郷へ帰るなり自由にしたまえ。もし行く場所がないと言うならば、ノーマン侯爵家で面倒を見よう。ただし、少々事務手続きが必要になるがな」


「あ、ありがとうございますっ!」


「ありがとうございますっ!」


 両手を頭の後ろに回したままで、兵士が大きく頭を下げる。

 シュレーマンが隣で「甘いですね」とでも言いそうな顔をしていたが、仕方ない。実際には私有地への不法侵入、ルキアの私兵を殺したこと――そのあたりを罪に問いたいところだが、既に約束してしまっていることなのだ。

 そして、一度口に出した約束を反故にするほど、ルキアは不誠実な貴族ではない。


「では、帰りたい者はそのまま去るといい。ただし、領境までは私兵が共に行く。きみたちは武器を全て、この場に置いたままだ。良いな」


「はっ!」


「ではシュレーマン、あとは任せる」


 ルキアはそう言って、さらに歩みを進める。

 兵士たちはそれぞれ安堵した表情で立ち上がり、各々に両手を挙げて、抵抗の意志がないことを示していた。

 そんな中で、ルキアは最奥にいた三人――魔術師の一人に。


「さて、きみ」


「へ……?」


「わたしと共に来るといい。仕事を紹介してやろう」


「……な、何故? え? わ、私、だけですか……?」


「そうだ」


 ただ、一人だけ。

 ルキアの真紅の双眸が映し出した才能――『結界術レベル1』の持ち主だった壮年の男に対しては、そう自らスカウトを行った。

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