第74話 仕事は進んでいく

「敵軍は現状、明後日の朝に到着する見通しだ」


「……そう、ですか」


 寝ずの仕事、二日目の朝。

 ルキアから敵軍の襲来を告げられて以降、俺は一切眠ることなく、ひたすらにヨハン親方の仕上げてくれた魔鉄鋼ミスリルへと魔術式を刻み続けた。

 告げられた、三日という期間――それは、どうやら正しかったらしい。どうやら、進軍速度を速めることなくやってきているようだ。


「ひとまず、領都付近で迎え撃つ姿勢だ。領境から領都までの農村には、避難を指示している。さすがに、向こうも無傷で貰い受けるつもりだろう領地だ。焼き払ったりするような、

愚かな真似はしないだろう」


「分かりました」


「現在、布陣を予定している場所は道がやや狭まっている部分だ。迂回することも難しい。そこで敵を迎え撃つことができれば、小型結界による城塞で敵軍を防ぐことができるだろう。既に、そのあたりの作戦もシュレーマンと打ち合わせ済みだ」


 俺はなんとなく、頭の中に描いた地図の中に目的の場所を探す。

 王都からノーマン領に抜ける街道は、左右に山を置く場所も珍しくない。恐らく、そのあたりのうち一つに当たりをつけたのだと思う。

 だが隘路というほど細くもなく、塞ぐには相当数の小型結界が必要になるだろう。


「ゆえに……きみの小型結界が、間に合うか否かだ。計算上は、小型結界が五十枚もあれば完全に塞ぐことができるだろう」


「承知いたしました。今、急ぎで百作っています」


「……きみには、本当に負担をかけて申し訳ないと思っているよ。ことここに至るまで対策を打ち出すことができなかったのは、完全にわたしの失態だ」


「いえ、そんなことは……」


 ルキアの言葉に、思わず俺は顔を上げる。

 先程まで、ずっと魔鉄鋼ミスリルと見合っていたのだ。上司から通達がありながらにして、不躾な態度だとは思う。だが、集中を切らせたくなかったのだ。

 だが、顔を上げた俺の目に映ったのは――どこか泣きそうに見える、少女のようなルキアの姿だった。


「いいや、わたしの失態だ。王都がこれほど早く動いてくることも予想できなかった上に、きみの小型結界の有用性について、頭の固い部下に言い聞かせることもできなかった。まだ時間に余裕があると考えて、実際の効果を確認する機会を作ろうと考えたのが間違いだったよ」


「それは……」


「その結果、こうして部下に……将来の夫に、無理をさせているのだ。まったく……我ながらひどい失態だよ」


 ふっ、と自嘲するようにルキアが笑みを浮かべる。

 その様子は、いつものルキアだった。先程まで、まるで力ない少女のように見えたのは何故だろう。俺の見間違いだったのだろうか。


「失礼します、ソル様」


「ん……ああ、ダリアさん」


「ソル様に、来客が……」


 そこで、部屋の中にダリアが入ってきた。

 ちなみに今、カンナは仮眠中である。さすがにカンナも二徹は体にこたえるらしく、「ちょっと仮眠してくるっす……」と告げて既に三時間ほど戻ってきていない。そろそろ叩き起こすべきだろうか。

 だがそこで、ダリアの後ろにいた人影――それが、楽しそうな笑みを浮かべる。


「やぁ、ソル・ラヴィアス」


「あっ……」


「注文の品を届けに来たよ。いやはや、作ってみせたぼくが最も素晴らしいことには変わりないが、きみの持つ運もなかなかのものだと思うよ。素晴らしい月夜が二日も続いてくれたから、月の輝きが十分に補充できた。まぁ、この大天才に二日も寝ずの仕事をさせたことは、しっかり記憶しておいてもらいたいところだがね」


「グラス!」


 ダリアの後ろにいたのは、錬金術師グラス。

 少女のような細腕に抱えているのは、紙でくるんだ四角い塊だ。そして、グラスの言った『注文の品』――当然、妖精鏡フェアリーミラー以外にない。


「二日間で妖精鏡フェアリーミラーを百、きっちりここにある。お代は今のところツケにしておくよ。そのうち払ってくれたまえ。無論、体で払うと言うならば全身をホルマリン漬けにしてから髪の毛から爪先まで余すことなく触媒にしてあげるが。ははは、ぼくとしたことがツケにしておくホルマリン漬けとは上手いことを言うものだよ」


「……ありがとう、グラス。そこに置いて帰ってくれ」


「実に冷たいね。ぼくだって割と必死に仕事をしてきたのだから、労いの言葉の一つや二つ、それに加えてぼくの素晴らしさを賞賛する言葉の百や二百くらいは出ないものかい?」


「お疲れ」


 とりあえず、労いの言葉を一つ投げておいた。

 今、俺も忙しいんだよ。お前の話に付き合ってる時間ねぇんだよ。


「まったく、まぁいい。ああそうだ。ソル・ラヴィアス、一つきみに相談があるのだよ」


「相談? 一体どうしたんだ?」


「行きがけにヨハンのところに寄ってきたんだが、彼も寝ずに仕事を続けているらしくてね。ソル・ラヴィアスに会ったら、一発殴っておけと言われたのだけれど」


「今度、親方にいい酒を持っていくと伝えてくれ」


「承った」


 確かに無茶な仕事を発注したのは俺だが、殴られるのは嫌だ。

 ダリアに今度、酒屋を紹介してもらおう。とりあえずそこで、一番高いものを持っていけば殴られることもあるまい。

 しかし、そんな俺とグラスのやり取りに対して、ルキアが片眉を上げた。


「ふむ。妖精鏡フェアリーミラーを手に入れることができたと話には聞いていたが、そちらのお嬢さんが制作者ということかな」


「ああ、そうだよ。ぼくが天才錬金術師エリザベート・グラスだ」


「ソル君の発注は、わたしが依頼したものだ。代金は近々、わたしから支払おう。請求書の方は、侯爵家宛にしておいてくれ」


「なるほど。ああ、素晴らしい。パトロンがそう言ってくれるのならば、ぼくも心から安心してこれから就寝できるというものだよソル・ラヴィアス」


「ああ、そうか。お休み、グラス」


 グラスの方に目を向けることなく、俺は再び仕事に戻る。

 妖精鏡フェアリーミラーの作業に入れるのは、明日の朝を想定していた。予定よりも早く作業に入れるのならば、完成も見えてきたというものだ。

 多少の眠気はあるが、終わりが見えてきたら気合いで堪えることができる。


「ソル・ラヴィアス。約束を違えるのは、人として最も不出来なことだよ」


「は?」


「ぼくのことは何と呼べと言った?」


「……」


 ああ、そういえばそんな約束をしていた。

 別に呼び方くらい、何でもいいと思うのだけれど。


「……悪かった、リズ。早めに納品してきてくれて助かったよ。ありがとう」


「ふん。及第点には程遠いが、まぁ良しとしておこう。ではぼくは帰って休ませてもらう。次の依頼は、もう少しぼくを気遣ったものだと期待しておくことにしよう」


「ああ。お休み、リズ」


 グラス――リズが、そう言って背を向ける。

 その背中は全力で「眠い!」と語っていた。まぁ、普通はそうだろう。コーヒーだけで二徹をなんとか堪えている俺の方がおかしいのだと思う。

 さて、では次の作業を――。


「ふむ……リズ、ねぇ」


「リズ、ですか……」


「……」


 ただ。

 後ろから、なんとなく刺さるような視線を向けるのはやめていただけませんか、お二方。

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