第66話 模擬戦、開幕

「さて、ようやく模擬戦だな」


 三日後。

 オックス・シュレーマンは部下を率いて、街外れにある闘技場にいた。

 かつてネードラント王国で奴隷制が横行していた頃、拳闘奴隷を戦わせていたとされる闘技場だ。当時はどちらかが死ぬまで戦う奴隷たちを見て、どちらが勝利するか賭け、自分の賭けた奴隷を応援するのが娯楽の一つだったらしい。

 現在、王国で奴隷制は廃止されているため、当時のような血なまぐさい娯楽は失われている。そのため、闘技場自体が滅多に使われず、時折運動に興じる者たちに貸し出している程度だ。


「隊長。俺ら、結局どうすりゃいいんですかい?」


「なぁに。突っ立ってりゃ終わるさ」


「ま、大した観客もいませんしね」


 そんな闘技場に、オックスは三十人の精鋭を集めた。

 元より三十人という指定は、この闘技場で戦うのに丁度いいとソルが判断したからだろう。百人ずつになればさすがに、ここでは狭すぎる。

 もっとも。

 本日の模擬戦は、領民に対して一切告知されていない。あくまで今日一日、侯爵家が使うという形にしているだけだ。そのため観客は、ルキアをはじめとした侯爵家の人間が数人だけである。

 観客席がやたら広いせいか、どこか物寂しくもあった。


「向こうは、どう動きますかね」


「どうだろうな。ま、大抵予想はつくが……」


「あ、来ましたよ」


 オックスは副官の問いにそう答えながら、逆方の入り口を見やる。

 そこにいたのはソルをはじめとした、三十人の魔術師たち――それぞれ、手に弓と矢を持っている状態だ。

 そして、それはオックスの予想通りでもある。

 恐らく彼らは、弓矢で武装してくるだろうと想定していた。


「やっぱりな……」


「隊長の言っていた通りですね……さすがです、隊長」


「だが……ありゃ、やぐらか?」


 魔術師たちが入り口から運んできたのは、木材で組まれた何か――高く作られたそれは、最上に数人立つことのできる空間がある。

 それは、射手を高い位置に配置するための、簡素な櫓だった。

 なるほど、とオックスは笑みを浮かべる。


「……櫓までは予想外だが、どっちにしろ弓矢だ。向こうさんは、結界を張っている間は攻撃できねぇ。だから向こうさんは先手で斉射をしてきて、斉射が終わったら結界を張る、ってところだろ」


 オックスは、どうすれば小型結界を用いて戦うことができるかを考えた。

 その上で出てきた、最も効率的に使う方法――それが、弓矢隊との連携である。

 近接戦闘能力に乏しい弓矢隊に、まず一斉射撃を行わせる。その後、全ての攻撃を防ぐ壁として結界を生み出し、こちら側からのあらゆる攻撃を防ぐ。こちらの兵士が結界まで迫れば、その後弓矢隊は後退して距離を取り、再び一斉射撃の準備を行う――その繰り返しだ。

 弓矢隊はじわじわと後退することになるが、一方的に攻撃を続けることができるだろう。


「後退し続けながら、斉射を続ける……確かに、こちらの被害なく戦うことのできる手段ではありますが」


「逆に言や……向こうさんが結界を解除すれば、斉射が来るってことだ。これほど簡単な目印もねぇな。全員、向こうさんの結界が張られていない間は、盾を真上にして弓矢防御の姿勢をとれ」


「うす!」


 端的に、オックスはそう命令を下す。

 一斉射撃が脅威であるのは、敵歩兵隊と連携を行うからだ。前を防御すれば上からの矢を防ぐことができず、上を防御すれば前からの槍を防ぐことができない。その連携により、敵は防御できない上からの攻撃を当てることができるのだ。

 だが、これが一斉射撃しか来ないと分かっていれば、話が違う。それこそ、ずっと盾を真上に翳していればいいだけの話だ。


「何か奇抜な策でも持ってくるかと思ってたが、気にする必要もなさそうだな」


「そうですね。正直、拍子抜けですよ」


「ほら早速、斉射の準備に入ったぞ」


 魔術師たちがそれぞれ、矢を弓に番えているのが分かる。

 しかしやはり、素人ばかりなのかその手は覚束ない。そして、そんな効率の悪い一斉射撃を待ってやるほど、オックスの率いる部隊は優しくないのだ。

 向こうに弓矢しか攻撃手段がないなら、それほど与しやすいものはない。


「よし! 全軍、盾を真上に翳して突撃用意!」


「了解!!」


 オックスの叫びと共に、激しく銅鑼の鳴る音。

 模擬戦の始まる合図――それが鳴り響いたと共に、オックスは先頭で駆け出した。向こうは熟練の弓手というわけでもなく、弓隊として正式な訓練を受けているわけでもない。それこそ、全員の息を合わせて一斉射撃を放たれる前に、肉迫する自信があった。

 仮に放たれてきたとしても、それは真上に翳した盾で防御できる――。


「斉射! 放てぇっ!」


「おうっ!」


 魔術師たちが、ソルの言葉と共に一斉に矢を放ってくる。

 雨のように降ってくる、三十本の矢――しかし、それはオックスたちが傘のように翳している盾へとかん、かん、と当たるだけだ。

 そして魔術師たちの前面へと、半透明の壁――結界が現れる。


「ふん……あんた、やっぱり戦闘に関しちゃ素人だよ、ソルさん」


 弓隊による一斉射撃――それは、誰でも思いつくだろう。

 その上で、後退を続ければ終始一方的に矢を放つことができると、そう考えるのも当然だ。結界という圧倒的な防御力がある以上、わざわざ白兵戦を行うべき理由が一つもない。

 だが、この場所――闘技場という狭い空間において、『後退を続ける』ことはそもそもできない。後退すれば壁に当たり、そこで止まってしまうのが関の山だ。

 そしてこちら側の三十人はやや広めに陣形をとっており、横からの回り込みに対しても即座に反応できるようにしている。


「結界まで到着! 全軍停止!」


「うす!」


 オックスの号令と共に、三十人の兵士が止まる。

 手で触れることができるほど、近い位置に存在する結界――この結界を破壊しようと思えば、それこそ攻城兵器が必要になるだろう。《魔境》の魔物たちの攻撃に対してもびくともしないこれは、もしかすると攻城兵器さえも防ぎきるかもしれないが。


「さぁて……これで終わりだな」


 にやり、とオックスは笑みを浮かべた。

 ここからさらに一斉射撃を行おうとすれば、結界を解除せざるをえない。だが結界を解除した瞬間、オックスたちは白兵戦のために進軍を行う。そしてオックスたちが進軍を行えば、結界による防御など何の意味もなくなるだろう。


 だから、言ったのだ。

 突っ立ってりゃ終わる、と。

 向こうに攻撃手段がなく、こちらに結界破壊手段がない以上、そこからは睨み合いだけなのだから。


「結界が解除されたら、進軍だ。それまで待機……」


 そう、オックスが兵へと告げた、次の瞬間。


「ぎゃあっ!」


「ん?」


 兵士の一人が、そう叫び声を上げるのが分かった。

 そして胸を押さえて蹲ると共に、からん、と矢が一本転がる。


「え……?」


「隊長! 矢が放たれました!」


「何故だ!? 向こうは結界が……」


「ぐはあっ!」


 ひゅんっ、と風を切る音と共に、兵士の一人が倒れる。

 あまりにも意味が分からない状況に、オックスは目を見開き、結界の向こうを見た。

 それは、聳える半透明の壁。

 されど――その極めて一部だけ、完全なる透明。

 そこから見えているのは、鏃を外した矢の先端だ。


矢狭間やざま……だと!?」


 矢狭間。

 それは城壁に設置されている、矢を射るための穴のことだ。射手からは戦場を広く見ることができ、しかし敵から射かけるにはあまりにも狭すぎる穴。

 その穴が――まさに彼らの用意した櫓の最上、そこにあった。


「弓矢防御! 全員、矢に警戒しろ!」


「は、はいっ!」


「まさか、そんな手段で……!」


 オックスは、驚愕に目を見開くことしかできない。

 方法は分からない。だがソルは、小型結界に極めて小さな穴を開けたのだ。射手が弓矢で敵を射ることのできる、ぎりぎりの穴を。

 だが、その効果は覿面。


 ただ、突っ立っているだけで良かった戦いは。

 向こうから一方的に矢を射かけられる――そんな圧倒的不利な戦いへと、変わった。

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