第67話 ソル、悩む

 時は僅かに遡る。


 俺はどのように勝つかを聞いてきたルキアに対して、「ふっ。当日を楽しみにしていてください。必ず勝ちます」とかドヤ顔で、とりあえず誤魔化しておいた。

 何せルキアは、俺の上司だ。とてもフレンドリーでとても親しみやすいが、上司である。つまり、俺の生殺与奪の権利を持っていると言って過言ではない。俺のことを使えない奴だと判断すれば、容赦なく解雇を告げられるだろう。そうなれば、俺はカムバック無職である。

 結果として。

 俺は何の自信もなく、何の根拠もなく、ドヤ顔で言ってしまった。


「馬鹿なんすか、先輩」


 それを、帰宅した部屋で何故か寛いでいた二人――カンナとアンドレ君に告げた結果。

 帰ってきた言葉は、そんなカンナの冷たい一言だけだった。


「いや……まぁ、三日あるし、何か思いつくかと思って……」


「……それは、さすがに擁護できませんよ、ソルさん」


「……」


「そもそも、侯爵閣下の言うこと、その通りっすもん。結界に攻撃性能はないっす。んで、こっちからの攻撃も一切遮断するっす。そんな状況でどうやって勝つんすか」


「……」


 カンナが端的に、そう現状を説明してくれた。

 まさしくカンナの言うとおりだ。小型結界には攻撃性能がないし、全ての攻撃を内側からも外側からも遮断する。つまり、こちらが結界を展開した瞬間に、あらゆる攻撃が封じられるということだ。

 つまり、こちら側からできる攻撃は――。


「こちらが勝利する方法としては……向こうが迫ってくる前に、攻撃魔術を一斉に放つ、ですかね。三十人の一斉攻撃なら、かなりの威力が出せると思いますけど」


「……攻撃魔術、禁止なんだよ」


「そんな約束をした先輩が馬鹿っす」


「……ぐぅ」


 ぐぅの音も出ない正論だ。ぐぅって言っちゃったけど。

 そもそも魔術師は、遠距離攻撃こそがその役割だ。わざわざその役割を、俺は自ら封じているわけである。カンナに馬鹿と言われるのも当然だろう。


「そもそも、勝算があったんすか?」


「……小型結界を展開して、そのまま前進すればいいと思ってたんだよ。向こうからすれば、壁が迫ってくるようなものだろ」


「『うわー、壁が迫ってくるー』をやりたかったんすか。でも、模擬戦の場所って闘技場すよね? 円形の場所で壁が迫ってきても、別に押し潰されることはないっすね」


「……そういうことだ」


 これについては、俺のリサーチ不足というか予想外のことだった。

 模擬戦の場所は恐らく、平野だろうと考えていたのだ。だから小型結界を展開して、全員でひたすら前進して、カンナの言うように『うわー、壁が迫ってくるー』状態にしたかったわけである。

 だが、模擬戦が行われるのは闘技場――円形をしている狭い空間だ。そして直線でしか出すことのできない小型結界だと、壁に向けて押し潰すということができない。


「じゃ、どうするんすか」


「……だからこうして、知恵を求めてんだよ」


「そんなこと言われても……いきなり考えろなんて無理な話っすよ」


「確かに……難しい話ですね。小型結界が前方に壁を出現させることしかできない以上、戦略は非常に限られるものとなりますし……」


「むぅ……」


 カンナ、アンドレ君がそれぞれ腕を組んで悩む。

 俺も帰り道で必死になって考えていたけれど、特に何も思い浮かばなかった。そもそも俺の仕事って、大結界の維持管理修復だけだったから、戦いの知識とか何もないし。


「先輩、結界に穴を開けることはできないんすか?」


「……結界に穴?」


「そっす。玻璃の板に小さい穴を開けるっす。そうすれば、めっちゃ小さい穴からこっちの攻撃が届くじゃないすか」


「うぅん……」


 カンナの提案に、俺は眉を寄せる。

 小型結界の根幹となる玻璃の板に、小さな穴を開ける――それにより、照射した側の結界部分にも穴が開く。その考えは、間違っていない。大結界で言うならば、百六十あるうちの一つだけ玻璃を装着しなければ、その部分に結界が生じないことと同じ理屈だ。

 そして、穴を開く部分と魔術式が干渉しなければ、確かに可能ではあるけれど――。


「……それは、俺も考えた。だが、難しい」


「難しいすか」


「玻璃は、下手な加工をすると全体が割れちまう素材だ。大結界として照射したとき、小さな穴になるような繊細な加工は難しい。それに、十枚重ねにすると厚みも出てくるから、その全部に寸分違わぬ穴を開けるっていうのは……職人でも、厳しいらしい」


「……そう、すか」


 カンナの提案は、俺もちょっと前に考えたことである。

 照射する結界を城壁に見立てて、矢挾間を作る方法だ。そうすればこちらは結界の内側で完全なる防御ができ、矢狭間から結界の向こうを攻撃することができるだろう。さらに城壁とは異なり、結界は半透明であるから、矢狭間から向こうの景色も十分見ることができるという寸法だ。

 だが、それを街にいる玻璃職人に聞いたところ、「無理だな」と一蹴された。そもそも玻璃に穴を開けると、その部分から劣化が激しくなってしまうらしい。


「はぁ……そうなるとやっぱり、妖精鏡フェアリーミラーが欲しいっすねぇ」


「……ああ」


「いっそのこと、決死隊でも編制して大結界の向こうに行かせて、フィサエルの古代遺物アーティファクトでも回収させたらどうすか? 魔鉄鋼ミスリル不足も解決するっすよ」


「その方がいいかもなぁ……」


 だが、どっちにしろ当日まで、もう三日しかない状況だ。

 フィサエルへの決死隊を編制するにしても、三日で出立して戻ってくるのはさすがに不可能だろう。


「うぅん……」


「失礼します、ソル様」


 そこで唐突に扉が開き、入ってきたのはダリアだった。

 ダリアは基本的に俺と共に行動しているが、今日はただルキアに説明をしに行くだけということで、別邸の方で留守番だったのだ。「普段ナタリーに任せてばかりなので、今日は私も掃除を行います」とのことだった。

 わざわざ、お茶でも淹れてくれたのだろうか。


「ソル様、先程、門兵の方からこちらを預かりまして」


「……へ?」


 しかしダリアはお茶の用意など、全くしておらず。

 代わりにその手に、布にくるまれた何かを持っていた。


「これを、ソル様にお渡しするようにと……」


「一体……?」


「門兵は、よく分からないと言っていましたが……ご確認ください」


 そう、ダリアが包まれている布を取り。

 その掌の上に、ちょこんと乗せられたのは――透明の板。


「――っ!?」


 玻璃よりも透明度に優れ、しかし遥かに薄い素材。

 それを見た瞬間に、体に震えが走った。

 まるで、この状況を打破するためだけに現れたかのようなそれは。

 まさしく、俺の持っている大結界の欠片――それに使われている素材と、瓜二つの。


 妖精鏡フェアリーミラー――。

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