第65話 閑話:侯爵閣下と私兵団長
ルキア・フォン・ノーマンは忙しい。
広大なノーマン領を治める彼女は、この地における唯一の権力者だ。
勿論、それぞれの村には村長がいるし、それぞれの町には町長がいる。基本的な業務あたりは彼らに任せている部分もあるけれど、どこまで委任するかを決めるのもまたルキアの仕事である。そのあたり、相談を受けては指示を与えるのも毎日のことだ。
そうしているうちに、身についたのが水平思考である。
手元で書類を捌きながら、頭で別のことを考えつつ、意見を求めに来た者に対して的確な指示を返す――それができるようになったのは、自然の摂理だったのかもしれない。
「うむ。それでは……シュレーマン。例の模擬戦については、三日後という形で異存ないな」
「ええ。構いませんよ」
ソルから完成した小型結界、ならびにそれを設置する革鎧を見せられてすぐに、ルキアは私兵団の団長であるオックス・シュレーマンを呼びつけた。
オックス自身は、かつて傭兵団の団長を務めていた人物である。しかし大陸から戦乱の気配が消え、各国が小康状態に落ち着いたところで、ルキアが雇い入れたのだ。
戦時中は使い捨てにできる、僅かな金で死地に送ることのできる便利な傭兵だが、戦いがなくなったとなれば真っ先に職を失うのも彼らだ。そして、そういった連中を放っておくと、どうしても野盗に落ちることもある。それを懸念して、先回りしてルキアが声をかけたのだ。
オックス自身もまた才覚の持ち主であり、『鼓舞レベル1』を持つ人材だったことも、その理由の一つである。このスキルは、純粋に集団戦闘において部下の士気を高めるという効果のあるものだ。
もっとも、長きにわたって傭兵団の団長を務めていたからか、多少頭の固いところはあるけれど。
「ふむ……シュレーマン。わたしからも一応伝えておくが、ソル君は小型の結界を用意しているぞ」
「ええ、伺っております。目の前に、例の結界を出すことができるものだとか」
「そうだ。きみもザッハーク領との境界に設置した、ラヴィアス式新型ノーマン大結界マークⅡの強固さは確認しているだろう」
「ええ、勿論です」
ルキアの言葉に、オックスは頷く。
かつて封印都市に存在していたものの、無知な都市長の暴挙によって管理する者がいなくなり、崩壊した大結界――それが押しとどめていたのは、かの《魔境》に存在する恐るべき魔物たちである。
領境で避難民たちの誘導を行い、その後も治安維持に努めていたオックスたち私兵団は、その強固な大結界を確認していることだろう。
「ふむ。シュレーマン」
「はい、ルキア様」
「きみは大結界の強固さを確認し、その上で恐らく破ることができないだろうことを分かって、それを承知の上でソル君に戦いを挑むということか?」
「……」
ルキアは、目を細めてオックスを見据える。
元よりルキアは、この模擬戦に対して反対しているわけではない。だが正直、ルキアは「やるだけ無駄」だと思っていた。
ソルの技量は誰もが理解しているし、彼が作る小型結界なのだから、その威力も理解していることだろう。傭兵がどれほど集まって攻撃したところで、ソルの結界が破壊されるわけがないのだ。
もしも傭兵の攻撃程度で破壊される代物ならば、ルキアも現在展開している大結界の状態について確認を強める必要があるだろう。
現在に至ってもそれをしていない理由は、ソルに対する信頼に他ならない。
「はぁ……まぁ、部下にも似たようなことを言われましたがね」
「そうなのかい?」
「ええ。例の模擬戦をやるって話は、一応部下に伝えたんですよ。そのとき、ソルさんの作った小型結界を向こうは使ってくるだろうって話をしたら、絶対に勝てるわけないじゃないですか、って熱弁されましてね」
「うむ……まぁ、わたしも同意見だ。傭兵の攻撃程度で、壊れるほどやわなものではないよ。もしもきみたちの攻撃で壊れた場合、わたしは大結界の管理担当を他の者に任せることも辞さない」
「ただ、あっしには思い浮かばないんですよ。あのとんでもねぇ結界を目の前に出して、敵を倒す方法ってのが」
「……」
オックスの言葉に、ルキアは眉を上げる。
それは、ルキアも同じくソルへと問いかけた言葉――。
「ただ敵の進軍を阻むだけなら、確かに有用だと思います。ですが、あの結界に殺傷能力はありません。やってくる敵の前に出して、こっちに向かわせないための策にしか使えないんすわ」
「……ふむ」
「仮にどこかと戦争になったとき、私兵団が全員で小型結界を使って目の前に大結界モドキみてぇなのを展開したとしても、それで終わりです。敵の兵は何も傷ついちゃいねぇし、敵の戦力は一つも減っちゃいない。向こうからの攻撃を全部弾く代わりに、こちら側から一つも攻撃できねぇ装備なんて、欠陥品ですよ」
「……」
ルキアも同じく、ソルに問いかけた。
小型結界を使って結界を展開し、全ての攻撃を弾く壁を作り出したとして、どう勝利するつもりなのかと。
「あっしも、王都の動きがキナ臭ぇって話は聞いてます」
「……そうか、知っていたか」
「そりゃ、滅多に来ねぇ王都からの使者が来たって話ですからね。それに……どうも王都の方に、ザッハーク侯爵が逃げ延びてるって話を聞きました。あっしは政治に関しちゃ素人ですが、戦争の気配ってのには敏感なんですよ」
「ああ……まだ交渉段階ではあるが、最終的には武力で脅してくる可能性はある。さすがに王都とノーマン領では、軍事力は天地の差だ。それこそ、王都常備軍が何万と押し寄せてくる可能性もあるだろう」
「ええ。そのとき、例の小型結界が役に立つかって話ですが……まぁ、進軍を阻むくれぇしか役に立たないでしょうね。んでもって、いつまでも王都とノーマン領の間を塞いでおくわけにもいかないでしょう」
「……ああ、まったくもってその通りだ」
はぁ、とルキアは溜息を吐く。
ザッハーク侯爵が王都に逃げ延びているという話は、ルキアも知っていた。権謀術数の渦巻く貴族社会において、情報は何より必要なものである。ルキアとて、王都に自分の手の者を送っていないわけではない。
そんな中で、ザッハーク侯爵が何やら企んでいること。そして、ネードラント王国の南を占有する大貴族の後ろ盾を得て、傀儡となっている王を動かしているという話も聞いた。
近々、仮に王都と戦争という形になってしまえば――それこそ、ソルにも告げた『独立』という言葉も現実のものとなってしまう。
「だが、シュレーマン。きみは一つ勘違いをしているよ」
「おや……どういうことですかい?」
「きみは、小型結界で防御するだけでは勝利することができないと言っていたが……ソル君には、既にそのビジョンがあるようだ。わたしも同じことを問うたが、彼は『当日を楽しみにしていてください。必ず勝ちます』と言っていたからね」
「へぇ。それじゃ、どういう手でくるか楽しみにしていましょうか」
くくっ、とオックスが笑みを浮かべる。
そして同じく、ルキアも頷いた。
ソルが自信満々に、『必ず勝ちます』と言ったのだ。恐らく、その勝利は間違いないだろうから――。
ルキアは知らない。
ソルがルキアの「どうやって勝利するのか」という問いかけに対し、全くそれを考えていなかった結果。
とりあえずその場を誤魔化すため、言っただけだということを。
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