第56話 ルキアの怒り
「まぁ、掛けたまえ。ダリアも、今はソル君の側仕えという立場だ。ソル君の隣に座ってくれて構わない」
「は、はぁ……」
「ありがとうございます、ルキア様」
侯爵家の客間。
そこまで無言のルキアの背中についてきて、そのまま座ることを促された。そして、当然のようにソファの後ろに回り込もうとしたダリアに対しても、そう着席を許す。
それからルキアはソファに腰掛け、小さく溜息を吐いてから、近くに控えていたメイドに声を掛けた。
「レベッカ、お茶を用意してくれ。わたしの分とソル君の分、それにダリアの分だ」
「承知いたしました、ルキア様」
「ダリアが別邸に配属になってから、きみのお茶の腕が上がったことを彼女に示すといい。ただしわたしの合格点は甘めだが、ダリアの合格点は厳しいぞ」
「はい。覚悟しておきます」
ルキアの命令に対して、そう頭を下げて客間から出て行くメイド――レベッカというらしいが、今のところ別邸に引きこもってばかりの俺は、本邸のメイドは名前も知らない女性が多い。俺が本邸勤めの人間で分かるのは、家宰のダニエルさんだけである。そのダニエルさんも、最近ようやく名前を覚えたのだ。
そしてルキアが、大きく溜息を吐く。
「さて、何から話すべきかな」
俺に対しても、ダリアに対しても、寛大に座るように促す。
メイドにお茶を淹れるよう命じて、そこに軽い冗談も交えていながら。
その目は、一切笑っていない。
むしろ、その内側に怒りを溜め込んでいるかのようにすら見える。いつも余裕綽々といった様子で笑みを浮かべている、ルキアの様子からは想像できないほど。
鬼気迫る、とはこういう表情のことを言うのだろうか。
「ソル君。きみは王国の法に明るいかな?」
「……い、いえ。ほとんど、知りません」
「では、そこから説明しよう。まぁ、これを知っておくべきは専門家か施政者くらいのものだ。先程やってきた使者だが……『災害・国難時特別法』に基づいた要請をしてきたのだよ」
「……『災害・国難時特別法』?」
「うむ」
とりあえずそう復唱してみるが、当然俺に聞き覚えはない。
ルキアもそれを分かってか、肩をすくめて説明を始めた。
「まずこの国……ネードラント王国だが、基本的に王家が直轄で支配しているのは、王都を含める一部だけだ。それ以外の地については、高位貴族が王家の名代として治めている。これにあたっての自治権は、領地法に詳しい記載があるが……まぁ、ここでは割愛しておこう。とにかく、我々貴族は王家から委託を受け、王家の代理として領地を管理していると考えてくれ」
「……はぁ」
「そして貴族家は、領地の管理を任される代わりに、その土地の広さに応じた金貨を半期に一度、王家に納めているんだよ。これはどのように領地を治めているかは関係なく、土地の広さに応じた一定金額だ。だが、領主となった者はその地における自治権が強くてね。分かりやすく言うと、税金の類を自由に決めることができるのさ」
ふぅ、と小さく息を吐くルキア。
その目は相変わらず笑っていない。怖い。
「参考までに、ノーマン領では五公五民……商家の場合は純利益の半分、農家の場合は収穫量の半分を納めるという形にしている。無論その年の業績が奮わなかったり、天災に見舞われた場合などは、減税を行うようにはしている。だが……別の領地では八公二民という税制が当然のように採択されている場所もあるし、人頭税を賦課しているところもある」
「――っ!」
「まぁ、貴族がそうするのも当然だ。王家に支払う金額は、民からどれほど搾取しようとも変わりない。搾取する金額が多ければ多いほど、自分の懐に入る金額の大きくなる……この国が、改めるべき体制の一つだ」
純利益の半分、収穫量の半分――それだけ聞くと、かなり多い量だとは思う。
だが、他の領地における税制は、そんなレベルじゃない。八公ということは、純粋に収穫量の八割を納めなければならないということだし、人頭税とは人一人にかけられる税のことだ。どれほど貧しくても、生きていくだけで税を納めなければならないという代物である。
そう聞けば、ノーマン領がどれほど恵まれているか分かるだろう。
俺が封印都市で働いていた頃、都市から与えられる給金も、七割が税として抜かれていたのだ。
「何か問題でも起こらない限り、王家が貴族の領地管理に口を出してくることはない。王家への支払いが滞った場合は、領地を没収されることもあるが……まぁ、滅多にないことだ。だが、国難や災害が起こった場合は、別に規定されている。それが『災害・国難時特別法』だ」
「は、はぁ……それが……」
「例えば隣国と接している領地で、その国と戦争が起こった場合、どうなると思う?」
「……」
ルキアからの、突然の質問。
俺は一瞬だけ考えて、それから答えた。
「それは……領主の裁量によって、防衛を任されるかと」
「その通りだ。だからこそ、我々は半期に一度、保有兵力や物資についても王家に奏上している。だが領主の裁量に任されている以上、王家や他の領地から兵を求めるということも難しい。つまり、自前の兵力だけで対応せねばならないということだ」
「はぁ……」
「だが、仮に隣国が十万の兵で進軍してきたと報告があった。だがその領地では一万の兵しかおらず、防衛するのに適した施設もない。その場合どうなる?」
「……それは」
十万の攻撃兵に対する、一万の防衛兵。
籠城の場合は敵軍よりも少ない数でいいという話は聞くが、そのレベルも超えているだろう。そうなれば、さすがに援軍を求める必要があるのではないだろうか。
「さすがに……援軍が必要なのでは、ないでしょうか」
「その通りだ。危機的な状況において、さすがに領地を奪われることをただ見過ごすということはできない。ゆえに、そのときは『災害・国難時特別法』を用いる。これは災害や国難が発生した際、領地で対応することのできる規模を越えていると王家が判断した場合において、領地の管理権を王家へ返還するというものだ」
「……」
「そして王家により、周辺の領地から軍事力を集結させ、その国難を乗り切るというものだな。ただし、この法を用いて返還された領地は、再び王家が領主を決定する権限を持つ。難局を自身の兵力だけで乗り切れなかった領主であるわけだから、別の信頼できる者に任せるのは、まぁ筋が通っている話ではあるだろう」
「……」
嫌な予感が、背中に走る。
災害。国難。その言葉が意味するものは――。
「だが王家は……《魔境》の大結界が破壊され、ザッハーク領が《魔境》に呑まれた現状を、災害と見做した。ゆえにこの国難を王家で対応するため、ノーマン領の管理権を王家に返還せよと言ってきたのだよ」
「――っ!!」
大結界の崩壊。
それは――確かに、災害とも国難ともとれる。
「どうだ?」
くくっ、とルキアは。
相変わらず笑っていない目で。
「面白くない話だろう」
そう、告げた。
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